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4話 “地雷”

 悲鳴が聞こえた瞬間、イツキの身体はもう動いていた。


 考えるより早く足が非常階段へ向かう。ビル全体が死んでいる。エレベーターは沈黙し、パネルの灯はひとつも点かない。ただの停電なのか、ダンジョン化の影響なのか――今となっては区別もつかないが、とにかく頼れるのは自分の足だけだ。


「……四階、か」


 息を切らしながら、非常灯だけが灯る階段を駆け下りる。一段ごとに、胸の奥に沈む嫌な予感が濃くなる。


 ——音が、変だ。


 建物が軋む低い振動。遠くで何かが崩れ落ちる鈍い音。

 さらに、鼻を刺す臭い。鉄錆じみた血の気配と、焦げたような熱の残滓が、湿気と混ざって鼻腔の奥にまとわりつく。


 四階に辿り着き、非常扉へ手を掛けた。

 だが、押しても微動だにしない。


「……っ」


 イツキは歯を食いしばり、肩に全体重を乗せて押し込んだ。

 蝶番が呻き、ようやく扉が開く。


「開い、た……?」


 その先を見た瞬間、言葉が喉に詰まった。


「……は?」


 そこにあったはずのフロアは、もはや“オフィス”の形をしていない。


 壁は抉れ、床は割れ、天井の一部は崩落している。デスクは叩き折られ、キャビネットはひしゃげ、コピー機は腹を裂かれた鉄塊となって転がっていた。

 蛍光灯の残骸が垂れ下がり、無数の配線が露出している。爆撃でも受けた、と言うほうが早い惨状だった。


 そして、その中心。


 床一面に転がる、無数の死骸。


「……ブラッドウルフ……?」


 一体や二体じゃない。群れだ。十を超えている。裂けた喉、潰れた頭、焼け焦げた体毛。生き物が生き物としての形を保てないほど、徹底的に壊されていた。


 ブラッドウルフに群れで行動する習性はないはず。


 ——誰が、やった?


 答えは、すぐに見つかった。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいぃぃっ!!」


 甲高く、切羽詰まった声が瓦礫の向こうから刺さった。


 崩れた壁のそばで、ひとりの女性が膝をついていた。スーツ姿のまま、床に額をこすりつける勢いで頭を下げている。亜麻色の髪は本来なら整った色味のはずなのに、ところどころ血で赤く汚れて、暗い非常灯の光に鈍く光った。


 惨状と謝罪の大声。そのミスマッチが、逆に背筋を冷やす。


 そして——視界が揺れていた。


 比喩じゃない。空気そのものが、蜃気楼みたいに歪んでいる。目に見えない熱が滞留しているような、圧が残っているような、そんな異物感。


「き、君がやったのか……?」


「へ!? だ、だだだだだれですかぁ! あなたの顔を知りません! 魔物ですかぁああ!!」


「失礼にも程があるだろ……俺は人間だ。とりあえず落ち着いてくれ」


「に、人間? 私以外に残業を強いられた人がこの会社にいたんですかぁ……うぅ、仕事が遅い無能と言われて辛いですよね、私もよく言われるので分かりますぅ……」


 言葉の節々に、意図せず刺さる失礼が混ざる。イツキは眉間の奥がじわりと痛むのを堪えた。今、ここでキレたところで得るものはない——が、腹は立つ。


「さすがにそこまで言われたことはないけど……俺は編集部で企画制作の担当してる、佐沼 樹だ。君の名前は?」


「ほ、穂澄のことが気になるんですかぁ!? し、仕方ないですねぇ、教えてあげます」


 聞こえないような小さなため息を吐き捨て、イツキは両目を手で覆った。


「穂澄と申します! 今年二十歳になりました! 普段マーケティング部で仕事をしてます、趣味はおやつ作りで、よく生チョコを作ってます! あ、でも料理も好きですよ、オムライスとかよく作ります、誰かに振る舞ったことがないので味に自信はありませんが、いつか佐沼さんにも作ってあげます! 最近はスマホゲームにもハマってて、あ、佐沼さんも知ってま——」


「もういいよ、自己紹介ありがとう」


 イツキは呆れた声で遮った。後半はほぼ聞いていない。聞く余裕も、聞く体力もない。


「で、木咲さん。これは君がやったの?」


「ええと、分からないです……けど、多分穂澄がやりました……」


「分からないって……」


 視線を巡らせる。ブラッドウルフだけではない、緑の皮膚が焼けて炭みたいになった死骸——ゴブリンらしきものも転がっている。


 さらに、形状すら判別できない、焼け焦げた塊がいくつもあった。魔物の種類を“編集者として”当てたい自分が、今は心底うざったい。そんな分析をしている場合じゃない。


「穂澄、言いましたよ……出てこないでって。なのに、穂澄の前にたくさん魔物が出てきて……近づくなって言ったのにみんな近づいてきて……!」


 彼女は、死体の山に向かって必死に頭を下げた。怖がっているのに、謝っている。理解が追いつかない。だが、ここまでの破壊が“制御の結果”でないことだけは分かる。


「だから、その……ごめんなさい……」


「……いや、意味が分からないよ」


 思わず本音が漏れた。


「君、こいつらに何をしたの?」


「うっ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」


「謝らなくても……君がこれだけ暴れてくれたおかげで、多分上のフロアに魔物が来なかったんだと思うし、逆に助かったよ」


 それは紛れもない事実だった。ダンジョン化してからおよそ三時間半。五階の編集部で遭遇した魔物の数は、今の惨状と比べれば少なすぎる。イツキが二時間も気絶していられたのも、四階で“何か”が起き続けていたから——そう考えるほうが自然だった。


 ただ、これだけ暴れて上の階に振動が伝わっていないのは妙だ。ダンジョン化による空間のねじれか。あるいは、彼女の魔力が音すら捻じ曲げているのか。どちらにせよ、答えを今ここで探る余裕はない。


「穂澄、昔から制御できないんです……魔物を見るとダメで! 写真とかならいいんですけど、本物は本当の本当に怖くて!」


「それでこの状況か……でも、なんでそんなに魔物が嫌いなのに、この会社へ来たんだ? 写真とはいえ、魔物を見る機会は一般の会社より多いだろ」


「ひ、人の手助けがしたくて……戦うのは怖いから……それにお兄ちゃんが、穂澄には人を助ける才能があると言ってくれたんです! ダンジョンはすごく怖いので無理ですけど、少しでもみんなが安心できるように、とこの会社に入りました!」


 ぱっと浮かべた笑顔は、すぐに萎んだ。


「毎日残業ばかりでこの有様ですけどぉ……」


「はは、まぁ俺も変わらないもんだな」


 結論に至る道筋は違う。それでも根は似ている。——誰かのために、という言葉を言い訳にして、自分を押し込めてきた人間だ。こんな場所で共通点を見つけたくはないのに、勝手に胸の奥が軋む。


「そういえば、佐沼さんはなぜこの階に来たんですか?」


「え? あぁ、まぁ君の叫び声が聞こえたから」


「……え?」


「え?」


「プロポーズですか……?」


「違うよ」


「すみません、私二次元しか愛せないんです……」


「プロポーズでもないし、振られてるのもよく分からない。あと、そのカミングアウトは必要ないよ」


 会話の温度差が酷い。疲労で鈍っているはずの神経が、彼女の言動だけはやたら鮮明に刺してくる。たぶん相性が悪い。たぶんどころじゃないかもしれない。


 イツキは周囲を改めて見回した。崩れた天井。裂けた床。魔物の残骸。ここは長居する場所ではない。ここにいるだけで、次の崩落に巻き込まれる可能性もある。


「早めにここから離れようか。これ以上の長居は危険だろ」


「穂澄、ついていってもいいんですか!?」


「そのためにここへ来たみたいなもんだしな。俺自身そんな頼りにならないと思うけど……」


「いえいえいえ! そんなことありません! 一緒に脱出しましょー! おー!」


「遠足のテンションかよ」


 彼女の明るさに救われる、なんてことはない——が、暗闇の中で人の声がすること自体は、確かに“現実”を繋ぎ止める。


 ただし問題がひとつ。


 再構築。魔物を作り、使役し、戦う力。今の自分の生存手段だ。


 そして目の前のこの女は、魔物を見ると暴走する。


 彼女の前でゴブリンを出せば大暴れする。最悪、イツキ自身が魔物判定される可能性もある。


 イツキは、半壊した天井を仰ぎ、小さく息を吐いた。


「……相性、最悪だな」


 木咲 穂澄。

 彼女はまるで、能力が発動した瞬間に爆発する地雷のような存在だった。

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