3話 “再現”
ゴブリンは、命令された通り床に座り込んでいた。
その姿は、生きていた頃と何一つ変わらない。
目は開き、口は半開きで、今にも唸り声を上げそうなのに——そこにあるのは、沈黙だけだった。
イツキは、床に落ちていたペンを拾い、ゴブリンの腕を突いた。
抵抗はない。倒れもしない。
ただ、触れられた部分がわずかに揺れた。
「……すげぇな」
乾いた笑いが漏れる。
笑っていい状況じゃないのに、口元だけが勝手に動いた。
「ゴブリン、立て」
半信半疑で命じる。
次の瞬間、ゴブリンはぎこちなく立ち上がった。
関節が噛み合っていないのか、動くたびに骨が擦れるような不快な音が響く。
「……一歩、前」
右足が前に出る。
操り人形のような動きだが、それでも確かに“命令を理解している”。
「……もう一歩」
左足。
「じゃあ」
イツキは、今度は声を出さずに念じた。
——その場で座れ。
ゴブリンは座り込んだ。
「……なるほど。音声と、脳内指示の両方が通るってわけか」
思考が、自然と編集者のそれに切り替わる。
イツキは椅子に腰を落とし、深く息を吐いた。
「材料じゃない……やっぱり、設計だな」
ゴブリンの核。
あれは消費されたのではなく、“分解”された。
魔物の構造そのものが、自分の中に落とし込まれた。
そう考えれば、辻褄は合う。
再構築にした際に脳内に流れた声によれば、このゴブリンは26%の再構築率らしい。
およそ四分の一ほどしか再現できていない。
この数値でも、見た目だけの再現はできたって感じだろうか。
「……いや、低いな」
イツキは心の中で唱えた。
——ゴブリンの分解。
その瞬間、ゴブリンの身体は霧のようにほどけ、消えた。
《睡眠時間を2時間使用——残り36時間》
「……やっぱ、消費するか」
頭が、じわりと重くなる。
だが、確信した。
再構築は“復元”であり、“理解”だ。
分解することで、構造がより鮮明に刻まれる。
「もう1回だ」
同じ姿。
同じ構造。
念じた瞬間、空気が歪み、魔力の靄が立ち上る。
二体目のゴブリンが、形を成した。
核がなくとも、予想通り再構築は成功した。
《再現率38%——ゴブリンの再構築に成功しました》
輪郭は安定し、皮膚の色も均一だ。
「……上がったな」
だが、直後に強烈な眠気が叩きつけられる。
《睡眠時間を3時間使用——残り33時間》
「はぁはぁ、再現率が上がれば代償も増えるのか」
額を押さえながらも、視線はゴブリンから離さない。
「……38%」
そこまで来て、知識が追いついた。
「——ゴブリンの固有スキル」
低位魔物ながら、ゴブリンの生存率が異様に高い理由。
「《俊敏》……だよな」
試しに命じる。
「俊敏を使え」
ゴブリンは動かない。
「……未完成、か」
今の再現率では足りないらしい。
構造は再現できても、機能までは届かない。
「同時に増やすのは……」
もう1匹のゴブリンを再構築を試みた瞬間、頭の奥がじくりと痛む。
魔力は反応しなかった。
「今のところは1匹が限界ってことか」
イツキが頭を悩ませた時、ゴブリンは指示なく動き始めた。
「びっくりした……」
ゴブリンは廊下の奥へと顔を向けたまま、微動だにしなくなった。
だが、それだけで十分すぎるほどだった。
“何かがいる”と悟るには。
床を擦る音。
湿った呼吸音。
闇の中で、二つの赤い光が瞬いた。
「……ブラッドウルフ、か」
中位の魔物。
そしてゴブリンを獲物として捕食する天敵のような存在。
嗅覚、俊敏性、そして血に反応する特性。
知識が、次々と恐怖へ変換されていく。
「頼む、寝てないんだ。こっちには来るなよ……」
願いは、当然のように裏切られた。
闇が動いた。
次の瞬間には、イツキの本能が叫んでいた。
「……行け!!」
命令と同時に、ゴブリンがブラッドウルフのいる廊下へ飛び出す。
イツキ自身も、反射的に反対方向にある出口へと駆けて、そのまま廊下へと飛び出した。
背後で、低い咆哮。
肉が裂ける音。
《睡眠時間を1時間使用——残り32時間》
「……っ、くそ……!」
倦怠感が、足に絡みつく。
だが、立ち止まれば終わりだ。
編集部を抜け、非常灯だけが点る廊下へ。
昼間なら見慣れたはずの通路が、別物のように歪んで見える。
「この廊下、こんなに長かったっか……!」
肺が焼ける。
息が、喉に引っかかる。
背後から、爪が床を削る音が近づいてくる。
「くそ、まだ追ってきてる……!」
イツキは走りながら、必死に念じた。
骨格。
筋肉。
関節。
「こいっ!」
《再現率52%——ゴブリンの再構築に成功しました》
《睡眠時間を4時間使用——残り28時間》
3匹目のゴブリンが、廊下の中央に現れた。
倦怠感を振り払い、イツキは足を止めることなく、ゴブリンへ指示を出す。
「いけ!」
それと同時。
再び脳内に声が響いた。
《一定数値を超えたため、ゴブリンの固有スキル——“俊敏”の使用が可能になりました》
「まじかよ! それなら——」
——俊敏を使用して、できるだけブラッドウルフの足止めをしろ。
3匹目のゴブリンは固有スキルのしようが可能になった。
スキルの使用を指示したものの、あまり期待はしていなかった。
再現率100%のゴブリンを主食としている捕食者が相手だ。即席のゴブリンじゃ、時間を稼げてもほんの数十秒が限界だろう。
走り続け、ゴブリンが見えなくなった時。
破壊を知らせる倦怠感と脳内に響く声が、イツキを襲った。
《睡眠時間を3時間使用——残り25時間》
頭が、重く揺れた。
着実に残りの残り時間は減っている。
イツキの身体もそろそろ限界を迎えていた。
視界の先に、エレベーターホールが見えた。
「……頼む、動いてくれ……!」
上下のマークが描かれたボタンを叩く。
反応はない。
表示灯は消え、パネルは沈黙したままだった。
「……停電……? いや、ダンジョン化の影響か……?」
背中を、冷たいものが撫でる。
振り返る。
暗闇の向こうで、赤い光が確実に近づいていた。
「……行き止まり、かよ……」
逃げ場はない。
階段も、非常口も、すでに通り過ぎている。
イツキは壁に手をつき、そのまま膝をついた。
頭が、割れるように痛い。
身体が、言うことをきかない。
「でも、やるしか……」
ブラッドウルフが闇からその姿から表した。
まだ残り時間は残されている。
歯を食いしばり、短剣を手に取ってイツキは立ち上がる。
「今は、戦うしかないよな……」
覚悟を決めたイツキはブラッドウルフと睨み合う。
ダンジョンに安息などないことを実感しながら。




