第10話
第10話
燃えさかる街の空は、まるで紅い絹を裂いたようだった。
広場へ向かう道という道に煙が立ちこめ、
石垣の上では、焼け残った布切れが風に翻っている。
アラヤはその炎の中を走り抜けながら、荒い息を吐いた。
その瞳には恐怖よりも、深い疑念の色が宿っていた。
「……何か、おかしい。」
彼女は呟いた。
「建物は全部崩れてるのに……遺体がほとんど見当たらない。
みんな事前に避難したの? それとも……私たちだけ知らなかったの?」
少年は答えなかった。
彼の視線はゆっくりと周囲をなぞる。
風の流れ、煙の向き、崩れた石柱の角度。
まるで何かを“計算”しているかのようだった。
そのとき――。
路地の奥から、かすかな泣き声が聞こえた。
アラヤの足が止まる。
「……今の、聞こえた?」
少年が静かに頷く。
彼女は声のする方へ駆けだした。
狭く、暗い路地。壁は黒く煤け、
下水口からは煮えたぎるような熱気が立ち上っている。
そこには、小さな影がうずくまっていた。
片足を痛めた幼い子供が、すすり泣いている。
炎に照らされたその顔は、灰と涙で汚れていた。
「ねぇ……大丈夫?」
アラヤがそっと膝をつく。
「どうしてここに、一人でいるの?」
子供は震える声で言った。
「たすけて……。お母さんとお父さんが……どこにいるのか、わからないの……。」
「……お母さんとお父さんとお祭りに行ってて……
突然、兵隊さんたちが来て……“避難しろ”って……
走ってるうちに……手を、離しちゃって……。」
アラヤは一瞬、唇を噛んだ。
「避難命令……?」
「家が……燃えちゃって……。」
「両親は?」
「……わかんない……。」
子供の涙が灰の上に白く落ちた。
アラヤは手の甲でその頬を拭った。
「もう大丈夫。すぐに安全なところへ連れていくから。」
「すぐにお父さんとお母さんを見つけてあげる。少しだけ、がんばろうね?」
少年が近づき、周囲を見回した。
「……おかしい。」
「なにが?」
「炎の流れが一定だ。
自然の火災じゃない。誰かが街の中心へ向かって、火を押し込んでる。」
アラヤは目を見開いた。
「じゃあ、これはただの事故じゃないってこと?」
少年が頷く。
「意図的な、しかも緻密に計算された放火だ。」
アラヤは子供を背負い、再び辺りを見渡した。
「変ね……街の被害に比べて、人影がなさすぎる。
みんな先に避難した? 私たちだけが取り残されたの?」
少年が静かに答える。
「たぶん、僕たちが泊まってた宿が街の外れだったからだろう。
あんな安宿、中央の避難命令なんて届かなかったはずだ。」
彼は黙って空を仰いだ。
紅い煙が天へと長く伸び、
やがて巨大な炎の柱となって星明かりを飲み込んでいく。
「……見て。」
アラヤの声が震えた。
「あれ、炎の柱……? ただの火事じゃない。
街の中心で、何かが起きてる。」
少年は炎を見つめながら低く呟いた。
「中で何かが動いてる。まだ姿は見えないけど……感じるんだ。」
「どうする?」
アラヤは子供を抱きしめた。
「情報を集めに行く? それとも、逃げる?」
少年は短く息を吐いた。
その視線が、怯える子供へと向けられる。
「……どこにいようと、もう安全な場所なんてない。」
「でも、このままじゃ何もわからない。
この炎がなぜ起きたのか、誰が仕掛けたのかも。」
アラヤは彼の目を見つめた。
そこには、恐れよりも決意があった。
「……わかった。行こう。
もともと、広場へ向かう予定だったしね。」
少年が頷く。
二人は子供を背負ったまま、炎の路地を抜けて走り出した。
そのとき――。
足元で、ぴちゃりと音がした。
二人は同時に立ち止まる。
靴の底が、ぬるりと湿っていた。
アラヤは下を見た。
「……水が溜まってる?」
「……なんだ、これ……?」
そっと指先で触れた瞬間、
その感触に、彼女の身体がこわばった。
指にまとわりついたのは、熱く、粘り気のある、紅い液体。
「炎のせいで赤く見えるの……? それとも、元から……?」
彼女はゆっくりと手を持ち上げた。
火の光の下、指先を伝って――血が、流れ落ちた。
「……血、だわ。」
アラヤは息を呑み、顔を青ざめさせた。
背筋を冷たい汗が伝う。
少年は静かに目を細めた。
「……やっぱり、何かが起きてる。」
遠くで、風が不気味に鳴いた。
炎の海の中で、街はゆっくりと息を潜めていった。




