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第9話(上)

第9話(上)


夕べの息吹


夕べの気配が道すじを撫でていった。

祭りの余韻がまだ薄く残るアスティラの広場では、灯火がひとつ、またひとつと灯り、

噴水の波紋が金の破片のように揺れていた。

最後にこの光景を胸に刻むかのように、二人は歩みを止めた。


「美しい場所だね。」


アラヤが低く言う。背嚢の紐をそっと整え、石畳に映る灯りをしばらく見つめた。


「他の土地はどれほど素晴らしく、どれほど壮大なんだろう。

ここは小さな都市国家にすぎないのに……そう思わない?」


少年は小さく笑い、うなずいた。


「うん。」


返事は短かったが、その瞳には暮れゆく空より深い光が宿っていた。

表面上は穏やかな夜だというのに、どこか微かに食い違う気流を、彼は聴き、見ているかのようだった。


「戻ろう。」

「そうだね。明日早く出発するなら……今夜は早めに休もう。」


二人は宿へ戻った。片隅に蝋燭を一本だけ灯した狭い部屋。

床に毛布を敷いて並んで横になり、今日出会った些細な出来事や可笑しかった場面を、

糸を継ぐようにぽつぽつと語り合う。

少年は寡黙だったが、アラヤが思い出すエピソードごとに微笑み、静かにうなずいた。

蝋燭の炎が揺れるたび、壁に映る二人の影がそっと重なり、また離れた。


「不思議……旅立つのに、寂しくない。」

「アラヤはもう“前に進む”準備ができているから。」

「ふふ、かもしれないね。」


芯の低くなった炎がかすかに音を立て、部屋は一層静まり返る。

その静寂は心地よかったが、どこかで嵐がひと呼吸ためたようでもあった。


闇の会合


同じ頃、街外れの路地。灯りすら届かぬその道は、古い葡萄酒の染みのように暗く汚れていた。

フードを深く被った影が数人、壁を背に立ち、苛立ちを含んだ吐息を低く漏らす。


「ちっ……酒の味が台無しだ。」


一番の大男が足先で盃を弾き、くつくつと笑った。


「やっかいなのが来やがった。中央の都も王国もまだ騒がしいってのに、

こんな辺境にまで伯爵だと? 何かが起きてるのかね。」


「命令は命令だ。」


別の男が肩をすくめる。


「下された通りに計画を進めるだけ。あのお方がたの意志には逆らえない。」


「当たり前だろ。」


大男が舌打ちする。


「ここを取ったら綺麗どころは俺のもんだ、はは――」


「見返りは確かに大きいさ。」


別の影が低く笑う。


「上が何を企んでいようが俺たちには関係ない。

目の前の欲に忠実でいればいい。それが自然の摂理ってやつだ。お偉方は愚かだな、ふふ――」


「そういう物言いは……危険すぎます。」


端にいた新参がおずおず口を挟むや、すかさず叱責が飛ぶ。


「黙ってろ、新入り。どこに割り込ん――」


――スッ。


風の綻びが路地を掠めた。

次の瞬間、口を開いていた男の言葉は喉で途切れ、

頭部は「コトリ」と床へ転がった。

血は飛び散らない。切断面からは紅い燐のような闇がふっと立ちのぼり、灰のように消えた。


残った者たちは本能で膝をつく。呼吸が詰まる。


足音が一歩、また一歩、路地へ染み込むように近づく。

マントの裾の間で、銀の紋が一閃した。

顔は見えない。だが空気は冷え、空間そのものが収縮した。


「――あのお方がたの計画が、察知されたらしい。」


風が人の声を真似たような、温度のない音色。


「王国に異常の兆し。辺境の別の拠点でも目障りが蠢き出した。

このところ、多くのものが唐突に動きを変え始めている。」


影たちは一斉に頭を垂れる。


「それでも計画は継続だ。失敗は許されない。」


存在はわずかに首を傾けた。


「それから――お前たちが聞かされていた日程は、今この瞬間で破棄。

三時間後に“事”を起こす。ほかの連中はすでに動いている。」


「本来は数か月先のはずじゃ……どうして上は――」


怯え混じりの声に、氷のような返答が落ちる。


「上で何が起きているかなど――お前たちの領分ではない。」


言い終えるや、その影は闇へ溶けるようにふっと消えた。

残された者たちは一斉に息を吐き、

放たれた狼のように闇の中へ散っていく。

路地は、何事もなかったかのように再び口を閉ざした。


花苑のシルエット


遠く、小高い丘の上。

夜空がいちばん濃い藍へ移ろう刻限。

そこには巨大な花苑があった。


月光がやわらかく降り積もり、

白い大理石の柱と黒い薔薇が静かに息づく。

空気にはどこか異質な香が漂っていた。


その中心、石像の傍らに一人の影が立つ。

輪郭は闇と月光の境に溶け、顔は見えない。

ただシルエットだけが存在していた。


その手には茶杯がひとつ。

杯の表面を、月光がさざなみのように流れていく。


「――他の地域はどうだ。」


低い問い。

空気のどこかから、聞こえぬ応答が返る。


「そうか。」


静かな微笑。


「なら、ここは計画を少し修正しよう。

数か月先に予定していた事を……今日へ前倒しだ。」


声は不思議なほど柔らかく、同時に、

冷気よりも深い“定められた運命”の匂いを孕んでいた。


「人間というのは実に待てない生き物だ。

少し急かせば不安に震え、少し遅らせれば欲が醒める。

だから“刻”はいつも完璧でなくてはならない。――いまのように。」


指先で杯をひと回しすると、

月光は砕けるように散った。


影は天を仰ぎ、微笑む。


「今回の炎は少しばかり趣が違う。

星でさえ、瞼を閉じることになるだろう。」


風が過ぎ、影は跡形もなく解けた。

残ったのは静かな月光だけ。

その月光の下で、薔薇は一輪、また一輪としおれ、黒く焦げていった。

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