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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

コルテーゼの魔界紀行

作者: 五五五 五

 メアリー様は魔界二七魔王のひとりだ。


 魔界には三二もの領土があり、そのひとつひとつに魔王が必要とされるらしいのだが、現在のところ五つの領土は空白地になっている。


 広大な領土を持つ魔王ほどより強い力を持つとされているが、魔王たちはケンカもすれば、戦争もするくせに領土の拡大は行わない。


 これは魔王という存在が、それぞれその魔界の領土と密接に結びついているからだ。



「まるで地縛霊だな。怖ろしい」



 顔をしかめて言ったのは当の魔王本人で、わたしが仕えるメアリー様だった。


 つい先日まで人間だったわたしは魔界初心者で魔族のルールもよく知らない。


 そのため、今も先輩から教本として手渡された「魔界のひみつ」なる本を読んで勉強中だった。様々なことを漫画で解説していて実にわかりやすい。



「せめて土地神と言って下さい」


「よせよせ、神などとおぞましい」



 嫌そうにつぶやくメアリー様だが、べつに魔族は神々の敵ではない。


 人間達がそういう思い込みをしているせいで間違った認識が広がっているが、実際には魔族は他のどんな存在よりも世界を守っているのだ。



「え? マジで?」


「だから、どうしてメアリー様が、そこで驚くんですか」



 メアリー様は暗黒太陽の二つ名を持つ歴とした魔王だ。


 見た目ではわたしと大差ない年頃だが、すでに何千年かの時を生き続けているらしい。


 小柄なわたしよりもさらに背は低いが、美しい銀髪と宝石のように澄んだ赤い瞳を持つ、実に愛らしい美少女だ。


 基本的に人間そのものの見た目だが、たまに黒い翼を生やして空を舞うことがある。普段は背中を見てもなにも無いので、その身体の構造は謎だ。解剖してみないとわからない。



「今なにか怖いことを考えなかったか?」



 メアリー様は心を読んだかのように引きつった顔をしていた。実際に人の心を読む力はあるそうだが、強い魔力の持ち主が相手だと難しいらしい。


 わたしが笑って誤魔化すと、メアリー様も頓着することなくナイフとフォークを手に大きなアクビをした。



「とにかく面倒事も終わったし、あとはご飯を食べて土産を買って帰るだけだな」



 ここはメアリー様が治めるダークサンではなく、魔界最大規模を誇るハーケン領だ。つい今し方まで、ここの城では魔界中から集まってきた魔王による会合が開かれていた。


 しかし、魔界最弱などと揶揄されているメアリー様は発言力が低いらしく、会議中もずっと昼寝をしていた気がする。しかたなくわたしが会議を聞いていたのだけど、もちろんただの護衛で発言を許される立場ではないので、正直退屈なだけだった。


 わたしが考え込んでいると店の扉が開いて、新たに数人の客が入ってきた。もちろん全員が魔族で体のあちこちにトゲやツノなどが生えている。比較的人間に近い外見だが見るからにガラが悪そうだ。


 ここに居るのが誰なのか気づいたらしく、その中のひとりが下卑た笑みを浮かべながらメアリー様を指差した。



「おいおい、誰かと思えば、あそこにおわすのはダークサンの魔王様じゃねえか?」


「バカ言え、いくら田舎者でも魔王様ともあろう御方がこんな庶民の店にいるわけねえだろ」


「だよなぁ。会合に出席しなさった魔王様なら、今頃は宮廷で見たこともねえような御馳走を振る舞われているはずだ」



 もちろん彼らはわかってて言っているのだ。こういう態度は人間のチンピラと変わりない。



「けどよぉ、なにせメアリーってのはなんちゃって魔王だから、会合が終わった途端に宮廷から追い出されたのかもしれねえぜ」


「ハハハ、あり得るな。なんせメアリーだし」



 あまりの言い草に、さすがにわたしも頭にきた。メアリー様は宮廷で息の詰まりそうな食事をするよりも、こういう庶民的な店の方が良いとお考えになられただけなのだ。


 思わずわたしが拳を握りしめて立ち上がろうとすると、メアリー様が素早くわたしの手をつかんで止めた。



「よせ、ああいう手合いは相手にするな」



 キリッとした顔でさらに続ける。



「目を合わせずに、じっと下を向いておけば、そのうちどこかに行ってくれる」


「ヘタレですか!」


「そうではない。怖いから関わりたくないだけだ」



 すました顔で、きっちりとヘタレたことを言う。



「どうしてそんなに威厳がないんですか。仮にも魔王のお一人なのに」


「わたしは威厳よりご飯の方が好きなのだ」



 ちょうどこのタイミングで運ばれてきた料理を見てメアリー様は目を輝かせた。


 その間にチンピラたちはやや離れた席に腰を下ろしている。すでにこちらへの興味を失くしたらしくメニューを片手に仲間内で駄弁っていた。



「もう放っておけ、コルテーゼ」



 ほどよく焼けたお肉にフォークを突き立てながら、メアリー様が諭すように話しかけてくる。ちなみに「コルテーゼ」はメアリー様が授けてくれた魔族としてのわたしの名前だ。



「他者と争ったって得られるものなどなにもないぞ。せいぜいが勝利の満足感と金品と経験値と装備品と運が良ければレアアイテムをゲットできるくらいだ……うん? 悪い話じゃない気がしてきたな」



 口にした後メアリー様はお肉を咀嚼して呑み込むと、水で軽く喉を潤わせてから真顔で言った。



「後であいつら皆殺しにしてみるか」


「やめましょうよ。それが原因でよその魔界と揉めることになったらバカバカしいです」



 なぜかわたしが止める側になっている。



「大丈夫だ。人間界にも『赤信号こっそり渡れば怖くない』という諺があるはず」


「ないです」


「ないのか。遅れているな、人間どもは」


「いや、遅れてるとか進んでるとかじゃないでしょ。そもそも魔界には信号機すらないじゃないですか」


「ないのか。遅れているな、魔界は」



 難しい顔でつぶやくメアリー様。どう考えても真面目に話していないので、会話を続けることはあきらめて、わたしもナイフとフォークを手に自分の食事を始めた。



「ここの肉料理は魔界でも評判でな。今回の会合が、ここで行われると決まったときから、絶対に寄っておこうと心に決めていたのだ」



 素に戻って嬉しそうに笑うメアリー様。


 こういうときの仕草は仲間たちから『姫』の愛称で呼ばれるのも納得できる愛らしさだ。


 柔らかくてジューシーな鶏肉を味わいながら、物思いにふけっていると、後ろの方の席からけたたましい声が聞こえてきた。



「ざけんなよ、コラァ! こちとら、わざわざゲルヘイムから、足を運んでるってぇのに注文を聞けねえってのはどういう了見だぁっ」



 ふり返るまでもない。さっきのチンピラ魔族たちだ。とくに耳を澄まさなくても、続くやり取りが聞こえてくる。



「いえ、ですからうちは人間の肉なんて出してないんです」



 これは店員の声だが、その言葉の内容には、さすがにギョッとさせられた。


 あのチンピラどもはよりにもよって人間の肉を注文しようとしているらしい。



「メアリー様」



 わたしが鋭い視線を向けると、メアリー様はあからさまに面倒くさそうな顔をした。



「まあ、魔族にも悪食はいるからな。人間を喰らうなんて基本的には魔獣の所業なんだが」



 そう、魔族は普通人間を食べたりしない。それどころか、食生活は意外なまでに人間のものに酷似していた。肉料理はもちろん、パスタやラーメンを始めとする麺類に、ハンバーガーなどのファーストフードも存在している。



「だが、べつに喰ってはならんという法はない。もちろん、ダークサン(うち)は人間に危害を加えること自体を禁止しているが、そんなのは例外中の例外だ。もっとも、普通は禁止しなくても、ことさらそんなことはしないのだが……」



 これは最近までわたしも知らなかったことだが、大半の魔族は人間界に興味を持たない。そんなところに、わざわざ顔を出して悪さをするのは、ほとんどが魔界を追われた魔族の犯罪者(・・・)たちだ。


 ただし、例外はある。



「ゲルヘイムの連中は人間界で悪さばっかりしてるからな」



 その地を治めるゲルカイザーも二七魔王のひとりだ。今回の会合にも参加していて、基本的に魔界では大人しいが、人間界では好き放題に振る舞っている絵に描いたような悪の大ボスだ。


 できればなるべく早めに勇者とか正義の味方に退治されて欲しいが、実のところ魔王の存在は世界を支えるために必要不可欠だ。現在のところ、ただでさえ五人もの欠員が出ているため、これ以上数が減ると世界が危うくなるらしい。


 わたしもまだまだ勉強中で詳しい話は理解できていないのだが、魔界にある三二の領土には奈落(タルタロス)への門があって、魔王はそこから混沌が世界に湧き出るのを封じているとのことだ。


 しかし、だからといって、その部下の非道までは看過し得ない。



「ジョシコーセーだ! ジョシコーセーの丸焼きを食わせろ!」



 チンピラのひとりが声を荒げる。



「ですから、うちは人間の肉はメニューに加えてないんですよ」



 店員が困り顔で答えるが、チンピラどもは引き下がりそうにない。


 他の荷物と一緒に足下に置いてあった刀に手を伸ばして、わたしが立ち上がろうとしたとき、意外にも別の魔族が彼らのもとへと足を向けた。


 いかにも紳士然としたスーツ姿の魔族で柔和な表情でチンピラ魔族たちに話しかける。



「いけませんよ、きみたち。人間に危害を加えるなど以ての外です」



 その姿をわたしがやや目を丸くしていると、メアリー様は食事の手は止めずにつぶやく。



「ヤバイのが出てきたな」


「ヤバイ?」



 わたしが訊き返す間にも、紳士はチンピラたちに向かって話しかけている。



「人間はああ見えてとても素晴らしい動物なのですよ。たとえば、この店の数々の料理。こういった美味しいものが魔界で食べられるようになったのも、人間たちが食文化というものを広め、我々魔族がそれを真似たからなのです」



 初耳だったので、わたしはメアリー様に確かめる。



「本当なんですか?」


「らしいな。たいていの魔族は肉だって生で食べても平気だから、わざわざ焼いて食べるという発想がなかったらしい」



 紳士はさらに続ける。



「他にも歌や音楽、馬車などの乗り物から、生活に役立つちょっとした道具まで、これらはすべて我々魔族が人間たちから学んだものなのです」



 語られる言葉に対するチンピラたちの返答はだいたい予想どおりのものだ。



「知るかよっ!」


「弱い奴が食われんのは、この世のルールだろうが!」


「そうだそうだ! 弱肉強食だぜ!」


「人間なんざ、しょせん俺たちのエサだ!」



 恫喝するように口走るチンピラたちを前にしても、紳士の表情は変わらなかった。


 もっとも、先ほどまでと変わらないはずのその笑みが、わたしにはなぜか剣呑なものに見えた。



「嘆かわしい……」



 やや大げさに頭を抱えるようにしながら左右を首に振る。



「ですが、あなた方がそれを望むのであれば、こちらもその方法で答えるまでです」



 つぶやくと同時に紳士の両手首がおかしなところで九〇度折れ曲がった。



「へ……?」



 間の抜けた声を発したのはチンピラだ。


 それも当然だろう。折れ曲がった紳士の腕からは、ガトリング砲の砲身にしか見えない物が突き出ていたのだ。


 まるでサイボーグのようにも見えるがそうではない。魔族の中にはこういうデタラメな身体の構造をしたものがざらにいるのだ。



「弱肉強食のお時間です」



 ニッコリ笑う紳士。同時に腕から生えた砲身が火を噴く。チンピラ魔族は逃げるどころか椅子から立ち上がることもできなかった。


 まるで歪なダンスでも踊るかのような動きでハチの巣になっていく。一緒にテーブルや椅子も砕け散って飛び跳ね、後ろの壁にも無数の穴が開いた。


 店員は頭を抱えてしゃがみ込み、居合わせた客たちもパニックを起こして店から飛び出していく。



「お勘定を~~!」



 出口付近にいたウェイトレスが場違いな声をあげた。慣れているのか物事に動じない性格なのかはわからないが、それはうちのメアリー様も同様で平然と食事を続けている。


 次々に穴だらけにされていくチンピラ魔族には同情は感じないが、はっきり言ってやり方がメチャクチャだ。


 店内は跳弾が飛び交い、メアリー様に向かういくつかを、わたしは鞘に収めたままの妖刀・翡翠仙(ひすいせん)で打ち払った。



「あいつはかなりの高位魔族でな。過激で有名な人間愛護団体のリーダーだ」


「人間愛護団体?」


「魔族による人間の虐待防止、適正な扱いを訴え続け、無視するものは皆殺しにするという過激な連中なんだ」


「えー」



 わたしとしては他に言いようもない。


 実際に砲撃が行われたのは、ごく短い時間だったが、その間に店の様子は一変していた。いろんな物がメチャクチャに壊れていて、頭を抱えて屈み込んでいる店員は、それを見てガックリと肩を落とす。


 紳士はと言えば、荒れ果てた店内にはまったく頓着せずに、わたしたちの横を通り抜けて悠然と店を後にした。


 視線でメアリー様に問いかけると、彼女は首を左右に振る。



「ほうっておけ。領内のことならともかく、一般的な魔界ではこのていどのことは日常茶飯事だ」



 予想どおりの答えだ。


 周囲を見回したところ、幸いにも無関係な怪我人は出ていないようだ。


 早くも瓦礫を片づけ始めた笑顔のウェイトレスに感心しつつ、わたしは自分の席に座り直すと食事を再開した。



「目の前で魔族が惨殺されたのに、よく食えるな」



 自分のことを棚に上げてつぶやくメアリー様。口には出さなかったけど、わたしが言いたいことを察したらしく、さらに続けてくる。



「いや、わたしは魔族歴が長いからいいけと、お前は魔族一年生だろ」


「そうですね。わたしはやっぱりどこか壊れているのかもしれません」



 脳裏に浮かんだのは、返り血を浴びて佇むわたしの姿を見て怯える親友の姿だ。思えば彼女も女子高生だし、そういう意味でも女子高生を食べようとしていたチンピラ魔族には憐憫の情も湧きはしない。



「とにかく、こんな国に長居は無用です。食べ終わったら、さっさとダークサンに帰りましょう」


「その前に土産物屋だ。みんなのために木刀を買って帰らんとな」


「どこの男子中学生ですか……」



 メアリー様の発想にも呆れたけれど、この後お土産屋で本当に木刀を売っているのを見たときは、さすがに閉口した。


 あの紳士が言っていたとおり、確かに魔族の文化は人間に毒されているようだ。


 そこで本当に木刀を買おうとするメアリー様を押しとどめて、無難な銘菓を買わせると、わたしたちは徒歩で街を出た。


 もちろんそのまま歩いて帰るわけはなく、メアリー様の魔術で自国の領土まで一っ飛びする予定なのだが、都市周辺での空間転移はどこの魔界でも禁止されている。これは空間系魔術が、他の魔力を乱しやすく、都市機能を維持する様々なシステムに悪影響を及ぼすためらしい。



「わたしはそんなヘマはせんがな」



 などと言いつつも、ルールを守るべくメアリー様はわたしと共に、木立が並ぶ荒野をのんびりと歩いていた。


 多くの魔界がそうであるように、ここも常夜の魔界だが、同じ地続きであるにも関わらず昼夜のある魔界も存在しているらしい。


 それはつまりこの空が真っ当な物でないことの証明だ。


 興味は尽きないが、魔界一年生のわたしは他に知るべきことが多く、なぜこのようなことが起きているのかは、今のところまったくわかっていない。


 せっかくだから、少しメアリー様に訊いてみようかと考え始めたところで、わたしたちは好ましからざる気配を感じて足を止めた。


 木立の影からゾロゾロといくつもの人影が姿を現す。当然ながらすべて魔族で異形のものも幾人か混じっている。


 先頭には見覚えのある紳士の姿。先ほどと変わらず柔和な笑みを向けてきてはいた。



「ふむ……こんなところで待ち伏せとは、人間愛護団体が何の用だ?」



 最初に口を開いたのはメアリー様だ。それを見て紳士が感心したような声を出す。



「これはこれは、ダークサンの魔王様は私どものことをご存じでしたか」


「いや、知らん」


「…………」



 一瞬紳士の顔が強ばったが、すぐに気を取り直したように微笑むと、声だけは穏やかに話しかけてくる。



「実を言うと、私どもはメアリー様に関して、あまり好ましくない噂を耳にしましてね」


「なに……?」



 少しばかり強ばった顔を見せるメアリー様。



「うーん……心当たりが多すぎてピンと来ないが……。まあいい、どうせ人の噂も七五日。気にしないことにするとしよう」


「あなたが気になさらなくとも、私どもは気になるのです」



 笑顔は穏やかに見えても、紳士の目はまったく笑っていない。



「なに?」



 目を丸くするメアリー様。



「では、お前たちはわたしのファンなのか? しかもゴシップ好き」


「メアリー様、私は真面目に話しているのです」


「なんと、そこまで真剣にわたしのファンをやっているのか」



 とことんズレた対応をするメアリー様に、紳士の笑顔がだんだんと引きつり始める。



「すまんが色紙を切らせていてな。幸いマジックはあるから、サインは直接お前たちの顔に書いてやろう」



 言いながら油性マーカーを取り出すメアリー様を見て、とうとう紳士が叫んだ。



「いい加減にしろ、なんちゃって魔王が!」



 もはや紳士の仮面はかなぐり捨てて、唾を撒き散らしながら続ける。



「お前が連れている娘は、元人間だろうが! 四十谷(あいたに)深雪(みゆき)、一六才! 調べはついてんだよ」


「なにぃぃっ!? メアリーちゃんではなくコルテーゼのファンなのか!」


「違ーーーう!」



 地団駄を踏む元紳士。



「確かにコルテーゼは愛らしくて、メアリーちゃんとしてもペロペロしたいと思って魔界に引き入れたが……」


「そこだ! そこが問題だ! 人間を魔族にするんじゃねえーっ!」



 叫ぶ元紳士の言葉を聞いて、ようやくわたしも合点がいった。人間愛護主義者の彼にとっては、人間を魔族に変えることは度し難い悪徳なのだ。



「なるほど、お前が言いたいことはよくわかった」



 神妙な顔をしてうなずくメアリー様。きっとろくなセリフは続けまい。



「つまり、コルテーゼをペロペロするのは自分だと言うのだな」



 やっぱり、ろくなセリフじゃなかった。



「もういい! 時間の無駄だ! テメェら、この田舎魔王をかわいがってやれぇ!」



 もはや、ただのチンピラボスと化して叫ぶ元紳士。それに応えて好戦的な顔をして、取り巻きどもが近づいてくる。


 しかしなくわたしは刀を手にメアリー様の前に進み出て、彼らの前に立ち塞がった。



「どうしやす、ボス?」


「すでに人間をやめてしまった小娘にまで遠慮する必要はありません。叩き潰してておやりなさい」


「おうっ!」



 応えて叫ぶと二メートルを優に超える巨体の魔族が先陣を切って襲いかかってくる。肌は鉛色で角と翼を持ったデーモン型の魔族だ。



「危ない!」



 メアリー様が焦りの声をあげる。


 わたしは構わず妖刀・翡翠仙(ひすいせん)を抜き、目の前の魔族を斬り刻んだ。肉片が弾け飛ぶようにして、まず最初の一体が、この世から消え失せる。



「だから危ないって言ったのに」



 元紳士が目の前のできごとを受け入れる前に、わたしはさらに踏み込んで、後ろに居た魔族たちに襲いかかった。


 彼らはまだまったくこちらに反応できていない。目の前でデーモン型の仲間が倒されたことさえ理解できていないようだ。構わずわたしは刀を翻らせて、片っ端から斬り刻んでいく。絶叫はあがらない。そんな暇を与える余裕はない。


 なにせ敵は数が多いのだ。メアリー様をお守りしなければならない以上、手加減などできるはずがない。



「いや、しろよ」



 メアリー様の声が響き、わたしはそこで手を止めた。



「い、一瞬で私の手下たちが……」


「三分も経たなかったな」



 ひとりになって顔を引きつらせる元紳士にメアリー様が言い放つ。三分という数字が出てくるあたり、実にメアリー様らしい。この人は人間のオタク文化にも精通しているのだ。



「バ、バケモノか……」



 元紳士は人間に近い姿をしているだけあって、人間と同じように青ざめている。



「人間好きにしては不勉強だな」



 そいつの前に悠然と進み出てメアリー様が告げる。



「人間の凄さとは、その創意工夫にあるのだ。食文化や日用品の作り方も然りだが、それ以上に凄まじいのは彼らが編み出した数々の戦闘技能だ。本来ひ弱な身体しか持たない彼らは気や魔力を用いて自らの力を増し、卓越した武術によって時に魔王すら退けた」


「で、では、まさかその娘は――」



 元紳士が震える手でわたしを指さす。



「そうだ、四十谷深雪は魔族を含む危険な怪異との戦いを旨とする星辰煌刀流せいしんこうとうりゅうの剣士。さらに言えば免許皆伝の腕前だ」


「な、なんてものを魔族にしてやがるんだ!」



 悲鳴染みた声をあげて後ずさる元紳士。


 メアリー様は軽く片手を上げると、



「ぎょろす」



 ひと言口にして、それを振り下ろした――その瞬間、まるで見えない巨大な手に叩き潰されたかのように、元紳士の身体が粉砕された。





「そういえば、度々口にしていますけど、アレってなんなんですか?」


「うん? ぎょろすのことか」


「はい、それです」


「ぎょろすは魔界の挨拶だ。おはようからお休みなさいまで時間に関係なく使えるだけではなく、別れの挨拶にも愛の告白にも、とくに意味のない呻き声にも使える万能な言葉なのだ」



 得意げに語るメアリー様。



「例文をあげると『お前をぎょろす』とか『ぎょろす、うまくやれよ』とか『俺のこの手が真っ赤にぎょろす』とかだな」



 なぜかみんな元ネタがロボットアニメである。


 ちなみにこの時点でおおよそ見当がついていたことだが、あとで先輩に確かめてみたところ、やはり『ぎょろす』は謎のメアリー語とのことだった。


 現在、わたしたちはすでにメアリー様の力でダークサン領に戻ってきている。わたしたちが暮らす城は、もう目と鼻の先だ。


 見上げれば常に満天に星が広がる常夜のダークサンだが、他の魔界とことなり穏やかな雰囲気がある。星の光に照らされた世界は意外なまでに明るくて心が和むのだ。


 人間の世界から持ち込んだ腕時計を確認すると、向こうでも今は夜のようだ。


 遠く離れてしまった親友のことを思うと未練も湧いてくるが、戦うことしか能のないわたしが彼女のためにできることがあるとすれば、やはりこの刀でもって人の世を守ることだけだ。


 魔族は人の世を混沌から守る存在。


 だからわたしは、これからもっと魔族について多くのことを学ばなければいけない。


 そして戦うのだ。この手で世界を守り抜くために、最弱を名乗る、この最強の魔王様と共に。



「まずは、ぎょろすから始めよう」


「いえ、それはいいです」



 わたしが断ると、メアリー様は少しだけ悲しそうな顔をした。

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