スーパースターの翔平、日本の英雄になる
その勢いのまま、メジャーリーグのシーズンも二刀流で駆け抜けるのです。圧巻だったのは、ダブルヘッダーの第1試合で投手としてわずか1安打の完封勝利をし、続く第2試合では打者として2打席連続のホームランを放ち、前代未聞のショーを見せるのでした。シーズンが終わってみれば、投手としては2年連続の2桁勝利となる10勝を挙げ、167個の三振を記録し、打者としては44本ものホームランを量産し、日本人初の本塁打王のタイトルを獲得していたのです。ア・リーグのMVPも獲得しました。
シーズンオフになると、フリーエージェントでメジャー史上最高額となる10年総額7億ドル(約1015億円)でチームを移籍しました。日本国内にあるおよそ2万校すべての小学校に、約6万個のグローブを寄贈し、能登半島地震の被災地に、チームと共同で100万ドル(約1億4500万円)の寄付もしました。
アメリカの野球ファンにも、スーパースターとして認知された翔平でしたが、日本の扱いはそんな比ではありませんでした。アメフトやバスケットが野球より人気のあるアメリカと違って、プロ野球のみならず高校野球まで高い人気の日本では、野球の本場アメリカで大成功を収めた翔平は、スーパースターを通り越して、「国の英雄」もしくは「メディア世界の中心」のような圧倒的存在でした。翔平の前では、どんな人気スポーツ選手もカリスマミュージシャンも霞んでしまうのです。
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