説得された翔平、世襲議員になる
「僕が世襲議員として当選したら、本来なるべき才能のある人の機会を奪うことになると思うんですけど」
世襲制は席の泥棒だと、翔平は考えていました。本来座るはずの才能ある人から、席を奪っている。プロ野球チームの4番打者なのに、打率が0割、良くても1割しか打てない下手くそが世襲制の実力。それが批判されないのは、代々続く先代たちも0割バッターだったから。世間もそんなものだと慣れてしまって、諦めているから世襲制が続くのです。でもそんな翔平の考えは理解してもらえませんでした。
「国会議員は大きな責任を伴います。怖くて逃げだしたくなる気持ちも分かります。でも楽な道を選ばず逃げないで欲しいんです。翔平君、当選してから政治を学べばいいじゃないですか。私たちも全力で協力します。おじいちゃん、お父さんと続く大谷家の政治家の流れを途絶えさせないでください」
と翔平の手を握って熱く語るのでした。年配の支持者の女性の中には、涙を流している方もいます。
そんな事が連日続き、根負けした翔平は継ぐ決断をしました。補欠選挙に立候補した翔平は、終始優勢を維持し、圧勝の形で当選しました。
「キャッチボールもした事がない人間が、プロ野球選手になった気分だ」
と罪悪感から翔平はそう呟きました。
「もし罪悪感に苦しんでいるなら、あなたに投票した人にも罪があるのですから、一人で背負う必要はありませんよ」
と後援会の人が慰めてくれました。
それから2年後、29才になった翔平は、国会議員としての立ち振る舞いが板についてきました。素直な性格で勉強熱心なのもあり、新人議員の中では抜群の人気を誇っています。投票してくれた支持団体への利益誘導のため、必要性の低い公共事業の仕事を取ってきて、1円でも多くの税金を分捕るのが使命なのは分かっています。
このような市、県、国レベルでおこなっている膨大な税金の無駄遣いをなくせば、教育や子育ての予算を倍増できるはずです。数十年も前に個別指導も実現でき、落ちこぼれはいなくなっていたはずです。日中、小学生中学生を学校が預かるように、0才児から公立の施設が預かることも出来たはずです。そうすれば女性が働きながらも安心して出産でき、結果日本の人口も所得も増やせるはずですが、翔平がそれを口にすることはありませんでした。
そしてある日、アクマとの契約通り、心臓発作で亡くなりました。
《参考文献「男社会をぶっとばせ! 反学校文化を生きた女子高生たち」(梶原公子)》
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