不良になった翔平、家出をする
若い頃はスポーツが得意な両親でしたが、結婚してからは父は仕事に、母は家事と介護に追われていました。一人っ子の翔平に、スポーツ好きの兄や姉のような存在もいなかったので、スポーツに触れる機会は学校の体育の授業ぐらいで、ゲーム好きの少年として過ごしていました。
中学生になっても、両親は相変わらず仲が悪かったので、そんな家には帰りたくない翔平は、夜遅くまで友達と出歩いていました。
学校の授業は、一斉指導という授業についていけない生徒を見捨てる『人権侵害』がまかり通っていたので、一度授業が分からなくなった翔平は、どんどん分からなくなりました。翔平は、自分を見捨てて授業を進める教師を教育者と思っていなかったので、「センコー」と呼んでいました。
不良中学生の翔平は、地元の工業高校に入学しましたが、そこは入学者の3分の1ぐらいは退学する学校です。そこでも「センコー」は、生徒を見捨てて授業を進めます。学校自体が「バカ学校」と周囲から思われていたので、自分の学校の名前を口にするのが恥ずかしいぐらいでした。そんなレッテルを貼り、見捨てている大人たちや世間のことが、翔平は大嫌いでした。結局、高校は中退しましたが、その事で両親と大ゲンカした翔平は家出をしました。
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