生まれ直した翔平、サッカーを好きになる
あるとき翔平は、静岡県で生まれ育ちました。サッカーというスポーツがとても盛んな地域です。
7才上の兄は、小学生の時から地元のサッカーチームに入って練習していたので、幼い時から翔平も、試合の応援に出かけていました。そして自然にサッカーをやるようになりました。
小学校、中学校、高校とサッカーをやってきました。運動神経が抜群の翔平はとても活躍しましたが、プロの世界でやれるほどの才能はなかったので、卒業すると、土木関係の仕事に就きました。
現場監督として生計を立てながら、結婚し、今では一人の男の子の父親です。サッカー以外のスポーツをしていれば、世界に通用する才能に気付けたかもしれませんが、外国のように、毎シーズン競技する種目を変えて、2つや3つのスポーツを続ける文化が日本にはないので、そういう機会に恵まれませんでした。
生活基盤を支える大切な仕事ですが、生活基盤を支えていないスポーツ選手や芸能人のように、たくさんのお金がもらえるわけではありません。マスコミに囲まれて、チヤホヤされることもありませんでした。それでも29才の翔平は、妻と息子を連れて、サッカー観戦している時が何より楽しいのでした。
そしてある日、アクマとの契約通り、心臓発作で亡くなりました。
お読みいただき、ありがとうございました。
ブックマーク、ポイントを入れていただけると幸いです。
よろしくお願いします。




