生まれ直した翔平、野球に夢中になる
あるとき翔平は、野球に夢中になって生きていました。
小学2年生から始めた野球を、ずっと続けていました。
ただ残念なことに、野球の才能はありませんでした。リトルリーグ時代も、高校時代も補欠でした。
高校を卒業後、午前中だけコンビニで働いてお金を稼ぎ、それ以外の時間は野球の練習にあてました。3つの草野球チームに所属し、試合にも出ました。
投手としての最高速度は120キロ台で、負け投手になることもしばしばです。打者としては、下位打線で出場していました。
25才になっても、このような生活を続けていたので、それまで付き合っていた彼女に愛想を尽かされ、別れられました。友達にも「キチンと就職しろ、野球は趣味としてするんだ」と説教されます。おだやかな翔平は反論せず、困ったような笑顔を浮かべます。だけど生き方は変えませんでした。
両親としては、早く就職してほしかったのですが、今はあきらめて35才までに就職してくれればと願っています。運気を上げるために、路上で見かけたゴミを拾うようにしていますが、褒めてくれる人はいません。近所の人は、いい年をして野球ばかりしている翔平を、変人だと噂していました。見かねた親戚のおじさんがやってくると、夕食の席、お酒が入っているせいもあって、「翔平、お前は大谷家の恥だ!」と怒ってしまいました。
それでも翔平は生き方を変えませんでした。純粋に野球が好きだったからです。
筋肉をつけるトレーニングをしたおかげで、体が大きくなりました。そして投手としての最高速度が、130キロ台になりました。それが29才になった翔平の自慢です。
そしてある日、アクマとの契約通り、心臓発作で亡くなりました。
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