第5話 花と青虫の関係
一朗が教室に到着した時、男子がざわついていた。
彼らの視線の先に居るのは雪野栞。
規格外の、まるで妖精か天使のような美少女に、皆釘付けとなっていたのだ。
……ま、そりゃそうだよな。
そう納得すると同時に、諦観の念を持ってしまう。
すでに形成されていたヒエラルキーの高い一軍グループのイケメンも、やはり興味を示していたのだから。
俺に勝ち目なんて無さそうだな……。
わかってはいたが、勘違いしてしまうような、そんな出会いだった。
……まあ、夢を見ているくらいは許されるだろ。
いつか雪野に彼氏ができるという、現実を突き付けられるまでは……。
その後担任教師である蓬沢茜がやってきて、一朗達新入生は促されるまま整列して体育館に移動。
そこで催された入学式は滞りなく終わり、再び教室へ。
ロングホームルームでは自己紹介が行われ、そこでも雪野の存在は一際目立っていた。
――そして、一週間が過ぎる。
その頃になると皆が自身のクラス内でのおおよそのポジションを把握し、それぞれが許される範囲内で謙虚に振る舞い、当たり障りのない高校生活を送っていた。
そんな中で雪野は――。
「雪野さん」
「ユキノン!」
「ユキノーン!」
クラスの枠を越え、圧倒的な学年の人気者となっていた。
見た目の小動物的かつアイドル的な可愛らしさのみならず、朗らかで誰とでも分け隔てなく、自ら進んで話し掛けていくような性格ゆえ、こうなるのも当然だろう。
しかも女子だけでなく、男子すらも気軽に話し掛けていた。
そんな様子を一朗は、遠くからそれと気付かれぬよう、机に突っ伏したまま眺めていることしかできない。
……ま、俺にもクラスメイトってだけで親しげに話し掛けてくれたくらいだしな。
もう雪野と話すことなんて、用事でもなきゃないんだろうな……。
一方で、そんな一朗へ話し掛ける奇特な者も居る。
一朗の席が一番前の廊下側ということもあってか、隣のクラスから気軽にやって来るのだ。
「まだ一限目の休み時間なのに、居眠りには早いだろう?」
「……お前か」
「お前呼ばわりかい?」
そう、黒戸だ。
優しげな笑みを携えてはいるが、一朗は彼女の黒い本質を理解していた。
「モテモテリア充陽キャの黒戸さんが何の用ですか?」
「いつにも増して刺々しいね」
雪野には及ばないまでも男子から多くの好意を寄せられ、女子からの好意に至っては雪野すら軽く凌駕している人気者。
雪野と対をなす存在。
そんな黒戸が自身に絡んでくる理由は、同志だからというよりも――。
「俺を人避けに使うんじゃねー」
「あはは、何のことだい?」
「すっとぼけおって」
「一朗の負のオーラがボクには心地いいのさ」
「誰が負のオーラだよコラ? それに心地いいのは人避けになってるからだろうが。お前へのみんなの好意がヘイトになって俺に向くんだよ」
「ふふっ、まあまあ、協力プレイでモンスターを倒そうじゃないか」
「それは助かる……クソ」
一朗のプレイするスマホゲームはリアルでの協力が必要なタイプだったため、黒戸はそれをうまく利用し、理由とした。
「さ、やろうぜ」
「あっ一朗、少し動かないでくれるかい?」
「――えっ」
突如黒戸の細く長い指が目の前に伸びてくる。
あまりのことにフリーズしてしまった一朗。
黒戸は手を離して告げる。
「よし、取れた。抜けた睫毛が目に入りそうだったよ」
一朗はきょとんとしたまま「あ、ああ」と、そう返すだけで精一杯だった。
黒戸は抜けた一朗の睫毛に目を落としながら呟く。
「睫毛、長いね」
「そ、そうか? ま、まあお前には負けるけどな!」
一朗はそう返しながらも、バクバクと今更になって高鳴る心音が聞こえやしないかとヒヤヒヤした。
……こいつ、マジで異性への距離感測る物差しイカれてんな……。
俺が男ってこと忘れてるんじゃ……?
いや、あり得る。
俺なんて男としてカウントしてないからこその油断だろうな。
……クソ、危うく勘違いしそうになるところだったじゃねーか。
黒戸と絡むとこんなことばっかりで、心臓がもたねぇ……。
もはや日課となりつつあるやり取り。
その時だ。
一朗は不意に視線を感じる。
「……」
えっ。
今雪野がこっちを見て……?
視線の主は、まさかの雪野だった。
それはすぐにフイッと逸らされる。
あんまり見られたくない場面を見られたな……。
にしたって、そんなあからさまに目を逸らされるとくるものがあるな……。
「……どうかしたかい?」
その黒戸の声に、ハッと現実へ引き戻される。
「えっ!? ああ、いや別に?」
「……ならいいけど」
「さあ、今度こそやるぞ!」
黒戸のどこか含みのある態度が気になったが、雪野の視線にしろ、これ以上考えても仕方が無いことなので、一朗は頭を切り換えてゲームに集中するのだった。
――異変はこの次の休み時間に起こる。