第9話 「兵器」
眠るように倒れ込んだ人々達には魂の気配が感じられない。
神々もうずくまったり、呼吸が乱れている様子を見るに、多かれ少なかれ影響を受けている。
が、命に関わるような状況に至っている訳では無いようだった。
そんな静まり返った惨状の中、幼い容姿には似合わない知能を持つ一人の神は、変えられようのない事実を悟った。
――この状況をもたらしたのは、紛れもない自分自身、『兵器』であると。
しかし、殺したことへの罪悪感なんてものは感じなかった。
天使を消すことが使命であるドールにとって、それは当然とも言える感覚だ。
殺すことへの抵抗を覚えてしまうのは、使命の邪魔でしかない。
だからなのだろう。何も感じなかった。
ふと、ドールは倒れ込み微動だにしない天使に歩み寄る。
まだ小さな拳を振り上げ、その者の頭部を破壊した。頭蓋を割る音が響き、肉片が飛び散る。
恒術を使用した前例が無いため、万一殺せていなかった場合を考えての行動だった。
ドールは一人残らず次から次へと、狂ったように天使の頭部を破壊する。周りなど気にせず、淡々と拳を振るう。
ドールの衣服に、次々と朱殷の花が咲いていく。
周囲に響き渡る惨い音。それは、他の神にはどのように聞こえたのだろう。
目を血走らせたドールは、また次の天使を――と思ったが、もう残っていなかった。
途端――
「………っ……うっ」
今まであったはずの異常なまでの集中力がぶつりと切れる。
それと同時に、気にも留めていなかった啜り泣く声が、ドールの意識を支配していく。
その音の方を向くと、地面に座り込み泣きじゃくるキールの姿があった。
「――ぁ?」
何か、おかしい。どこかが、噛み合っていない。
この場には、多くの亡骸が転がっている。
この状況を引き起こしたのは、ドールであって。
ドールが、恒術を使ったのは――
キールを、守るためだったはずで。
「――?」
こんな状況、誰が望んだだろう。
この惨状を、キールが望んだのだろうか。
キールの涙を見ればわかる。
――その答えは、否。
ドールの心に影が落ちていく。
守りたいというドールの感情に反し、恒術は無差別的な殺戮を引き起こした。
――『兵器』は守るもの、殺すものすらも選べない。
それに気が付いた瞬間、ドールの瞳に映る世界が色褪せていく。
何もかもが、もう手遅れだった。
傷付けてしまった。気付いてしまった。
もうドールには、確かな絶望しか残っていなかった。
「――――――いやああああああああああああ!!」
崩れ落ち、頭を抱え、喉が張り裂けんばかりに声をあげる。視界がぼやけていく。
吐き出したその感情を、一体何と呼べば正しいのだろう。
兄妹のことは、大好きだった。
当然、傷付けたくない。
それなのに、一番傷付けてしまうかもしれないのが自分自身であって。
与えられた恒術へ、やり場のない苛立ちを覚える。
私の存在意義が『兵器』であるなら、どうして感情を残したのだ。
人間に対して、神に対してすら何も感じないような、ただの『兵器』として生きられたなら。
誰も揺さぶることのできない願望は、他の誰でもない自分自身によって打ち砕かれる。
――兄上達、妹達、皆のことを愛しているのだから。
その想いに応えてくれない恒術を以て、何ができるというのだろう。
――それならば。
結果、この出来事は神の頂であるドールのおぞましい力を知らしめることとなった。
これ以来、とある日を迎えるまで、人々にとってドールは神でありながらも恐怖の対象とされるようになる。
圧倒的な強さが故の『兵器』という異名さえも、人々がドールに向けた恐怖を含めるものと化した。
それともう一つ、明らかな変化が起こった。
ドールが、人々の前に一切姿を現さなくなったのだ。
以前から人間を嫌っていたため有事の際にのみ姿を見せていたドールだったが、それすらも無くなった。
人々の間では様々なくだらない噂が出回っていたと聞いたが、その真相を知るものはほんのひと握りだ。
そんな中、当の本人――ドールは、自ら枷を付けることを選んだ。
これが人々の前から姿を消した理由である。
――ドールは、幽閉されることを望んだ。
初めはこのドールの要求に対して、内部の人間は反対する声を多く上げた。
当然と言えば当然だ。ドールが幽閉されてしまえば、実質的に大幅な戦力が削がれることとなる。
それでも尚、誰よりも権力を持ったドールは揺るがなかった。
この判断が正しかったのか、誰にも、当人さえもわからない。
一つだけ言えるのは、確実に犠牲は減ったことだけだった。
とはいえ、ドールが幽閉を望んだのは人々の犠牲を減らすためではない。人間のことなど、知ったことではない。
――ただ、兄妹達を傷付けないためだった。
そうするためには、きっと、傍に居てはならないのだと。
――それが、『兵器』の運命なのだと。