第8話 「悲劇の主題歌」
闇が街を包み、星が静かに光を放ち、月が柔らかく微笑む頃。
城のバルコニーには、月光に包まれ、神秘的な儚さをまとう少女が一人。
その少女――ドールはグラスを片手に自室のバルコニーの手すりにもたれかかり、ちびちびと果実酒を舐めていた。
「あれは――」
何だったんだろうか。何度思考を巡らせようと辿り着けない答えにドールの表情は曇ったままであった。
あれは夢、なのだろうか。それさえも定かではない。
もう、疲れた。今だけは、酒の甘さに溺れていたい。
グラスに注がれた酒に、月が映る。 ただそれをぼんやりと見つめるだけで、少しばかり自分を騙せるような気がした。
今日は、星がよく見える。この星々も、いつしかは消えゆく。この空も、いつしか新たな星に彩られる。
それがなんだか淋しくて、グラスに残った酒を一気に呷った。
口端を拭い、深く、深く嘆息する。
この空の端が赤く染まったら、全てが始まってしまう。
酷く、憂鬱だ。面倒事なんて、勝手に人間が片付けてしまえばいい。
――そうやって、どれだけ願おうと、叶わないのが現実であって。
何もかもが、嫌でたまらない。嫌いだ。こんな世界なんて、壊れてしまえ。
ドールは全てを塞ぐようにして、腕に顔を埋めた。
――ただ私は、幸せでありたかっただけなんだ。
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どれほどの時間が経っただろうか。
ドールはグラスに酒を注ぐことも、月をぼんやりと見つめることもせずに、顔を埋めたままだった。
誰かに胸の内を吐き出してしまいたい。
しかし、今嘆いたとて、それは夜空に虚しく響くだけであって。
何度も、何度も味わってきたやり場の無い孤独が、ドールの心を蝕んでいく。
緩慢と時が過ぎていく中、突然と静寂が壊れる。
「――ドールさん、今よろしいですか」
扉からノック音が聞こえ、ドールはようやく顔を上げる。
聞こえてくる声は、聞き慣れた――それでも、満たすには十二分だ。
握り続けていたグラスを机に置き、扉へ向かう。
「こんな時間に、申し訳ありません」
扉を開く先に居たのは、頭を下げたガウムだった。
「大丈夫。それより、体は?」
ドールがあの『地獄』に苛まれている最中、ガウムが倒れたと聞いた。
確かに、朦朧とする意識の中でカインドに声を掛けられたのを覚えている。
「カインド様のおかげで今は大丈夫です。器はかなり危なかったようですが」
やはり、カインドがガウムの下へ向かっていたようだ。
苦笑いで話すガウムは、器に蓄積した傷を自覚できていないように見える。
そんな彼女を見ていると、自分の欠点が酷く憎い。
――ドールは、他人の痛みに気が付きにくいようにできているから。
「これからカインド様に治療をして頂くことになったので、よほどのことがない限りは大丈夫かと」
ガウムの腰には小瓶が五本と、ケースに入れられた注射器がつけられている。
小瓶の中には見慣れた赤い液体が入っており、ガウムの言葉も含めて考えると、恐らくこれはカインドの血液だ。
カインドの血液はどんな薬や魔法よりも治癒能力が高い。ガウムの器を治すのならばうってつけだろう。
ドールは再びバルコニーへ出る。ガウムもその後を追う。
「ドールさん」
「ん?」
真剣な眼差しで名前を呼んだガウム。恐らくあの部屋で知ったことについてだろう。
こうなることは百も承知。むしろ、質問が無い方が異常といえよう。
「――何歳ですか?」
「……あー」
深くまで踏み込むような質問をしなかったのに少し驚いたが、確かにドールが記したいくつかの本を読めばこの質問には辿り着くだろう。
記載されている内容の年代が幅広い為だ。
「あんまり覚えていないから大雑把になるけど、千年はいってるかな」
「………!」
ガウムの表情には、驚きと少しばかりの好奇心が入り交じっていた。
年齢については別に隠すようなことでもない。人間も皆、知っている。
「道理で天使の本は年代が広かったわけですね」
「うん、そういうこと」
ガウムはまるで子供のように無邪気な笑顔を浮かべており、――胸が締め付けられる。
ドールはそれをかき消すようにガウムの頭を撫でた。
ガウムはそれを嫌がる様子も無く受け入れる。
ガウムからすれば共に過ごした時間は短いはずなのに、ここまで懐かれると感覚がおかしくなりそうだ。
「それと、ドールさん」
声の調子を落とし、そう切り出したガウム。
先程までの表情とは打って変わり、鋭い瞳がこちらに向けられている。
――きっと、あの質問をされる。
「――ドールさんの能力について、教えて頂けますか」
ドールにとって最も踏み込んだ質問だと言っても過言では無いこの質問。
普通の人間は、気付くことすらできないだろう。
ドール自ら、触れることも無い。
――それでも、ガウムには話しておかなければならないことであって。
あの頃を思い出すと、未だに感情が分からない。ずっと、あのまま時が止まっているようで。
ドールは、深く深く呼吸をする。
傷を癒すためではなく、無理くり押さえ込んだ心を落ち着かせるために、深く深く呼吸をする。
そして、ドールはゆっくりと語り始める。
「――私は」
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ドールは、『兵器』である。
本来、それぞれの神が持つ特殊な能力を『恒術』と呼ぶ。しかし、その呼び方は時代の移り変わりと共に消えていき、現在で知っている者はいないに等しいだろう。
全ての神には、恒術同様それぞれの『使命』が与えられている。
それは、誰に教えられずとも生まれた時から自ずと知っているものであり、生きている意味であった。
恒術は、その使命に準えている。
そんなドールの使命は――『道を踏み外した花々を散らすこと』であった。
花とは、花の一族である天使のことだ。つまり、天使は消せ、という使命である。
ただ、それだけの使命ならばどれほど楽だっただろう。
――そんな使命に準えてドールに与えられた恒術は、他の神と違って周りの犠牲を鑑みないものだった。
『歌声は世を陥れ、白を殺し、人々を血で染め、涙で満たすだろう』
ヤクメに記されたこの文。恒術のことについてだ。
当然、ドールは恒術を一度も使用すること無く禁じられた。
――しかし、一度だけこの約束を破ったことがある。
まだドール達が幼い姿だった頃、パームナの一角で暴動を起こした天使達が居た。三十人程だっただろうか。
何人かの罪なき人々が人質にされ、周囲が混乱に包まれていたことを、今も覚えている。
例え恒術を禁じられようと、神々の中で最も強力であったドールは先陣を切り、淡々と天使達を薙ぎ払っていく。
怯える民衆の視線、殺すことへの抵抗すら眼中に無く、淡々と。
そんな中――
「――!?」
他の神よりも力を持たないキールに、天使の悪意が迫っていた。
きっと、誰もが絶望しただろう。きっと、誰もが後の出来事を考えてなどいなかっただろう。
「――――――!!!!!」
――咄嗟にドールの喉は、美しい歌声を響かせてい
た。
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何が、起こったのだろう。
天使、民衆、関係なく皆倒れている。誰も動かない。
兄上達や妹達も息を荒らげたり、うずくまったりしている。どうしてだろう。
私は、どうして平然と立っているのだろう。
あぁ、そうか。簡単な答えじゃないか。
――私が恒術を使ったんだ。