第7話 「ごめんなさいは終焉にて」
「ガウムの器は……壊れかかっているんだ」
足を床に下ろし、ベッドに腰掛け話を聞いていたガウムは軽く目を見張った。
当の言葉を発した彼は、一切ガウムと目を合わせない。
ガウムの器が壊れかかっている――そんな自覚は無い。軽く体を動かしてみても、何の異常も感じないのだが。
「本当に、この体がですか?」
カインドは、じっと俯いて動かない。
「カインド様……?――っ!」
単純に心配になり彼をよく見ると、膝の上に置かれた手に、大粒の雫が落ちている。
ガウムは、はっとなってカインドの頬を手で挟み、無理矢理顔を上げさせた。
「どうして――」
その彼の顔を見て、ガウムは目を見開く。
――いつもの姿とは対照的に光を失った彼の瞳が、ぼんやりとガウムを見つめていた。
得体の知れない恐怖に襲われ、手を伸ばすのを躊躇いそうになる。
しかし――
「――カインド様!!カインド様!!」
こんな瞳に見つめられるだなんてごめんだ。居心地が悪すぎる。
消して目を逸らさずに、彼の名を呼び続けた。
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視界がぼやけて揺れる。誰かの声がするが何も分からない。ただ虚無感で満たされていく。何も見えない。何も見たくない。消えてしまいたい。何も考えられない。何も考えたくない。嫌だ。逃げ出したい。自分を認識したくない。こんなに近くに居たのに気付けなくてごめんなさい。何も出来ないくせに甘えてごめんなさい。無能でごめんなさい。弱くてごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめ
「――――カインド様!!」
途端、力強い声に意識が引き戻される。
目の前に座っている白髪の少女は胸を撫で下ろし、ベッドに倒れ込んだ。
「良かった……」
理解が追いついていない。否――理解を、したくない。
――今まで上手く塞ぎ込んでいたものが、溢れてしまったという事実を、認めたくない。
「大丈夫ですか?カインド様」
「……ごめん」
「どうして、謝るんですか?」
灰色の瞳に射貫かれる。
今すぐにでもと、醜い強欲が身を焼く。
しかし、今はそんなことが許されるような身分の者同士では無いのだ。
いつしか、彼女が全てを取り戻せたなら。その時まで、お預けだ。
「ずっと、気付けなかった。あれだけ近くに居て、一番に気付けるのは俺で、気付かないといけないのは俺なのに。――出会った時に、気付いていれば」
表情を一切変えることなく、ただ静かに傾聴してくれる。
「カインド様――まずは、ありがとうございます。危ないところだったんですよね。私自身も、気付けずにいたので」
「――っ」
言葉が、詰まる。
「どうしてもっと早く気が付かなかったのか」と責められてもおかしくはない。しかし、彼女はなによりも先に感謝を述べたのだ。
そんな彼女の優しさが、温かくカインドの胸を抉った。
「それと、カインド様。どう足掻いても戻れないことを嘆いたって、私達には進むしか選択肢が与えられていない訳であって。
――あの時、ああしていればと願えるような記憶が無い私に言えたことではないかもしれませんが」
以前、ガウムが同意した上で城の者に記憶が無いことをドールから告げられた。
ガウムは誤った選択をしたことが無い。そんな選択肢すら与えられていない。
――ガウムにとっては、ここに来てからの約一ヶ月が人生の全てなのだ。
「――君の、治療をさせて欲しい」
「私の治療、ですか」
僅かに戸惑った声が返ってくる。
当然だ。普段使っている器がいきなりこんな事を言われてしまったら。
「でも、私が治療を受けるなんて、カインド様に迷惑では?」
位が邪魔をするならばそれを逆手に取ってやればいい。
「お願いだ。神の言うことは無視出来ないでしょ?」
誓った括りが違えど、身分的にはこちらが上だ。
謙虚な彼女は、こうでもしないと動いてくれないだろう。
「……分かり、ました。詳しく教えて頂けますか」
ガウムは若干渋りつつも、頷いた。
本当ならちゃんと説明をした上で納得してもらいたかったが、ここまで状態が酷いとそうも言ってられない。
「ごめん、治療をしながらでもいい?」
「はい、分かりました」
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治癒魔法の柔らかな温かさに包まれながら受けた説明。
それは、ガウムの器は常人では既に死亡していてもおかしくないほど損傷が激しいこと、そしてカインドはそれに対する長期間にわたる治療をしてくれるとのことだ。
治療については二つ。決まった時間での治癒魔法による治療、そして――カインドの血を使った治療だ。
後者についてカインドは、『俺は特殊な体質で、大抵の怪我や病気をこの血肉で治せる』と言っていた。
普通に驚いたが、神は血なんていくらでもくれてやるらしいのでありがたく頂戴しておくことにする。
そんな説明の中でいくつかカインドについての収穫も得られた。
まず一つ、彼は他の神と比べ戦闘面で劣るということだ。全く戦えないという訳では無いようだが、他のドールやテールほど動けないと言っていた。ドールやテールが規格外すぎるというだけな気がするが。
そして、戦闘が出来ない代わりに治癒魔法にかなり長けていること。
彼は最も優れた治癒魔法の使い手だと言われているそうだ。
しかし、彼は自分を下げるような物言いをする。
――きっと、神である彼も劣等感を抱えているのだ。 「兄」という立場がそれをさらに助長させているようにも思える。
治療の話に戻る。
やろうと思えば治癒魔法で短期間の治療が可能らしい――が、それはあくまでもガウムの負担を無視した場合の話である。
治癒魔法は自己治癒力を強制的に強めるというものであるため、過度に使用をすると対象の器を余計に壊しかねない。
とはいえ、早い回復に越したことはない。
そこで、一つ目に挙げたカインドの血だ。
カインドの血液は治癒魔法と違い、完全に外部から干渉する。
つまり、血を与えた対象の負担にはならないため、治癒魔法よりも多く使用できるという訳である。
具体的な治療内容は、活動中の一時間ごとの血液での治療。そして毎晩の治癒魔法による治療だ。
血液は一定の量を注射器で摂取する。最低でも一日に十本の摂取をして欲しいそうだ。
しかし、一時間ごとに血液による治療をしたとしてもガウムの器はそう簡単に治るものではない。
一体、どれほどの時間がかかるのだろうか。
実際に目の前のカインドは戦いに赴くときの分も含め、自ら血液を抜いている。
ガウムは慣れた手つきで細長い小瓶に詰められていく様子をただ呆然と見つめていた。
――何故、そんな都合良く小瓶や注射器が用意されていたのだろうか。
そんな疑問を抱いてもどうにもならないことは分かりきっている。
今のカインドは、かなり不安定だ。変に触発して望まぬ結末を見るのはごめんだ。なにせ、何処に地雷が埋まっているかは、到底ガウムに分かるわけがないのだから。
――ふと、まだ解決していない疑問が浮かぶ。
この疑問なら投げかけても大丈夫だろう。
「カインド様、私はあの部屋で気を失っていたんですよね?」
「……そう、だね」
「――どうして倒れたか、分かりますか?」
カインドの返答は酷く重たい。「もっと早く気が付いていれば」と、彼は今も尚、思っているだろう。
それでも、ガウムはただ真っ直ぐ彼を見つめた。
「――ガウムが倒れたのは、自己防衛の為だ」
カインドから発された言葉は、ガウムの想像と逆だ。単に気を失うほどの損傷を受けていたのだと考えていたが。
「器が本当に壊れてしまう前に仮死状態にする。そうでもしないと――ガウムが、気付かないから」
ガウム自身が器の損傷に気が付かなかったとはいえ、このサインがなければカインドに気付いて貰えていなかったかもしれない。
もしそうなれば今頃――考えるだけでも恐ろしい。
ガウムが有り得たかもしれない現在を考え怖気づく中、カインドは真っ直ぐ、ガウムの瞳を見つめていた。
それなのに、何故だろうか。カインドが見ているのは、ガウムではない気がして。
合っているのにずれる視線に、ガウムは眉を顰めた。
「――よし、これで抜き終わったよ」
「何とも言えない光景ですね……」
赤で満たされた小瓶がずらりと並べられる様子は感覚が狂いそうになる。
当然、この量の血を人間が抜いたら倒れていること間違い無しである。
ひとまず、
「何から何まで、本当にありがとうございます」
「大丈夫。ガウムを喪うことの方がずっと嫌だから」
これからの治療を見据えると、ガウムはカインドの時間を多く奪うことになるだろう。
それでも尚、治療を提案してくれた彼には感謝しかない。
そんなカインドも先程のような生気を失った様子は見られず、いつものように青く透き通る瞳が輝いていた。
「――カインド様、これからよろしくお願い致します」