第6話 「コワレユクモノ」
「……っ!ガウム!!」
床に倒れているガウムを見つけた瞬間、嫌というほど体が脈打ったのを感じた。気が狂いそうなほどの不安感で埋め尽くされる。
薄暗い部屋の中、誰も居ないのを確認し、僅かに安堵した。
しかし、そんな安堵は沈みそうなほどの不安を軽くしてくれるようなものだとは到底言えない。
カインドは、今にも崩れてしまいそうな顔でガウムの下へと駆け寄った。
ガウムのすぐ側に投げ出されているのは、ドールのヤクメだ。
「ガウム!ガウム!!」
何度も呼び掛けるが、ガウムはピクリともしない。
ガウムの口元に近づき、呼吸を確認する。
――全く、呼吸をしていない。
手に触れると、ちゃんと脈があるのが分かる。
それに――今まで平然と過ごしていたのが信じられないほど、器が酷く傷付いた状態だということも。
しかも、この器はかなり前から損傷している。
カインドは、ガウムが生きていることを確認できたことへの安堵と、自嘲が入り交じった吐息をこぼす。
そして、震えた声で呟いた。
「どうして……俺は気が付かなかった…?」
一番に、気が付かなければならないのに。
あれだけ、接する機会があったというのに。
――また、繰り返してしまった。
その結果がこれだ。一体なにが残っているというのか。ただでさえ、何も出来ないのに。
「……でも、今は――!」
そんな弱音を吐いている場合ではない。目の前のガウムの治療をしなければ。
まず言い切れるのが、絶対にガウムは死なない。これだけは、間違いない。
だって――今も尚、薬指に嵌められた指輪が、光を放っている。
しかし、器が壊れたら、彼女が描いた意思も受け止めるものが無くなってしまい、形を成せなくなる。
とはいえ、治癒魔法では時間がかかってしまう。
出発までの時間はそう多くない。ガウムだって、やりたいことはまだあるだろう。
――それなら選択肢は一つだ。
常に腰に括り付けられている小型のナイフを引き抜き、人差し指を深く抉り、瞼を閉じたままのガウムの口を開け、滲んだ血を垂らした。
一時的なものに過ぎないが、これでガウムの器を繋ぎ止めることはできる。
――カインドの血肉は、ほとんどの傷や病気の治療を可能とする特殊なものだ。
それは、他の神と比べまともに戦えないカインドの唯一の取り柄だった。
しかし、ガウムの器はあまりにも損傷が激しい。
この様子だと、かなりの期間をかけて治療をしなければ治せないだろう。
指先からぽたぽたと滴る血液を眺めるカインドの脳内に、重い思考が巡る。
――俯いてしまったら、立ち止まってしまったらダメだと、分かっているはずなのに。
ある程度の血液をガウムの口内に流し終わり、ひゅっと息を吸う。
表面に残った血を舐め取り、深く溜息をついた。
まだ、彼女は目覚めない。
割れ物を扱うようにガウムを抱き上げる。
軽い彼女の体に触れているのが、どうしようもなく辛い。
カインドは重たい器を動かし、ガウムの部屋へ向かった。
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段々と、意識が濃くなっていく。
ゆっくりと瞼を開けると、見知った天井が待っていた。
――きっとここは、ガウムの部屋だろう。
寝台に寝かされているのだろうか。背中に柔らかな感触がある。
――ふと、ぼやけた意識が「温かさ」で輪郭を成す。
体を起こすと――
「カインド様……?」
その「温かさ」の正体は、椅子に座り、手を握ったままガウムの体の上に突っ伏して眠っていたカインドだった。
心地良さそうに眠っているカインドには悪いが、まずは状況を説明して欲しいところだ。
そもそも、何故ここにいるのだろうか。
確か、あの部屋で突然転倒し、そのまま――。
目を覚ませばここに居た、という訳だ。
カインドがここまで運んでくれたのだろうか。
「カインド様ー、起きてくださーい」
カインドの体を軽く揺すると、
「んむ……?」
眠たそうな目を擦り、ゆっくり起き上がるとこちらを見つめた。
「………ガウム!?」
刹那の沈黙が流れた後、はっとして目を見開いたカインドの表情には様々な色が見えた。
――その中に、思わず目を逸らしたくなるようなどす黒さが見えた気がして。
「――」
咄嗟に彼の手を引き、きゅっと抱きしめる。
カインドの体は硬直し、ガウムの手を握る力が僅かに強くなる。
ガウムの腹部あたりに顔をうずめたカインドの表情は分からない。
彼の抱えたものの大きさは、ガウムには分からない。
きっと、その中に弟のこともあるのだろう。
それが、一体どうしたら消えてくれるのかも、分からない。
だから、ガウムにはこれしかできないのだ。
――月明かりに照らされた、あの日のように。
ゆっくり、ゆっくりとカインドの力が抜けていく。
しばらくすると、ガウムの体がじんわりと温かさに包まれた。
「これは?」
「………治癒魔法」
一瞬、躊躇ったことに違和感を覚える。
――だが、それ以前に治癒魔法を掛けられているのは一体どういうことだろうか。
「私、どこか怪我してます?」
「――大事な、話をしよう」
一息間を空け、顔を上げたカインドの青く澄んだ瞳は、今にも壊れてしまいそうな儚さを纏っていた。
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窓から見える白い景色の奥の奥。
それは、気が付かなければ分からないような、自分を誤魔化していれば分からないような程遠くに見える。
それでも、テールの瞳にはどうしても映ってしまう。
――今も、ぎゅっと目を瞑ると浮かぶあの炎が、決して逃してくれないのだから。