第5話 「血に染まった貴方の笑顔は」
これ程、天使について記されているのなら、ダチュラについての記載もあるのではないだろうか。
もしかしたら、何か手掛かりになるかもしれない。
必ず、向かい合わなくてはならない相手だ。
情報が多いに越したことはない。
ダチュラが載っているのだとしたら、最後の方なはずだ。
そう目処をつけ、紙をめくる。
やはり、最後の辺りに『ダチュラ・リシアン(1997~)』と名が載っている。
ふと、ここで違和感が生じる。
この本は、ドールが記したものだったはずだ。
しかし、テルボと時期がかけ離れすぎている。
となると、この本が何人かに渡って記されてきたものなのだろうか。
はたまた――神、ドールの特殊さ故か。
常識的に考えるのならば前者になるだろう。
しかし、ドールは神だ。後者も有り得なくはない。
これに関しては、本人に聞くしか確かめる術がない。
ここで解決出来るような問題ではないのだ。
『一定の範囲に踏み入った対象の記憶から幻を生み出す。この幻は対象にしか見えないものであり、苦痛な記憶から生成されるものである。このような能力から、「幻悪」という異名で呼ばれる。
人型の炎を生み出す特殊魔法使い。』
記されているダチュラの能力は、まさに「幻悪」。
さらに炎を扱えるとなるとは、厄介極まりない。
一体、どれほどまでの人々を傷付けたのだろうか。
押し殺しきれていない苦しみを滲ませて話すカルムアのことを思い出し、深く深呼吸をする。
本当は、もっと吐き出したかったはずだ。
それでも、彼女は前を向いた。
きっと、立場という使命感がそうさせたのだろう。
運命というものは酷で、まだ成長過程と言ってもいいような彼女に重荷を背負わせたのだ。
『また、ダチュラは比較的新しい天使であるため、能力を発動できる範囲など、まだ能力を解明し切れていない。』
未解明の幻を生み出すダチュラ。
対処法が不明な能力を使われた時点でダチュラの掌の上。そのような自体になることは避けたい。
しかし、よく考えればラボに向かうのはあくまでもキールが殺害されるのを阻止するのが目的である。
何かを失うくらいなのなら、特別な理由がない限りは、リスクが大きい行動は起こさないほうが良いだろう。
――つまり、ダチュラを必ず殺す必要はないのだ。
一切の攻撃を行わず、守りに徹したとしても、目標は達成できる。
そういった部分も含め、ドール達に確認をしなければ。
そもそも、キールを救い出すという話を聞いて、ダチュラへ攻撃を仕向けるという先入観があったのがガウムだけなのかもしれないが。
ふと、頭にテールの事がよぎる。
夢の神であるテールの能力が今回の大きな鍵になることは話し合いの内容から考えて間違いないだろう。
テールの能力はどこまでカバーできるのか。それによってはどこまで攻め込めるかが大きく左右される。
ところで、――テールが夢なのならば、他の神は一体何を司る神なのか。
「そんな都合よく分かるものじゃないですよね――あ、『ヤクメ』」
自分で否定しようとしたが、都合のよさそうな本があるではないか。
もしかしたら、それぞれの神が司るものもヤクメに記されているかもしれない。
「………!」
手に取った瞬間、途端に重苦しい空気が肺を満たす。
他の本と何ら見た目は変わらないドールのヤクメ。
しかし、帯びている空気がまるで違う。
そのためか、躊躇いが生じる。
――本当に、開いていいのだろうか。
もしそうなのだとしたら、カインドが何も忠告せずガウムをここに残す訳が無い。
そう、カインドを信じて迷いを晴らす。
『歌・ドール』
表紙をめくった先で目に付いたのは、きっとガウムが探していた答えだ。
もし、そうなのだとしたら。
「歌の神、ドール…」
神の中で最も力を有するドールが司るものは『歌』。
新旧のヤクメで司るものの違いがあったとしても、この古いヤクメしかないため今もドールは『歌の神』であるはずだ。
一体、どんな能力を使うのだろうか。
ヒントになりそうな文が――
『歌声は世を陥れ、白を殺し、人々を血で染め、涙で満たすだろう』
「あ……………?」
思わず、声が漏れる。
この文をそのまま汲み取るのならば、ドールの能力は、誰かを傷付けるものだ。
それは、ドールからは想像できない文であって、ガウムには到底呑み込めない。
もし、文の通りなのだとしたら。その力を、躊躇いも無く使うような人だったとしたら――今までの笑顔が嘘になるではないか。
彼女の強さならば、命を奪うことなど容易いはずだ。
しかし、人々の上で在り続けるドールがそんな人だったとしたら――この世界はとっくに壊れているだろう。
とはいえ、いくらドールのことを信じようがこの記述は変わらない。
もし聞けるのならば、しっかり本人からの話を聞きたい。
しかし、思わぬ自体がガウムの意思を拒む。
「――っ!」
何の前触れも無く、視界がぐらつく。
立ち上がろうとしたが、体が動かない。誰かを呼ぼうにも声すら出ない。
誰かが気が付いてくれないと、出発する前に確かめたかったことも、何一つとして叶わなくなる。
――何の行動も起こせない。
徐々に視界がぼやけていく。脱力しきった体は何の役にも立たない。
瞼が、重い。そのまま意識が遠ざ
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――この感覚に襲われるのは、いつぶりだろうか。
さあっと血の気が引くような埋めようのない不安に支配され、体が強張る。
「カインド様……?」
僅かな異変を感じ取ったカルムアが、眉間に皺を寄せてこちらに問いかける。
「ん……」
「何かあるなら、そっちに行ってもらっても構わないですよ。ドール様のことは、ちゃーんと傍に居ますから」
ドールの状態が急変してからしばらく時が経っているが、未だ呼吸を続けており、回復が遅すぎる。
最初から改善されているとはいえ、心配なものは心配だ。
普段の彼女なら、四肢を吹き飛ばされようが、呼吸ひとつで瞬時に回復し、何も無かったかのように敵中へ飛び込んでいく。
それでも――この胸のざわめきは、到底無視できるようなものではないのだ。
「……ドールのこと、頼んだ。何かあったら絶対呼ぶんだぞ?」
「分かってますよ。カインド様も、何かあったら知らせてください」
ドールのことは気がかりだが、カルムアならば大丈夫だろう。
そう思い、カルムアの言葉に頷く。
ずっと掛け続けていた治癒魔法を止め、苦しそうな表情が消えないドールの額に、自分の額を合わせる。
「ごめん、ちょっと待ってて」
「分かり…ました」
弱々しく微笑むドールを見ていると、胸が締め付けられる。
でも――行かなければ。
「じゃあ、行ってくる」
カルムアの頭をぽんと優しく撫で、扉を開く。
一刻も早く、戻らねば。そう思い、カインドは――ガウムがいるであろう部屋へと駆け出した。
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淡く輝く涙青石に触れると、瞬時に光に包まれる。
光を抜けた先には――
「……っ!ガウム!!」
僅かな動きすら無く倒れているガウムを、ただ部屋の中央で柔らかく光を放つ涙青石が照らしていた。