第2話 「揺れる瞳」
「ここが……」
階段を上がり、長い廊下を抜けた先で見つけた部屋。
――ガウムは、ドールに言われた城の最上階にある部屋の前に居た。
ドールがあんなにも暗い表情をして、瞳を揺らがせて話すのは初めて見た。
一体、ここには何があるというのか。
目の前の扉は、ホワイルティにある他の扉と全く同じものだ。
それでも、纏っている雰囲気が違う。
でもそれは、重く、冷たい厳かなもので、不思議とガウムに馴染んだ。
――まるで、ここを知っていたかのように。
「……?」
独特な雰囲気を帯びた扉を開いた先は、闇で満たされていた。本当に、何も無い。
何故だろうか。ここにいると、全ての感情の起伏が消えてしまう。
それなのに、居心地が悪い訳では無い。
寂しいような、冷たいような孤独で満ちた空間にただ1つ、淡く光を放つ涙青石が浮かんでいた。
ガウムは、何ひとつ無いこの空間で輝く涙青石から目が離せずにいた。
いつの間にか、その涙青石に触れていた。
すると――
「っ!」
今まで淡かった涙青石の光が突然強く、視界を焼くようなものになり、何も無い空間を痛いほどの白で包み込んだ。
咄嗟に瞳を手で守る。あまりの眩しさに目が開けられない。
何秒か経ち、瞼を閉じたまま手を離す。涙青石の光は消えているようだった。
胸を撫で下ろし、ようやく瞼を開けると――
「――ここは?」
目の前にあるのは、先程までの何も無く、ただ闇が広がる空間とはまるで違う。
薄暗い部屋の中央には、異質な雰囲気を纏った薄い青の透明な丸い物体が浮かんでいた。ガウムの身長よりも大きい。
その丸い物体の中にも柔らかく光る涙青石が浮かんでおり、部屋を微かに照らしている。
ガウムの剣に使われた涙青石よりも遥かに大きい。
ここまで大きな涙青石を見たことがない。
さらに、その物体を取り囲むように本棚があり、そこにはたくさんの本が並べられていた。
その本の背表紙に書かれている文字は、ほとんど見慣れないものばかりだった。
しかし、違和感なく読めてしまう。記憶を無くす前に関連しているのだろうか。
「――え?」
ふと、声が漏れてしまった。
無数に並べられた本の中に、名前が刻まれたものがいくつかある。
――そのうちのほとんどが知っている名前だった。
「ドール、テール、キール、………、ツール、カインド、ディスカ、プルア」
知らない名前はあるが、このどれもが人物の名前であることは確信が持てる。
それに、馴染みのある名前が挙がっているのが、かなり驚きだった。
しかし、本になっているのには十二分な理由があるだろう。
何故なら、彼女らは神であるのだから。
そのなかで一冊だけ、文字が読めないものがあった。
開いてみると、
「何も、無い」
まっさらな、白紙だった。
神の名が記された本が連なる中に存在する白紙の書。
それが、単なる間違えでは無いように思った。
恐らく、これも神の名が記されていたのだろう。
――この本を見つめていると、胸にぽっかり穴が空いたような気分になる。落ち着かない。気持ちがどうも不安定だ。
「――やっぱり、ここにいた」
扉の方から声が聞こえ、咄嗟に振り返る。
そこに居たのは、カインドだった。
「カインド様…」
「ごめんね、びっくりさせて」
「いえ。――カインド様でよかったです」
カインドは柔らかく微笑むと、本棚にゆっくり歩み寄った。
「ガウムも気づいてると思うけど、そこに並べられている本は、全部神の名前」
「そう…ですよね」
「神には、必ず『ヤクメ』という本を所持していて、そのヤクメが、そこにある本だ」
「ヤクメ……」
背表紙に刻まれた名前は、その神のヤクメである証だろう。
「ヤクメは、誰が書いたのか分からない。それでも、ヤクメがないと神は本来の力を使うことが出来ない。――厳密には、この部屋にヤクメがないと、ね」
この部屋でしか効果を発揮できない本。一体なぜだろうか。
しかし、考えても分からない話を考え続けたって、ただ時間は過ぎていくばかりだ。
「びっくりするかもしれないけど、ドールはヤクメがここに無いんだ」
「………?」
ドールのヤクメがこの部屋にない、という時点でガウムの認識と齟齬が起きる。
だって、確かにドールの名が刻まれた本があったはずで――
「ドールのヤクメは特殊で、他の神々が一冊なのに対して新旧、二冊分ある。ドールは本来、新しいヤクメの力を使うんだけど――」
「つまり、ここにあるのは古いヤクメ…」
「だから、今は古いヤクメに記された能力しか使えない」
頷くカインドの言葉を零さぬように、必死に耳を傾ける。
と、ここで必然的に出る疑問が湧く。
「どうして、無いんですか?」
「――天使に、奪われたままで」
王族を殺し、カルムアを涙に溺れさせた元凶、ダチュラ・リシアンの話でも挙がった天使。
カルムアが「この世の悪」と説明をした天使の存在は、ドールの力までをも奪っていたのだ。
「天使は、元を辿ると王族と同じ血が流れている」
王族を殺した天使に、同じ血が流れているとは、あまりにも想像が出来ない。
「元は、天使もいい子達ばかりだったんだけどね。ある事をきっかけに、天使は孤立した存在になったんだ」
どこか寂しそうに、カインドは言葉を紡ぐ。
「――天使の全ては神の復活のために」
「神の復活?」
ドールや、カインド自身だって神なはずだ。
それなのに、何故「復活」という言葉が出てくるのか。
「……あった。天使のことが記されている本。確かドールがまとめたものだったはず」
「ドールさんが…」
「全部、これを読めば分かるから」
――こちらを見つめるカインドの眼差しは、ガウムに最上階に行って欲しいと話した時のドールの瞳と似ていた。
2024.12.28
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