七十一話 自分勝手
「あの、私、一度元の空間に戻ります」
「え……ええ!?」
望緒の唐突な宣言に、真澄は大きな声を上げて驚く。当たり前だ。今まで苦労してきた世界に、また戻ると言うのだから。しかも、こんな忙しい時に。
「あ、ごめんなさい。えっと……八下の頭部、持ってこようと思って……」
その説明で、真澄の頭に更にハテナが浮かんだ。この子は何を言っているんだろうとでも言いたげな顔をしている。
「あ、でも頭部持ってくるだけじゃダメか……えと……。あ、あの四肢と胴体用意しといてもらえますか? あ、でも怪我人を真澄さんに全任せするのもダメか……」
「ちょ、ちょっと待って? 多分、さっき八下様と話してたのよね? そこまではいいの。ただ、その後がまったくわからないわ……」
「あ、そ、そうですよね! すみません! えっと––––」
望緒はなるべく急ぎ足で、八下の頭部がどうして元いた空間にあるのか、どうして戻る必要があるのかを説明した。
その説明でようやく、真澄の困惑した表情が収まったように見える。
「わかった、向こうの空間に戻り理由は、大体わかったわ。ただ……」
この人数の怪我人を、一人で対処はしきれない、ということだろう。それは望緒も不安である。もし、ここで望緒が行ってしまい、対処が遅れて死者が出てしまったら、大変なことだ。
二人が迷っていると、部屋の襖がバンッと大きな音を立てて開いた。その方向を見ると、そこに立っていたのは、朝陽によく似た顔立ちの女性であった。
「私も手伝います……!」
「あ、晃那さん!? と、ご当主……」
よく見ると、晃那と呼ばれた女性の後ろには、雷久保の当主がいた。
晃那と呼ばれた女性は、恐らく朝陽の母親だろう。
「私たちも手伝おう。二人だけに、このような人数を任せるわけにはいかないからね」
「で、ですが、ご当主も晃那さんもそんなにお身体が強くないでしょう」
「いいえ、皆様のためなら、私の身体などいくらでも差し出しましょう!」
そう息巻いてはいるが、既に疲れていそうである。走ってきたのだろうか。
「基本は私が動こう。もう私も前線に走れるような身体ではなくなってしまったが、このぐらいなら動けるさ」
「ありがとうございます。じゃあ、とりあえず望緒ちゃんを向こうに戻して、それから八下様の四肢を……」
真澄はブツブツと小さく言葉にしながら、何をしていけばいいかを、一つ一つ把握していく。
ただ、ここで一つ懸念点があるのだ。他の四家にいきなり四肢を貸せなどと言っても、はたして彼らが素直に応じてくれるだろうか。
出水は爽玖も闇戸もいるから、もしかしたらなんとかなるかもしれないが、風宮と雷久保はどうだろうか。
少なくとも、風宮は絶対に応じない。望緒、もしくは石火矢の妄言だと切り捨ててしまいそうだ。
『俺の頭部見せてもダメ? 闇戸に確認してもらったらわかるだろ』
「––––って言ってるんですけど……」
「それでもいいかもね。なら、出水に行かないと行けないわ。お義父さんも連れて行ったら、どうにかなるかしら……」
しかし、雄太郎も連れて行くとなると、また一から説明をしないといけない。そこまで時間をかけているほどの余裕は、流石になかった。
「望緒ちゃん、こっちのことはこっちでどうにかする。だから、あなたははやく向こうへ行って」
「わかりました……!」
望緒が返事をすると、真澄は彼女に一つの御守りを差し出した。
「これは?」
「ただのお守り。……絶対に、帰ってきてね」
「……はい」
「じゃあ、瞳を閉じて。向こうの空間の景色を思い浮かべるの」
望緒は言われた通りに目を閉じた。十数年過ごしていたあの町を、鮮明に思い浮かべる。あの日、ただ呆然と歩いてたどり着いた廃神社を。
「こっちのことは心配しないで。八下様を探してあげて」
「……うん」
そう返事をすると、望緒の姿は、八下の創ったこの空間からいなくなった。
彼女が目を開けると、目の前には見慣れた空間があった。場所は小さい子たちがよく遊ぶ公園だったが、明け方のため、誰もそこにはいなかった。
どうやら、場所はランダムで転移するらしい。
望緒はすぐさま走り出して、あの日、石火矢へ行くための足がかりとなった廃神社へ向かった。
もう日は昇り出していて、紺色の空はオレンジ色へと染め上げられている。
あまり人目についてはいけないと、彼女はなるべく急ぎめに神社へ向かった。
「あそこの公園から神社って、割と離れてるんだよね……」
望緒は息を切らしながらそう呟く。走っていると、ようやっと神社の階段が見えてきた。それを見た望緒は、パッと晴れやかな顔になる。
「あれ、お前……」
後ろから声が聞こえてきた。望緒はその声を聞いて、顔から一瞬で笑顔が消えた。後ろを振り向いて、声の主を見る。そこにいたのは––––
「秀……」
彼女の弟だ。彼女よりも優秀で、なんでもできて、両親からも愛されてやまない、彼女が持っていないものばかりを持つ弟。
あの日の悪夢以来、弟のことなど考えたことはなかったから、すっかり忘れていた。
今、望緒は思い出したが、秀は早朝にランニングをするのが日課だった。今もその真っ最中なのだろう。
寒さ対策のウィンドブレーカーを着ながら、鳩が豆鉄砲を食らった顔をして、立ち尽くしていた。
「おま、今までどこいたんだよ。てか、なんで巫女の服着てんの」
「いや、それは……」
望緒が言い淀んでいると、秀は勢いよく彼女の腕を掴む。
「いいからはやく帰るぞ。お母さんたちにどんだけ迷惑かけたと思って––––」
「お母さんたちが探してるのは、世間体が悪くなるからでしょ!?」
「……!?」
急な大声に、秀は驚く。ただ単純に大きな声だったからじゃないだろう。今まで何も言ってこなかった姉が、急に大声を張り上げたのだ。驚くなという方が無理な話。
「私、やっと私のことを見てくれる人たちに出会えたの。お母さんたちみたいに無関心じゃない。優しさに溢れてる」
「はあ? いきなり何の話だよ……」
「私は私の居場所を見つけたって言ってるの。だから、家には帰らない。もうここにも帰らない!」
「そんな自分勝手、許されるとでも思ってんの!?」
「自分勝手なのはお母さんたちの方でしょ!? 望んでた性別の子どもが産まれたら、望んでなかった方はもういらない。そんなんありえないでしょ!? これを自分勝手って言わなかったら、何を自分勝手だって言うの!?」
そう叫ぶ彼女の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。彼女の必死の訴えなのだろう。今まで嫌でも受け入れてきたそれを、今ようやっと言えている。
その訴えに、秀は何も言わなかった。何も言えないのかもしれない。
今までの生活の中で、彼は望緒について、何を思っていたのだろうか。それは、彼にしか知りえないこと。
「とにかく、私もう行くから」
望緒は腕をバッと振り払い、神社の方へと体を向け、走り出す。しかし、数歩進んだところで立ち止まり、秀の方へクルッと向き直った。
「せいぜい苦しんで生きてよね!」
そう言った彼女は、うっすらと涙を浮かべながら、大きく笑って言って見せた。
そしてまた神社の方へと向き直り、走り出して行った。
あれを言う必要はなかったかもしれない。あってもなくても、彼らは変わらない気がするから。でも、言っておきたかった。
廃神社の階段を上がっていく姉を見届けた弟は、何も言わずにただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。




