六十六話 楽に
「ん……」
望緒が目を開けると、そこは雷久保の借家だった。記憶を辿ると、あの後すぐ眠気に襲われ、そのまま眠ってしまったようだ。
静寂の中、望緒は布団から出る。肌寒い空気が、彼女を包み込んだ。
布団をしまい、着替えるが、どこかボーッとしている様子。だが、それは眠いからでは無さそうだ。
––––周りの人間のわがままが、身勝手さが、二人を苦しめたんだな……。
そう思ったら、悔しいような悲しいような感情が芽生えた。
自分はこれからどうすればいいのだろうか。語り継ぐと言ったはいいが、具体的に何をしたらいいかなど、何も考えちゃいない。
「まあでも、名前だけでも伝えていくっていうのは、大事だよねえ」
巫女服に着替え終わると、望緒は朝食を取りに行く。その時、真澄の顔を見てふと思った。
火夜や八下のことは、話しておくべきではなかろうかと。このまま話さないでいて、いざという時がきたらどうするのだろう。彼らは何も状況がわからないまま、事を済ませなければならなくなってしまう。
そうならない為には、話しておくべきなのだろうが、嘘を言っていると思われるのも怖い。彼女らに限ってそんなことないというのはわかっているが、過去の経験が彼女を縛り付ける。
それに、こんな重要な話、話しておかなければならないのは、真澄たちだけに留まるはずもない。
きっと、出水やここ雷久保、加えて嫌な思い出しかない風宮にも伝えなければならないはずだ。そう思ったら、望緒はさらに言うのが億劫になっていった。
––––でも、言うとしたら八下にも一応許可はとっておいた方がいいかな……。
一応、他人の話を他人にするのだ。本人に許可は取っておくべきかもしれない。
そんなことを悶々と悩んでいると、真澄が話しかけてきた。
「ごめんね、望緒ちゃん。今日、私はやめに神社行くわね。一緒にご飯食べられないけど……」
「あ、わかりました。行ってらっしゃい」
望緒が言うと、真澄は足早に家を出ていった。結局、ここでは言うか言わないかの判断を下すことはできなかった。
「飛希にも、念の為に相談しておいた方がいいのかなあ」
◇
「あーもう、疲れたー」
「おかえりなさい。お疲れ様です」
いつも通り授与所で座っていると、“念”の退治に行っていた朝陽が戻ってきた。ここ連日、“念”がよく出現する。原因は、八下がいないことで不安定さに拍車がかかっているから。
望緒はそれを知っているが、他の者は何も知らない。そのため、向こうの空間で“念”の出現頻度が増えるほど、気を病む人間が多いのではという見解。それも事実ではあるだろうが、真実ではない。
これを解決するためにも、早め早めに言っておかなければならない。
「すみません、私もお手伝いできたらいいんですけど……」
「いいのいいの。望緒ちゃんに迷惑かけるわけにはいかないし、人が来てここに誰もいなかったら、村人たちも不安がっちゃうでしょ?」
「それはそうですけど……」
せっかく結界術を習得でき始めたのだから、自分も何か役に立ちたい。しかし、出しゃばるのは良くない。それで足を引っ張ったら元も子もないのだから。
「もー、そんな顔しないの! 望緒ちゃん可愛いんだから、笑ってた方がいいよ。ねっ」
朝陽はそう言って歯を見せて笑う。望緒はそんな彼女を見て、顔を綻ばせる。
彼女の笑顔は優しくて、相手のダメなところも全て包み込めるような温かさがあった。
今日はそれ以降、“念”が現れることはなく、いつも通り日常が過ぎていった。
望緒は帰路につくと、ふと考えた。昨日の今日で八下に説明してもいいかと聞くのは、どうなのだろうかと。
やっとの想いで話したことを、軽々しく話していいものだろうか。重要な内容ではある。しかし、簡単に話してしまうのも、気が引けることだった。
家に戻ってからも、飛希が目の前にいるというのに、悩んでいることが原因で、会話が弾まない。
最近は仕事が終わってから、望緒と飛希、どちらかの部屋で話すのが日課になっている。望緒はそれに、嬉しさと同時に緊張のようなものを覚えていた。
「元気ないね。大丈夫?」
「あ、ごめんね。大丈夫、ちょっと疲れちゃってるだけだと思うから」
「最近忙しいもんね。“念”もよく出るようになったし……」
「そうだね。……あの、さ、もうちょっとだけ、近づいてもいい?」
望緒の唐突な質問に、飛希は少し目を見開いたが、すぐに優しい笑みを浮かべる。
「いいよ」
言われると、彼女は遠慮がちに近づく。飛希に近づいた安心感からか、彼女は彼の肩に頭をくっつけて身体の力を抜いた。
今、望緒に降り掛かっているストレスが、少し楽になるような感覚がする。
「……ごめんね。もうちょっとだけ、こうさせて……」
「……うん」
そう返事をして、飛希は軽く望緒の背中に左手を添えた。彼女が頭を当ててきたのが、胸の辺りでなくて良かったと、飛希は心底思った。
◇
丑三つ時、森の中で、少年が木の上に座っている。細く白い脚をブラブラとさせながら、何か子守唄のような鼻歌を歌っていた。
「もう少し、もう少しで集まりきる……」
そう呟いて、少年は不気味に微笑んだ。




