六十四話 なんで
『火夜は不義の子』、本にはそう書かれていた。単語の意味はよくわかっていない。だが、なんとなく内容はわかる。自分が生まれたのは、母親たちのわがままである。
「お母さんたち、自分たちが悪いじゃん……」
母は自分を見てくれているようで見ていない。自分が規則を守らず産んだというのに、保身にはしってまともに話してくれない。
最低限の世話ぐらいしかしていないのではなかろうか。
そして、火夜の目にはもう一つの内容が目に入る。それは、力の出処が八下であるということだ。
そもそも、規則が生まれたのは、八下が“力”を与えたからだ。そこから人間が規則を作った。
「じゃあ、全部あいつのせいだ……」
これを聞いた者はきっと、飛躍しすぎだと口々に言うだろう。しかし、彼はまだ子どもであり、心に余裕のない状況だ。正常な判断など、できるはずもない。
現に彼の瞳には光など宿っていない。何もかもを吸い込んでしまいそうな、真っ黒な瞳。
火夜は考えた。これら全てを壊してしまおうと。彼の心は限界だった。齢十にして、絶望の縁に立ってしまった。それ自体はそれほど珍しくないのかもしれない。
しかし、自分が必要のない存在だと、成長するに連れて自覚するのではなく、外部から知らされるのは、また別の話なのではなかろうか。
ただ、彼はこの世界の壊し方なんて知らない。母親たちの殺し方なんてわからない。だって、まだ子どもだから。
ボーッと歩いていると、誰かとぶつかった。八下だ。
「あ、ごめんな」
謝った八下の後ろから、石火矢の当主が後ろから彼の背中を押して、前に進めるよう促す。
「ささ、八下様、はよう行きましょう」
「え、ちょ……」
まるで、八下を火夜から遠ざけているかのような行動である。火夜はそれを横目で恨めしそうに見ていた。黒い瞳は、しっかりと彼らを見据えている。
彼が家の中に戻ると、母親がいた。彼女は火夜を見るなり、硬直する。そして、そのまま何も言わずに立ち去った。
火夜は目を見開き、悔しそうに唇を噛み締めた。
その晩、火夜は布団に入るも、眠りにつかなかった。
「なんで……」
––––なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで
どうして自分がここまで苦しまなければならないのかが、全くわからなかった。別に、自分が望んで産まれてきたわけではない。いや、産まれたのは、記憶のない頃の自分が外に出たいと願ったからではある。
しかし、産むと決意したのは母親だ。浮気相手との間に出来た子だとわかっていながら。その後の事と火夜がどのような扱いを受けるかも想像しなかった。せずに産んだ。しようともしなかった。
火夜は悔しいのか悲しいのか、はたまた怒りなのかわからない涙を流した。声を押し殺しながらも、嗚咽を漏らす。
––––憎い。お母さんもお父さんもおじいちゃんも、八下も……全部!
そう考える火夜の涙は、次第に火へと変わっていく。そして、力が暴発した。爆発のように炎が辺り一帯に広がったのだ。火夜本人は、なんとも無い様子。
当然、就寝していた皆は驚きの恐怖の声をあげながら、外へ避難していく。しかし、火の回りは予想以上にはやかった。
原因は、「力の暴発」。火夜が扱えるのは火だけではない。風もだ。風によって火の回りが早くなってしまっている。
「……ふふ、ふふふ。あははははははは!」
不測の事態。しかし、火夜にとってはまたとない好機だ。思わず笑いが漏れる。
彼は自分も火の手に巻き込まれてはいけないと、周りと同様に外に出た。すると、屋敷を呆然と眺める祖父と血は繋がっていない父––––本来の母親の婚約者––––がいた。
祖父は外に出てきた火夜を見るなり、大きな声で怒鳴った。
「お前のせいか! お前がこうしたのか!?」
顔を見るなり疑うのは人としてどうなのだろうか。火夜はそう思うも、間違いではないので、こくりと頷いた。
すると、祖父の顔は見る見るうちに赤く紅潮していく。
「巫山戯るな! いくらここが憎かろうと、ここまでする必要がどこにある!? お前は馬鹿か!? 馬鹿なのか!?」
罵倒されるが、火夜は何も言わない。下を向いたまま。祖父はその態度にさらに怒り、声を張り上げる。
「おい! 聞いて––––」
そこまで言った瞬間、祖父の眼前に炎を纏った火夜の手が伸びていた。そのまま顔を小さな手で鷲掴みにされ、全身に火が燃え上がった。
祖父は耳をつんざくような断末魔をあげ、膝から崩れ落ちた。火で燃やされるというのは、刑罰にもされるほど、きついものである。首を切り落とされるように、すぐに死ぬことはできないから。
隣にたっていた義理の父は、すぐに逃げた。赤子を連れて。あの赤子は、火夜の弟であり、正式な跡継ぎの子。結局、火夜は石火矢を継ぐことはできないので、母と義理の父は嫌でも子を為さねばならなかった。
火夜は手を伸ばし、しかしすぐに下ろした。殺す気にはなれなかった。別にさほど義理の父と弟を憎んではいなかったから。
祖父の断末魔が聞こえなくなり、呆然と逃げていく彼らの姿を見ていると、後ろからズリズリと音が聞こえてきた。
振り返るとそこにいたのは、崩れかけている屋敷から這いずり出てきた母親であった。
彼女は祖父のように焼け焦げてはいないが、脚はもう使い物にならないほど黒くなっていた。息も絶え絶えだ。時期に死ぬ。
八下の方へ行こうと思い、火夜は冷たい目で母親を一瞥したあと、前に進もうとする。すると、後ろから母が小さな声で何かを言っているのが聞こえた。
「ごめんね……ごめんね……」
そう何度も繰り返す母親に、火夜は憤りしか感じなかった。自分が悪い癖に、何を今更とでも言いたげに歯を食いしばった。
その場に留まって、母親が息絶えるのを待とうかとも考えた。しかし、待っている間に他の者に来られても困る。義理の父が逃げたのだ。助けを呼びに行った可能性は大いにあった。
火夜が一歩進もうとしたその時、目の前に誰かが立っていた。脚で何となくわかった。火夜は憎しみのこもった目をしながら、顔を上げる。
目の前にいたのは、八下だった。
彼は酷く驚いたような表情をしていた。何がどうなっているんだと、そんなことを考えていそうな表情。前にもこんな顔をしている時があった。
火夜の能力が発現してから、四家で話し合いが行われた時のことだ。あの時も、状況が飲み込めていなかった。
そんな状況を理解しようとする八下の眼前には、炎を纏った火夜の手が迫っていた。八下はすんでのところでそれを避ける。
一瞬の出来事だった。目の前に来るまで、全く見えなかったのだ。それほどまでに、火夜の力は暴れている。
「お前はいつもそうだ! 神のクセして何も知らない、何もわかってない! お前がこんな空間を作んなかったら、僕はここまで苦しむことなんてなかったのに!」
「それは……」
八下も考えなかったわけではない。自分のせいでああなってしまったのではないかと、何度も考えた。
しかし、自分だけが悪いのかと、四家の人間は何も悪くないと言えるのだろうかと考えているうちに、こんなことになった。
彼がそんな思いを巡らせている間にも、火夜は何度も襲ってくる。火の雨、風の斬撃、どれも当主たちが教えていないものばかりである。
どれもこれも、火夜が勝手に覚えただけ。才能はあった。真っ当に育っていれば、“念”を多く倒せただろうに。
「頼むからおちつ––––」
「うるさいっ!」
火夜が叫ぶと、風の刃が八下の左腕を切り落とした。彼はあまりの痛みに、声にならない声を上げる。火夜はその光景を見て、やってしまったという後悔と、ざまあみろという嬉しさが一度に顔に現れた。
「はははっ、あははははは!」
火夜は思わず笑う。
「お前が……お前が悪いんだ。お前がこんな“力”を与えなきゃ、こんなことにはならなかったのに!」




