五十九話 守れるように
「あの、一回やってみてもいいですか!」
望緒は思わず口に出す。いきなりできるわけないとは思いつつも、やってみたいと思った。
朝陽は驚きの表情を見せるが、すぐに平常に戻り、わかったと頷いた。
望緒は先程朝陽にもらった札を一枚手に取った。それをいつもの様に、人差し指と中指で挟み込み、目を閉じる。
暗闇の中で、彼女は霊力の流れを掴んで移動させる。そして、想像をした––––幼い自分を守る想像を。
––––多分、私はまだ他人を守る想像はできない。自分も守れないような人間が、他人を守るだなんて、できるわけないもん。
ただ、今はそれでいい。これが最善だ。一歩ですら踏み込めないような人間が、その先に進むことなんて甚だ出来るはずもないのだから。
そう考えながら霊力を流し込むと、札の文字が赤く光る。また別の想像をする。おぞましいほどの冷たい視線の雨から、自分で自分を守る想像を。
するとその時、望緒の周りに赤く透明な半球が現れた––––結界だ。
望緒は目を開ける。自分でも驚いていた。本当にできるなんて思ってもいなかったから。
「……す、すごい! すごいよ、望緒ちゃん!」
朝陽がキラキラとした目で喜ぶ。今にもだきつきそうな勢いだが、必死に抑えている。
「しかも半球だよ!? 初めはほんとに“壁!”って感じの人が多いのに、いきなり半球だなんて! もう天才!」
望緒は慣れない褒めに照れくさそうにする。すると、結界がシャボン玉のように崩れてしまった。気が緩んでしまったのだろう。
「割れちゃった……」
「気緩むと意外とすぐに割れちゃうんだよね、これ。だから、実践する時は結構集中してないとなの」
「そうなんですね……」
望緒は果たして自分がこれを維持できるのか、とても不安になる。なにせ、人生で一度も霊力というものを扱ったことがないのだから。
「でも、できたってだけで大きな進歩だよ。この調子でやってこ」
「はい……!」
◇
––––そういえば、あの時以来、八下が自分から声かけることってないな。あの時は偶然だったのかな?
望緒は部屋で寝る準備をしながら、ふとそんなことを考えた。
あの時、八下は「嫌な予感がして」と言っていた。何度も声をかけていたから、話すことができたのだろうか。
「わかんないなあ……」
そんなことをつぶやきながら、望緒は布団に入って目を閉じた。
◇
「ん……あれ……」
目を開けると、そこは白い空間。八下の精神世界だ。
望緒は体を起き上がらせる。すぐ先に八下がいるのだが、俯いてボーッとしていて、望緒が起きたことには気がついていない様子だった。
その瞳はどこか虚ろで、今まで共に過ごしてきて、こんな表情をした八下は見たこともなく、望緒は少しばかり目を見開いた。
「……八下?」
望緒が名を呼ぶと、八下は焦ったようにパッと顔を上げた。
「あ、ああ……望緒。起きたのか」
「うん、ついさっきね。……どうかした?」
「いや、なんでもないよ」
嘘、望緒はそう思うが、口には出さなかった。言いたくないのなら、無理に言わせる必要はない。
「ちょっと聞きたいんだけどさ」
「ん?」
「望緒はなんで俺が、人間のせいで戻りたくないってわかったの?」
「え……。あ」
一瞬何を言っているのかわからなかったが、すぐに思い出した。
たしかに、望緒は自身の“念”に覆われる直前に言った。
「えっと……」
望緒は言うのを躊躇った。本を読んでいたことは、八下に無闇に話さないと決めていたから。しかし、それは何の為だったか。
元は、勝手に八下やこの空間について調べていることを彼に知られたら、もう二度と話せなくなるかもしれないという不安があったから。だが、今本人に聞かれている以上、隠す必要性は特に感じない。
むしろ、ここで話さない方が不自然である。
「……あのね、なんで勝手にって思われるかもしれないけど、私、この空間のこと知りたくて、それで八下のこともだんだんと知っていったの。八下が戻りたくない理由を知ったのは成り行き……みたいな」
望緒が話終わると、しばし沈黙が流れる。彼女は、やはり話すのは良くなかっただろうかと考えつつも、八下の返事を待つ。
「そっかそっか、だから俺に親がいるかどうかも聞いてきたのか」
望緒はその言葉で心臓が跳ねる。バレていた……と言うよりは、かすかに勘づかれていたのだろう。上手く誤魔化しきれてはいなかったようだ。
「ご、ごめんね。勝手に調べちゃって」
「謝ることねえよ。そりゃ、俺何も話さないもんな。知りたくもなるよ」
怒ってはいないが、喜んでもいない。無理もないだろう。八下は話したくないから話さなかった。それなのに、望緒は調べた。正確に言えば、調べている際に知ってしまったという方が正しい気もするが。
––––どうしたら良かったんだろう。調べなきゃ良かったかな……。
そもそも、隠さなければ良かったのかもしれない。が、あの時言っていたところで、結果は恐らく変わらない。
「……ごめんな、変な空気にさせちゃった。今日はもう––––」
「今日ね、出水に行ったの」
「は……」
言わない方がいいこと、言わなくてもいいこと。それでも望緒は続ける。
「それで、闇戸に聞いたの。……ねえ、火夜って、誰?」
「……!」
八下は酷く驚いた顔をしていた。なぜその名前を……とでも言いたげな顔。
それと同時に、人間のせいで戻りたくないと発言したのは、その名を知ったことが原因だろうということも考える。
「……話したくないって言ったら?」
「別に、それなら私はいいけど、八下は? ずっと話さないままでいいの?」
「……」
八下は何も答えようとしてくれない。俯いたまま。
話したくないのは、単に思い出したくないからというのが大きいのだろうが、戻りたくないわけではないはず。
そうでなければ、望緒を自身の精神世界に呼ぶはずがない。
どうしたら言ってくれるだろうと考えても、答えは全く見つからなかった。
「……私ね、結界術、ちょっとだけだけどできたんだよ」
「……」
何も言わないが、少しばかり目を見開いたような気がする。
望緒に突如眠気が襲ってきた。もうすぐ目を覚ます頃だ。彼女は眠たいながらも、次の言葉を紡ぐ。
「誰かを、守れるようになり始めてるの……。だから、八下も––––」
そこまで言って、望緒の瞳は完全に閉じられた。八下は彼女の言葉の意味を、何となくだが理解した。
「……はは、守ってくれるってか? 俺のことも……」




