あと.....
「アンジェ」
そう名前を呼ばれ、顔を上げれば目の前にルーンの顔があり、アンジェは驚いた。
こんなに間近で異性の顔を見るのは初めてで、アンジェは戸惑ってしまう。
ほんのりと赤く染った頬。
そんな初心な反応を見て、ルーンは心底嬉しそうに笑った。
「てっきり慣れっこかと思ったけど、そうでも無さそうですね」
「えっと、それはどういう意味でしょうか…?」
アンジェが首を傾げて尋ねれば、ルーンはお気にならさず、と首を横に振った。
使用人達からアンジェの友人のリディスが訪れてたと、そして大変二人の仲が良いと言う話を聞いたので、少しばかりルーンは焦っていた。しかし、どうやらその心配は必要無かった様だ。
二人はただの友達。そうアンジェの反応から確信出来たからである。
ルーンは再びソファーに腰を下ろす。
そして、微笑みながら語り始めた。
「正直ほぼ君の言っていた通りなんです。私はまだ魔法の探求をしたい。だけど、周りがそれを許してくれない。だから僕にとって都合の良い相手を探していたんです」
「……私が魔法を使えない事はご存知だと父から話は聞いています。それならなぜ魔導師団副団長でもある旦那様が私の様な者を娶ったのですか? もしかしてそれが私が都合が良い理由なのでしょうか?」
アンジェと同い年くらいの令嬢など山ほど居る。それにも関わらず、ルーンはアンジェを選んだ。
この問は、アンジェが一番知りたくて堪らなかったものだった。
「……貴方を初めて見たのは、二年前。王都で国王様主催のパーティでの事でした。噴水の前で泣く貴方の姿を見掛けたんです」
「……そう言えば、あの時泣いていた所を誰かに声を掛けて頂いたよなう気がします」
「え、あ、そうなんですか…! 私はその、言葉を掛ける事も出来ず貴方を見ている事しか出来なかったんだ……ですけど」
なぜか慌てた様子で早口になるルーン。
あのパーティでもまたアンジェは辛い思いをして、逃げ出した。そしてそこで、明るい茶色の髪をした男性に声をかけられたのだ。
『泣いてたら幸せは逃げちまうぞ。ほら』
あのぶっきらぼうな態度と声。
けれど差し出されたハンカチは妙に可愛らしいもので、そのギャップに思わず吹き出したのをよく覚えている。
「そんな貴方の姿を見て、私は貴方を助けたいと考える様になりました」
「私を…ですか?」
「はい」
そう頷くと、ルーンを口を閉じ、まるで商品を品定めするような…そんな瞳でアンジェを見詰め始める。
貴族は権力欲しさに娘を自分よりも地位の高い貴族の元に嫁がせる事なんて当たり前の話である。そして伯爵もまたそう言った野望を持った人間であった。表面上はアンジェの幸せを等と語っていたが、そんな事微塵も考えていないことはなど、ルーンは勘づいていた。
実は前々から伯爵の娘二人に対する過激な振る舞いは社交界では少しばかり噂されていた。当初は、伯爵を嫌う者の妬みだろう、とルーンは耳を傾けていなかったが、一人パーティ会場の外で泣くアンジェを見て鼻で笑う伯爵と夫人を偶然ルーンは見てしまったのだ。
あの様子では、家ではきっと良い待遇を受けているとは思えない。どうにかしてアンジェをあの家から連れ出すことは出来ないか、そう考えた結果が結婚だったのだ。
アンジェを家から連れ出す事が出来るし、そしてルーン自身も結婚することで上からの口煩く言われなくなる。
だから都合が良かったのだ。
それに…ルーンはアンジェに対して恋愛感情など一切持ち合わせていないし、アンジェもまた同様である。
だから余計に都合が良かった。
なぜなら彼はまだ結婚生活を送る気など一切無いからだ。
なにせ、まだルーンにはやらなければならない事がある。
ずっと叶えたかった未来に向けて。
「アンジェが十八になった時。つまり六年後ですね。その時になったら妻としての責務をこなして貰うつもりです。それまではゆっくりこれまで通り気楽に過ごしててください。欲しいものがあったら遠慮せずに教えて下さい。プレゼントしますから」
「十……八。……えっと、はい。分かりました」
アンジェは小さく頷いて見せた。
それと同時にルーンの気遣いが何だか辛く、申し訳なくなってきた。
(十八になった時には、私はもうこの世には居ないから、ルーン公爵の言葉通りには行かない。……て言うか、どうせ後々歳の近い綺麗な女の人と結婚するのが目に見えてるよね)
アンジェはそう一人で納得すると、頷いた。
今は意中の相手が居ないだけで、ルーンはこれから多くのパーティーやらお茶会やらに参加し、そうした機会に運命の人と出会うだろう。そして最終的には捨てられる……そんな未来がアンジェには見えだが、悲しい気持ちには一切ならなかった。
それはきっと、アンジェもまたルーンに対して恋愛感情を抱いていないからだろう。
(叶わない恋って素敵だってお姉ちゃんは言ってたけど……悲しくなるから普通は嫌じゃない?)
悲恋なんて辛いだけ。
だからアンジェは、絶対にルーンには恋をしないと決めた。




