米俵争奪戦
今日から大学生活がスタートする。
期待を胸に膨らませ、門を潜る。小中高と同じように時が流れ、同じようなメンバーで過ごしてきた僕にとって、こんなに知らない人達に囲まれて勉強するのは新鮮でとても楽しみだ。隣の席になった女の子と話してみた。会話が上手く続かない。何故だろう。だけど、彼女はとても魅力的に思えた。ここで捕まえなきゃどうする僕。熱烈に話しかけ、アタックを続けると彼女は少し笑った。授業が終わり、彼女に手を引っ張られた僕は驚きを隠せなかった。「もうちょっと君のお話聞きたいな。」彼女とカフェに向かった。その間隣に彼女がいることに夢かと錯覚である気すら感じはじめてしまった。カフェにつき、話をした。
彼女はとても可愛らしかった。彼女はアイスティーを頼み、僕はアイスコーヒーを頼んだ。彼女の手は、小さく溶けてしまうような柔らかさがあった。そんな手に包まれるアイスティーを眺めながら、僕は彼女と話を進めた。趣味だとか、最近聞いている音楽だとか。共通の趣味はなかったが、
彼女とは本質的な場所で共感しあえたような気がする。きっと彼女もそう思っているだろう。過去に履歴のない僕の恋愛はここに1つ刻まれた。妄想でも夢でもない実態として、目の前に描かれた彼女を記憶に焼き付けた。
彼女が下を向きながら、小さな声で呟いた。「私たちは気が合っている気がする。世間一般的に見れば早いかもしれないけど、きっと付き合うのは時間の問題だと思うの。」 「確かにね。僕もそう思うよ。」そうして僕に彼女が出来た。何度かデートを重ねた後、とある話を僕は彼女にされた。「私ね、実は残り少ないの。病気ってやつ。」 「どうして?」 「私ね、元々体が弱かったの。だけど薬とか定期的に飲んでたから元気に見えてたでしょ?まあ今はこんな状態なんだけどね。」 そして彼女は入院することになってしまった。
彼女は暇だから、なんか本でも買ってきてくれ、と僕に電話をしてきた。本屋に仕方なく立ち寄り、最近人気の説明口調の小説や、若い女の書いた詩集などを手に取り会計を済ませる。彼女に本を手渡すと、これ読んだことあるよ、と不安を募らせた。1つ詩を読もうという話になり、
【今はまだ何にも見えてないけどいつか見える時が来る。そういつか。】と、書かれていた。
彼女にはテレビを見る習慣があまりなかったため、僕がニュースを教えてあげることが多かった。例えば夫婦が交通事故にあっただとか。彼女は驚きながらも、残された息子の話をよくした。確かによく考えてみれば、死んだ当人の人生はそこで終わるが、当人が人生の中の1ピースになった人の人生は終わらない。ただピースがなくなるだけだと。埋める物は他で補わなくちゃならないのかな。とか。
彼女は甘くない飲み物を好んだ。かといって炭酸は飲めない。そこには秘密はないが、只甘いのが苦手なのと刺激物がダメらしい。
彼女には名前がない。本当はあるらしいのだが、僕には教えてくれなかった。見たいならお墓で見てね、と冗談を言う彼女を笑うことは出来なかった。彼女には長く生きて欲しいから。名前なんかどうだっていい。今と未来を生きてさえすれば。
彼女の寿命は短くなってきた。彼女との思い出を思い返すことを2.3日間続けた。2人のアルバムに収めた写真を1つずつ見ていきながら話すだけ。
「ここでもう一つ写真を撮らない?」そういった彼女に共感し、写真を撮った。「これは現像しといてね」と言われたので、2枚現像して、僕と彼女の1枚1枚にした。
彼女は笑った。そろそろ死んでしまうのか、とそういった気持ちが過ぎってしまう自分を殴りたくなる。目を虚ろにしながら僕に彼女は発した。
「私の事、好き?」 「もちろんだよ。今まで付き合った人で1番さ。」 彼女以外の人と僕はお付き合いをした事はない。だけど、今この嘘はつく必要があるように思えた。
それから3日後、彼女は死んだ。死んだ瞬間も彼女は綺麗だった。お葬式は開かれたが、身内のみの小さな葬式だった。
何故か僕は泣かなかった。
彼女には沢山世話になったし沢山お世話もした。
だけど、泪は出なかった。
それは、ここで流した涙は彼女には届かないからだからだと思う。
だけど、彼女にはここで話をしたかった。
「なあ、知ってる?僕ってさ、実はコーヒー飲めないんだよね、初めてデートみたいになった時、強がっちゃったな。いい思い出なのかな?そのコーヒーは苦かったけど、君と出会ってから僕の人生の苦味は少し減った気がするよ。」
彼女は土に埋まった。炎に焼かれた後に。
そうして彼女の墓を見た。 何故だろうか。見た瞬間に泪が止まらなくなった。この涙も彼女に届くわけないのに。彼女には何も伝えられないのに。
彼女のお墓には、佐川空と書かれていた。