魔力ゼロなんだが、この世界で知られている魔術理論が根本的に間違っている~の感想
本作の主人公、アベルは幼いころから魔術師になることを夢見ていました。
しかし7歳の時、高名な魔術師から魔力量がないことを告げられます。
魔力がないと魔術師になれない、そんな壁にぶつかったアベルは絶望します。
どれくらい絶望したかというと、7年間ひきこもりになりつつ魔導書を読み漁るほどです。
そんなアベルのひきこもり生活に業を煮やした父はアベルを勘当し、アベルは家から追い出されてしまいました。
追放された後も魔術の研究をするアベル。
ある日行きつけの本屋に立ち寄った際、店長から一冊の本を紹介されます。それは古代語で書かれており、アベルでないと読めない本だそうです。
ちなみに作中の古代語というのは、日本語などの私たちが使用している現代語のことを意味しています。
そこには『科学の原理』と書かれていました。
その本によると、かつて科学は魔術と共存していましたが、何らかの出来事によって科学は廃れ魔術が発達したそうです。それ以降魔術が生活の根幹を成し、科学は古代語とともに姿を消しました。
主人公の周りには古代語を教えるどころか読める人すらいないそうなんですが、一体主人公はどうやって古代語の本を読んだというのか、そんな突っ込みどころはこの先の展開に比べたら些細なことなのでスルーします。
科学書を読んでとある実験をするアベル。手始めに密閉空間では火がすぐ消えることから、火が燃えるには空気が必要だと予想します。
ここで思うのですが、いくら科学が廃れたからと言っても魔術で起こした火を消す方法なんて先人がいくらでも実験の末に結論を出しているのではないでしょうか。
魔術で簡単に火を起こせるなら、なおさらそういった技術は知れわたっていると思うのですが、なろうの似非SFならこの程度のレベルでしょう。
次の実験では水銀が必要とのこと。この世界では水銀は貴重なようですが、一体何に使用しているのでしょうか。
まあ、「貴重な水銀を調達した」の一行で済まされてしまったため推測の余地はないのですが。
さらには硫酸が必要だと書かれていたため、何とか調達したそうです。
科学が廃れた世界なのに、硫酸が名称そのままで存在している。明らかにおかしいですが、作者はそこまで考えてないでしょう。どうせ。
実験の結果、魔術は物理法則を根幹から書き換える技術だという結論に至ったアベル。それが本当なら魔術は科学の完全な上下関係にあるといえます。
いくら科学を極めたところで魔術師に劣る敗北者であるアベル。そんな彼は魔術学院の入学試験に応募します。正気か?
アベルはとあることに気づいていました。魔術を行使する際に描かれる魔法陣、そこに物理法則を操るための式が書かれているが、間違った原理をベースに構築されているため無駄に魔力を消費しているということに。
術式を改良したため消費魔力を従来の一億分の一に抑えることに成功し、魔力量ゼロのアベルでも魔術を使用できるようになりましたとさ。
「魔力量ゼロならいくら消費を抑えても使えないんじゃないの?」と思われる方もいるでしょうが、魔力は生命維持のために微量は存在するため、実質的にはほぼゼロといった方が正しいです。ようするになろう特有の後だしじゃんけんに負けただけです。気にしないように。
受験の際、アベルは受付で魔力量を測定されます。魔術を行使する学校の上、授業料とかもろもろの費用が無料なため、魔力量でふるいがかけられるのは当然でしょう。
結果は当然ながらゼロ。普通なら門前払いされる展開ですが、これはなろう小説。主人公に都合がいい展開になるのは、読者の皆様ならもうご存じですよね?
測定後に背後からかませらしきキャラから声をかけられます。冷やかしなら帰れと。
魔力量が少ないのに魔術を使おうとすると体に害が生じ、最悪死ぬようです。事実主人公も魔術を使用して血を吐いた経験があります。
言い方はともかく、魔力のない者が魔術学院に通おうとしたら追い返そうとするのは当然でしょう。
それに対して我らがナローシュは、
面倒くさっ
付き合いきれん
俺の勝手だろ
そういって受験し、実技試験でボコボコにします。
あまりに主人公のクソっぷりに、読んでいる私も「面倒くさっ」と思ったのでここで読むのをやめました。
読者の皆様は読まない方がいいです。本当に。