リッツの苦労
ここは...一体どこだったろう
見慣れない天井を見上げながら山下は記憶を呼び覚まそうとする。それは転生する前から繰り替えされてきた山下のルーティーンであった。
朝最初にするのはなんだったか
水を飲む?薬を飲む?テレビを見る?
2、3個ほど思い浮かべたところでふと気づく。
ああ、何言ってんだワシは。まずは挨拶からだ。
身体を横に向けると同時に隣で寝ているであろう人に呼び掛ける。
しかし、その言葉が発せられることはもちろんない。というのも山下が思い浮かべていた人がいないというのはもちろんだが...
...ワシは誰に向かって挨拶をするのじゃ?
確かに想像していた、数舜前まではっきりと思い浮かんでいた人をその断片すら思い出すことはできない。
「朝ご飯をたべなければ」
そうつぶやくとともに山下は匂いをもとに食べ物にありつける場所へとさまよっていく。自分が何か忘れてしまったことすらも忘れて。
* * *
バンッ!!という大きな音が部屋の空気を震わせる。見るとオークの長が机をたたいたようだ。
「これ以上森を開拓すると野生化した魔物の領域に侵入してしまう!!皆をみすみす危険にさらすというのか?!」
「それでは幼体の世話をするための場所が確保できない!一か所に集めてまとめて育てるという計画はどうするんだ?!」
「その前に教育問題のほうが重要だ!まともにMP回復もできないようでは成長しても成体まで生き残れん」
「だが人員にも限りがある!これ以上そちらに魔物を割くことはできない!!」
「そもそも異なる種族のものをどうやって教育するというのだ!?」
「それはずっと前に話し合ったではないか!!」
「いやあのときは」
森の中心近くにある集会場には六人の魔物がそれぞれ怒号を飛ばしている。もちろん最初はそれぞれ穏やかに済ませようとしていたのだが、たまりにたまった課題の数々によって話し合いから怒鳴り合いへと様相は変化していった。
「...はあ」
妖精の森の長であるリッツも当初は場を収めようと尽力していたが、到底話は聞いてくれないというのはわかったのでそれぞれの熱が冷めるのを待つほうが早いと判断したのだ。
みんな互いにいろいろためているのを知ってるから、あと腐れないのがせめてもの救いかなあ...
14ある席も埋まっているのは7席のみ、しかし座っている彼らにとってこの席はあまりにも大きい。一番の年長者であるリッツを含め、彼らがその責務を背負ったのは20歳手前の時であった。それは平均年齢が100を優に超える魔族にとってはかなり若い部類に入る。
このなかで最年長であるリッツですらあと数十年は仕事はないと言い聞かせられてきたほどなのだ、彼らにとってみれば藪から棒な話に違いない。
再度心のなかでため息をつくと、リッツは静かに話の行方を見守っていた。
「では、幼体は森の中央広場に集めるということで。開拓隊の編成は追ってお知らせいたします」
「ああ、頼むよ。近頃野生の魔物も成長してきたからね。それと先ほどは無礼な言い方をしてすまなかった」
「いえいえ、大変なのはお互い様ですから。こんどご飯にでも」
先ほどの形相が嘘かのように和やかな雰囲気とともに代表者たちは解散していく。リッツは一番最後に部屋を出るとそのまま同じ建物内にある自室へと向かった。
心配していた山下の件は有耶無耶のまま終わってしまった。全員これ以上問題を抱えたくないらしく、言い出しっぺであるリッツに一任され、そのまま彼が泊まった空き家にいてもらい、準備が整い次第森を出て行ってもらうこととなった。
森から一番近い人間の村まで、オークでおよそ2時間。山下の足ではそれ以上の時間がかかることは目に見えていたので、彼が持てるだけの食糧を集めてから見送るのだ。
本当は誰かがついていき、送り届けるべきなのだが、妖精の森は自治領だが魔王軍の支配下に置かれているため、今領土外にでることは問題視されかねない。しかしなにもなしに放り出すことは彼にに野垂れ時ねと言っているようなものだ。そんな極悪非道なものはこの森のなかにはいないだろう。
幸い現在魔王軍が支配する、かつて西の国が支配していた領土から一番近い国は温厚な北の国であり、その間に広がる無干渉地域の村はそれほど荒れていないので、そこに向かうように教えることとなる。
リッツにとって一番の心配事はあの忘れっぽさだ。結局あのあと山下がリッツの名前を正しく口にしたのは指で数えられるほどしかなく、そんな彼にどのようにして行く先を忘れないようにしてもらうか方法を考えなければならない。
執務室に入るとそのまま山積みの書類に手を伸ばす、くたびれた羊皮紙に書かれたそれらは各部署からの報告書と魔王軍からの一方的な要求であり、代表者たるリッツはこれらすべてに目を通さなければならない。
細く、頼りない腕を頬杖に使い、一枚一枚処理していく。
ふと卓上鏡を見ると、先代に比べると随分と頼りなさそうな自分の姿が映し出され、視界の端には幼いリッツと笑う先代、母トルネイヤがその黒い瞳をこちらに向ける。
これくらい許してよ...
大きなため息とともに、リッツは姿勢を正す。
甘えてはいけない、落ち込んではいけない。なぜなら私は妖精王なのだから。
きりっとした表情とともその身体には大きすぎる服を着なおし、に次の書類を手元まで持ってくる。心機一転した彼女の目に飛び込んできたのは、その心をへし折るには十分なほど汚い一枚の報告書だった。
それは蛇がのたうちまわった上に、ネズミが駆けずり回った後のような文字で書かれており、リッツには意味どころか読み方もわからなかった。
かろうじて読めた部分は
『森の番人 ルイ』
リッツの祖父から物事を教わった彼はいつしか古代文字しか書けなくなっていた。
「王女様〜!!大変です!!」
前方から聞こえる呼び声にリッツはため息をつく。
顔を上げるとこちらに息を切らしながらオークが走って来ていた。
書類の山を抑え、部屋を大きく揺する衝撃に耐えると、二日連続で執務室前の結界の存在を忘れた幼馴染をあきれた表情で見下ろす。そのへなへなした顔を見ているとだふつふつと内側から感情がわいてくるのを感じる。
「大変なのはこっちよ」
ふえ?という間抜けな声をあげるルイに向かって、ルイは怒涛の勢いでまくしたてる
「いいかげん現代語で書きなさい!現代語で!!!これで何回目?!」
「あ...も、申し訳ございません!!」
「あと結界にぶつかるのも何回目よ!!いい加減前を向いてきなさい!そもそも執務室に走ってくるな!!」
「申し訳ありません!」
「そもそもなんで古代文字がが書けるのよ!私あれ理解できなかったんだけど!!」
「す、すいません」
「大体森の番人になったからって最近会わなすぎじゃない?!たまには顔だしなさいよ!!」
「ご、ごめんって、リッツ」
床の上で正座したルイをそれでも下からにらめつけたリッツは、満足したのか、フンッとわざとらしく鼻を鳴らす。
「それで?なにがあったの?」
「あ、今日魔王城から視察のものがくるって」
「あー、なるほどね」
狙いはおそらくあの山下だろう。情報を集めるのが早い魔王ならもう山下の存在を知っていてもおかしくない。ならばこちらがすることは...
「丁重にお迎えして、魔王様のお使いのものに無礼があってはいけないわ」
「うん、わかった」
しばしの沈黙が流れる。
意識してないかったとはいえ敬語ではなく、二人きり。その事実を確認すると途端に頬が熱くなっていき、ストレスで少々傷んでしまった髪の毛をなでつける。
ルイは純粋にリッツと話せるのがうれしいようで、ニコニコと曇りひとつない笑顔をこちらにむけている。しばらく見ない間にまた成長したようで、この前までブカブカだった服がすでにパンパンになっている。
なにを話そうか、リッツがそう悩んでいるとルイの口が開く。
「そういえば山下さんが中央広場で囲まれてたけど、大丈夫なの?」
沸点近くまで熱くなった頭に氷水をかけられたように、リッツは足先まで悪寒が走るのを感じた。
受験終了いたしましたのでぼちぼちあげていきます