83歳 転生します
「危ない!!」
そう言って飛び出してしまったのは暑さで頭がダメになったからだろうか、それとも自分の中にも自己犠牲の精神が根付いてしまっていたからだろうか。
周りの景色は妙にゆっくり動きなのに対し、自分の身体の指先まで感覚は驚くほど鋭敏だ。
やかましい蝉の鳴き声がそこら中から聞こえ、目の端にトラックが鳴らすクラクションがどの程度迫っているのかわかりづらい。
ああ、こんなものか。
やけに現実味のない死を前にしてもやはり走馬灯というのは見れるらしい。
両親、妹、親友、好きだったあの子。次々と溢れてくる多くの記憶。
やっぱり、死にたくねえなぁ
こんな直前になって自分がいかに恵まれていたかな気づく。
もし、次があるなら、
そう、もし次があるなら、
今度こそ、悔いなく生き…
「あぁ、膝が…」
目の前の人影が突如消える。
伸ばしていた手が空を切り、反対側の歩道にたどり着く。
振り返ってみるとそこには誰もおらず、急ブレーキをかけたトラックの運転手が数メートル先でこちらに怒鳴っていた。
夢だったのか?
不思議に思いつつも、今自分が生きている、その事実だけがただ無性に嬉しかった。
両親にプレゼントを買って帰ろう。妹の買い物に付き合おう、親友を遊びに誘おう、好きなあの子に思いを伝えよう。
先ほどの出来事は神様が俺に大切なものを気づかせるためにやってくれたんだ。
そう結論づけると青年はトラックの運転手に謝り、再び自らの人生を謳歌しようとする。
そんな青年には目の前にいた老人がトラックに跳ねられる直前、一瞬で消えてしまったなどとはつゆにも思わないだろう。
* * *
開いた口が塞がらないとはまさにこのことだろう。
異世界転生担当下級天使ゴーカは頭をかかえる。
異世界転生はここ数年で一気に発展した分野であり、主にある地域の人間のみを対象にしたものだった。
異世界転生をさせることでそのものは成長、あるいは優越感、あるいは理想の生活を手にし、代わりにこちらは直に信仰心を得る。加えてモンスターを退治してくれるとなれば、願ったり叶ったりなのだ。
ゴーカが異世界転生させようとしていたのは先ほどの道路に飛び出した日本人の青年だった。
目立った特徴もなく、家族構成も普通、少し自己犠牲の精神がある。
異世界転生させるのにはもってこいの存在だった。
が
目の前に転送されてきたのは痛そうに膝をさする齢84歳の老人 山下 重蔵だった。
散歩の途中だったのだろう、手には何も持っておらず、いかにもおじいちゃんというような格好をしており、昔は色男であっただろうその顔は、今ではシワシワになってしまっている。
今は不思議そうに周りを見渡している。
たしかに最近疲れ気味だった。
好きでもない上司の酒を注ぎ、妻には帰りが遅いと怒られ、娘には見向きもされなくなった。
最近の楽しみは将棋だが、それも娘にはじじくさくてかなわないそうだ。
最近ストレス溜まってたのかなあ。有給とってゆっくり休もうかなあ。
など旅行の計画を考え、目を背け用としても現実は変わらない。
「ここは、どこかな?」
膝の痛みが治まったのだろうか、山下は独り言のように呟くと、ハッと我にかえる。
不味い、記憶が残る前にもとに戻さなくては!
たとえ転送履歴に残ったところで、今までの優等生具合なら許してもらえるだろう。
そう思うとゴーカは即座に後ろを向き手元にある端末を操作し始める。
その動作と山下がゴーカの存在に気づくのはほぼ同時だった。
焦って手元が震えるゴーカからヨタヨタと後ろから近づくと手元を覗き込む。
元の世界のどの機械よりはるかに進んだ技術を組み込んだそれは、しかし老人にはテレビ画面に見えた。
「ああ、ちょっとニュース見せて」
「え?!あ!!」
気づいたらすぐ傍に現れた老人にたじろいでしまい、触るのを許してしまう。
運良くなのか悪かったのかシワシワになった老人が触ったのは最も触ってほしくない部分だった。
『緊急転生を受理しました、15秒後、異世界ミルファスに転送します』
ゴーカは全身の毛が逆立っていくのを感じた。
緊急転送が受理されてしまった!!
このままではこの老人はモンスターがはびこる荒野になにも武器を持たずに放り出されることになる。
自らの非でこの老人が死ぬよりも恐ろしい目に合わせるなんてことはできない。
瞬時に考えたゴーカは最終手段に出る。
「山下さん!使える武器はなんですか!!」
「はえ?なんて言ったんですか?」
「誰かと戦うための特技とか!」
そう聞きながら、ゴーカは転生後の老人のステータスを大急ぎで書き換える。
7秒で全てを書き換え、老人に答えを迫る。
「なんでもいいんです!!得意なこととか!!なんかないんですか!!」
一瞬答えに詰まった老人はポツリと呟いた。
「最近物忘れが酷いですね」
その言葉と同時に時間が来る。
老人とゴーカの周囲は突如光に包まれ、足元の感覚は次第に無くなっていく。
あわあわとする老人の身体にはステータスがインストールされていく。
頭の悪そうな数字が並ぶその中に確実に異物が混じっていた。
ユニークスキル『ボケる』LV99
* * *
その日各地で驚きが走った。
異世界ミルファスでは長らく神による統治が放棄され、六千年前送られてきた勇者が死んだのを最後に一度も転生者は現れず、魔王に支配されかけていた。
四つある国のうち一つはすでに魔王の手に落ち、残りの三つも時間の問題だと思われていた。
もうすでに諦めていたものも希望の光を見たかのように喜び歌う。
一方で、今更送られてきた勇者が一体なんの役に立つのだと嘲笑い、酒を飲むものも多くいた。
それらの人々は1人残らず、皺を殆ど持たず、何人かは未だに声変わりすらしてないものもいた。
鍛冶屋、酒場、兵士に至るまで大人は誰1人いなかった。
もちろんそれは、大臣と国王も例外ではなかった。
「国王!ムチャです!!転送された場所はもう魔王の手に落ちた帝国の領土ですよ!」
「そんなこと言われなくても分かっている!!だが、もしかしたら神が使わせた最期のチャンスなのかもしれん!!」
「しかし、軍内部には武器の扱い方もわからんものもいます。彼らに向かわせるのは酷かと」
「やむを得まい…」
同様に、魔王に於いても勇者の転生は驚くべきことだった。
「魔王様!今すぐ勇者を打ち取りにいきましょう!!」
「それはわかっている!だが今は食糧問題が先決だ!未だに消化の仕方がわからないスライムを見殺しにはできん!!誰かが教えてやらなければ」
「し、しかし…」
「エリス、取り敢えず勇者の動向を探れ。まだそう遠くへは行っていまい」
「かしこまりました」
「もしこちらに敵意を示すようならば...殺しても構わん」
* * *
「…どこじゃ、ここは」
眩しい光に包まれた後、気がつくと老人は木々が鬱蒼と生い茂る森の中にいた。
「うん?そもそも儂はだれじゃ?」
そう呟きながらヨタヨタと歩き出す。
極限まで強化されたにも関わらず未だに鈍い痛みを感じる膝をさすりながら。