59:吸血鬼、はじめての王都(幸先悪し)
「ではまた今度、ニャニャシーさん」
「はいっ!またお願いしますニャー!」
地上部の屋敷二階の応接室にてビーツと別れを交わしたのは猫獣人の女性。
彼女は王都が発行している新聞″シェケナベイベータイムズ″の記者で、ニャニャシーとはペンネームだ。
羊皮紙が一般的なこの世界において樹脂紙というのは高価になりがちだ。ましてや破れやすい、書き直しが出来ないなどの理由でメリットとしては携帯性と大量印刷に適しているというくらいしかない。
その印刷にしても魔道具が高価であり一般的に普及しているとは言えない。ギルドで管理していたり国で管理していたりといった具合だ。
ビーツが売り出しているトレーディングカードにしても商業ギルドで請け負っている。
新聞社は国が管理する国営会社であり、王国内では王都に一社しか存在しない。
大抵購入するのは貴族や大型商店、ギルドなどに限られるもので一般庶民が新聞を毎回買うという事は滅多にない。それでも新鮮な情報を仕入れたい人間は居るもので、国が発信する情報源として役立っている。
「出来ればタマモ以外でお願いしますね」
「まったくでありんす」
「ニャハハ……すみませんニャ。上に言っておきますニャ」
元よりダンジョン【百鬼夜行】関連の記事を載せると売り上げが倍増する昨今だが、その中でもタマモを特集した号の売り上げは天井知らずであった。他都市や他国からも買いに来る有様である。
国営の新聞社と言えど読者の要望には応えたい。いや、これだけ売れるのならばと現金になる。従って、タマモへのインタビューが他の従魔に比べて多すぎるというのがビーツとタマモの苦情であった。
ニャニャシーは上……つまり上司なのか貴族なのか分からないが、相談すると言っている。
しかし貴族の中にもタマモ信者が居ると知っているビーツとしては「善処はしたけど無理でしたってパターンかな」と半ば諦めていた。
ニャニャシーを見送るついでに庭園まで歩く。観客の様子を見るのも日課だ。
そして歩いていると、ふと念話で話しかけられた。
『マスター』
『オロチ?』
自分の影の中にいるオロチからの念話。
オロチから話しかけてくるなんて珍しいな、とビーツは思った。
♦
王都の西門で入場手続きの為に列に並ぶミラレースたち五人。
目の前に建つ巨大な城壁は、首が痛くなるほど高く、どれだけ王都は広いのかと思わせるほど左右に伸びる。入場用の小門に並ぶのは冒険者や商隊の馬車なども含め、かなり長い。
彼女らは獣王国でも王都は避けて来た為、″王都″と呼ばれる都市に入るのは旅路の中では初めてであった。そしてその大きさ、人の多さに驚くと同時に少し怖くなる。
「通商連合から来たのか。【真紅の瞳】って本当にみんな紅いんだな」
「ええ、同じ一族の集まりなんです」
「やっぱり目当ては【百鬼夜行】かい?」
「そうです。ここに来るまでに散々聞きましたけど、ずいぶん賑わっているらしいですね」
「そりゃそうさ。まぁ頑張ってきてくれよな」
偽造ギルドカードを見せ、門番の衛兵とリーダーとなっているサイモンが話すと、すんなり通された。ミラレースは予想以上に緩かったと安堵するが、ここからが本番なので気を引き締め直した。
「ここからは情報収集に関する事は小声で話すわよ。それ以外の会話は普通に喋りなさい」
『了解』
「どこに間者が居るか分からないからね。目を付けられるわけにはいかないわ」
そういうミラレースであったが、それが心配しすぎだと自分でも分かっていた。
いくら同色の髪と瞳を持っていても、これだけ人通りがあり、これだけ広い王都なのだから、目を付けられる事など早々ないだろうと。
しかし今回の情報収集任務はヴァレンティア王国にとっての大事であり、ヴェーネスにとっての希望でもある。ミラレースは吸血鬼として始祖吸血鬼ヴェーネスの希望に沿う事を第一としている。
だからこそ、念には念を入れる事が正解なのだと強く思った。
実際の話し、人口は定住者だけでも五万人を超え、冒険者や行商人なども含めれば十万に届きそうなほど多い。
そして人の出入りが激しい王都で怪しい人物など一見で分かるはずもない。それを職務とする門番や衛兵であっても最初から目を付けていなければ分からない。
そもそも吸血鬼という存在が四百年もの間、表に出ていないので「吸血鬼なんて居るはずがない」と思い込んでいる。
仮にミラレースたちが「私、吸血鬼ですけど」と言っても冗談として受け止められるだろう。
それくらい人間の中で吸血鬼という存在は消えている。そんな中で彼女らを「何か怪しいな」と思う者など居るはずもなかった。
入場したばかりの広い王都。ごったがえす人波。その中のただ五人の冒険者。
違和感など感じようはずがなかった。
『……ん?』
『……ガウ?』
――ただ二体の魔物を除いては。
♦
屋敷から庭園に向かうその端で、ビーツは足を止めていた。
表情のないオロチの抑揚のない声から何やら不審な空気を感じたためだ。
『マスター、【チョーカ】を隠密モードで西門に向かわせて』
『! 了解。……チョーカ、聞こえる?今から召喚するから隠密モードになっててくれる?それで西門の方に向かって欲しいんだ』
オロチから指示が出るというのは本当に珍しい。蛇軍団の長であるのに団員に指示する事すらほとんどない。主であるビーツに指示する事などもっとないのだ。
だからこそビーツは驚いたのだが、即座に行動を移す。
チョーカとは【クリアライトパピヨン】という蝶の魔物で、大きさは手のひらサイズと、ビーツの従魔の中では最小を誇る。特技は睡眠作用を持つ鱗粉と光属性魔法。
ビーツが指定した『隠密モード』とは光属性魔法の『ミラージュ』という『自身を周囲に馴染ませる事で気配を探らせにくくする』という効果のものだ。
それに加え、クリアライトパピヨン自体が透明に近い素体の為『発見するのが非常に難しい蝶』となる。隠密・偵察には打ってつけと言える。
ビーツは隠すように隠密状態のチョーカを召喚すると、チョーカはそのまま柵門をくぐりヒラヒラと蝶に似つかわしくない速度で西門に向かって飛んで行った。
ちなみに飛べる従魔であっても庭園から上方向に飛び立つ事は出来ない。空を経由してダンジョン【百鬼夜行】の敷地内に出入りする事が出来ないのだ。必ず柵門を経由する。
それはダンジョン作成のルールとして″出入り口は一か所のみ″というものがあり、それはビーツにも覆す事が出来ないものだから。
【百鬼夜行】の場合は出入り口を柵門と指定しており、それ以外の大通りに面した柵や街路樹を越えて入ろうとしても空間が断絶している為、見えない壁に阻まれる。
空にしても同じで、はるか上空から庭園や屋敷に舞い降りようとしても阻まれる。
ビーツはそれを「セキュリティの為にダンジョン機能を使ってます」としている。
一般客や冒険者たちはダンジョンの入口を屋敷内の″地下一階への下り階段″だと思っている。
庭園のモニターや攻撃無効ルール等に関しても「敷地内だからダンジョン機能が使えるだけでダンジョンに入っているわけではない」と思っている。
だが本当は大通りに面した柵門がダンジョンへの入口で、庭園で楽しんでいる観客も露店の商人もギルド職員も皆、ダンジョン【百鬼夜行】に入場しているのだ。知らずに探索者となっているわけである。
『マスター、管制室に行く』
『了解』
チョーカを見送ったビーツは、オロチの指示に従い早歩きで屋敷に戻った。
何が起こったんだろうと、その場で転移したい気持ちを堪え、怪しまれないよう走らずに。
♦
「どうした?デイド」
「ガウ」
「怪しい五人組?魔力が違うって……あー、まぁとりあえず行ってみっか」
■百鬼夜行従魔辞典
■従魔No.8 チョーカ
種族:クリアライトパピヨン
所属:蛇軍
名前の元ネタ:蝶化身
備考:ビーツが芋虫から育てた透明の蝶々。
睡眠・光魔法が得意だが隠密特化であり戦闘では回避特化。
蝶のように舞い、光魔法で刺す。
綺麗で優雅で美しいが実はオス。




