表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
53/170

52:とある新人侍女の日常



 チリリン、チリリン、チリ――カチッ


「ふぁ~~~っ」



 柔らかい掛布団とベッドに包まれながら、目覚ましに手を伸ばしたマールは、大きな欠伸を一つして、顔を出す。

 いつまでも包まれていたいベッドの誘惑を何とか乗り越え、身体を起こすと、カーテンを開け、窓ガラスから差し込まれる光で部屋を照らした。

 窓から見える景色はマールが地上では見たことがなかった″海″であるらしい。朝日が水平線から昇る絶景に未だ感動を覚え、それが眠気を覚ましてくれる。

 住み始めてまだ数日、カーテンや透明な窓ガラス、照明にベッドなど、マールの知識になかった家具にもようやく慣れ始めたところだ。

 それは一般家庭では見ることも出来ない家具であったり、貴族であっても持っていないとか、そもそもダンジョン内にしか存在しない装置などもあるが、マールにとってはどれも等しく″夢の新生活″で初めて触れるものなので慣れてしまえば同じ家具という感覚である。


 トイレに併設された洗面所に向かう。

 用を足すにもウォッシャー付き洋式便器とトイレットペーパーに苦戦した最初の頃を思い出す。そして歯磨き粉と歯ブラシだ。

 どれもマールにとっては初体験……どころかやはり世界に存在しないものであるが、それも小慣れた様子で行う。


 マール自身は気付いていないが、その順応性の高さや周りに対して自分を合わせる能力が、彼女を帝都のコミュニティで生き延びさせた要因である事は間違いない。

 そういう意味ではビーツは掘り出し物を管理層の従業員に据えたとも言える。


 身だしなみを整え、侍女服に着替える。姿見でちゃんと着れているかチェックも忘れない。

 侍女服というのは元浮浪児からすれば着るのに苦労するものだったのだ。



「マール、支度は済みましたか?」


「はいっ!ただいまっ!」



 タイミング良く侍女長のホーキがやってきた。タイミングがいつも良すぎて監視でもされているのかと不安にもなったが、聞けば「侍女ならば当然です」と言う。

 新米侍女にはハードルが高すぎる話しだが、他の侍女を知らないマールからすれば基準はあくまでホーキであり「自分は新米侍女としてもっと頑張らなければ!」としか思わなかった。マールの中の侍女像が心配である。


 侍女として朝一の仕事はご主人様――ビーツの起床のお手伝いだ。

 ビーツの寝室にティーセットを乗せたワゴンを運び、部屋の前に立つ。そのまましばらく待機し、今日は一分ほどでホーキがノックした。



「どうぞ~」



 ちょうど目を覚ましたビーツがベッドから起きる。どうやらホーキはビーツが起きるタイミングを計っているようだ。

 なぜ部屋の中の様子が分かるのか、なぜ起きるタイミングが分かるのか、マールには理解できない。

 「侍女ならば当然です」とホーキは言うだけだ。侍女ならば当然らしい。


 少し温めの飲みやすくなった紅茶をビーツが飲んだ後、着替えの手伝いを行う。

 ビーツの部屋のクローゼットには大量の衣類が収納されているが、ビーツの好みでわりと渋い色合いでラフに着られるインナーやローブが多い。

 悪く言えば貴族らしくない、中級冒険者並みの服だ。

 もっとも素材はアラクネの糸を始め、上級冒険者でも手が出ないものなのだが、目立つ事を極力避けたい小者的性質のビーツらしいとも言える。今日は濃紺のローブをチョイスした。



 着替え終われば、三人で食堂へと向かう。

 ここでは侍女としての給仕ではなく、揃って朝食となる。ビーツの意向で「朝食くらいは食べられる者はみんなで食べよう」という事だ。


 厨房から見て最奥の席にビーツが座り、少し離れてホーキとマールが並んで座った。

 すでにジョロやシュテン、タマモにカタキラなど人型の従魔が座り、眷属のゴブリンやオークの一部も別テーブルに座っている。ビーツが最後に来るのはいつもの事だ。

 ちなみにビーツより遅れてくるのは徹夜で研究に没頭するモクレンくらいのもので、オロチは人型が幻影の為、食堂での食事は摂らない。今もビーツの影の中だ。

 ヌラやガシャなどは食事自体を全く摂らないし、オオタケマルのように数年食べなくても問題ないという魔物も多い。


 というか魔物が三食食べる事など基本的に必要ないのだが、ビーツに合わせるように食事を摂る従魔も多いという事だ。

 余談だがダンジョンマスターとなったビーツも本来なら食事は必要ないが、習慣のようなものでとりあえず食べている。



「オロシ、おはよう」


「…………!」



 ホーキたち侍女の代わりに配膳するのは食堂を切り盛りしている家事妖精、シルキーの【オロシ】だ。影の中のオロチとは名前が似ているだけで何の繋がりもない。

 オロシは皆からの「おはようございます」という挨拶にピンと手を上げて答える。従魔同士ならば念話で会話しているのだろうがマールには聞こえないので一方的に挨拶する。


 彼女は家事妖精なので本来ならば料理以外にも掃除・洗濯とやりたがるのだが、そうするとホーキやゴブリンたちの仕事と被るので、ビーツが食堂のみに専念させている。

 その代わりにビーツの前世知識によって次々と新作料理を開発している。

 煮込み料理など時間がかかるものが多いし研究の末に完成する料理もあるので、料理以外はホーキやゴブリンに、という事だ。


 今朝のメニューは白パン各種にサラダ、ベーコンエッグとビーフシチューという重めのものだったが、これくらいは皆何ともない。

 マールは未だに慣れないカトラリーを駆使し口にすると、その美味しさに満面の笑みを浮かべる。

 思わず浮浪児だった頃のように勢いよく掻っ込んでしまいたくなるが、またホーキに注意されてしまうので我慢だ。パンを千切りもせずに噛み付いたり、肉を塊のままフォークに突き刺して食べるわけにはいかない。


 ふと正面のカタキラを見れば、その巨体とグローブのような手で器用にカトラリーを使い食べる様が目に入る。



「ん?どうしたマール」


「あっ、いえ、カタキラさんはカトラリーの使い方が上手いなぁと。勉強になります」


「ぶひひ。余はこれでもオークの王だからな。品ある行動をとらねばなるまい。後ろのオークやゴブリンを見てみよ」



 マールは振り返り別テーブルの召喚眷属たちを見ると、姿勢正しくカトラリーを当たり前のように使い食事をするゴブリンやオークが目に入った。

 地上の冒険者たちが見れば驚く事間違いない。普通のゴブリンやオークを知らないマールからすれば「同じ従業員として見習わなければ」としか思わないのだが。



「やつらが汚らしく食べれば余やシュテンの品が疑われる。余はそれに答える義務があるし、何より余が汚らしく食べれば若の品が疑われよう」


「ははは……。僕はあんまり気にしないけどね。でも僕も一応王国貴族の一員だから作法は毎日勉強だよ。マールも焦らずに一緒に勉強しよう」


「はいっ!」



 自らの主人であり異次元とも言える高位の存在であるビーツからそう言われ、日々の勉強に力の入るマールであった。



 朝食が終われば仕事の時間だ。

 今日はひとまずホーキと共に、荷物を抱え外に出る。

 一〇一階層は管理層となっており、ダンジョン管理や住居など全て室内で賄える為、外に出る必要などないのだが、実は広大な土地が作られている。

 海のほとりに一軒だけある屋敷内部が″管理層″となっているのだ。言ってみれば″管理屋敷″である。


 屋敷に入る事の出来ない従魔が管理層を訪れた時の為に、屋敷の裏手には雪山と森と溶岩地帯が隣接している、完全に自然を無視した従魔の為の空間だ。

 海も当然、従魔の為に隣接されているに過ぎず、マールの部屋から見える海には時折シーサーペントの【アヤカシ】が管理層に遊びに来ているのが見えたりする。

 もちろん最初見た時は驚いたマールであったが、ホーキに同じ従魔だと説明され、波打ち際でアヤカシと顔見せの挨拶をしてからは普通の光景となった。「あっ、アヤカシさんだー」と。さすがの順応力である。


 その日もまずはアヤカシに野菜を届けに行くのが最初の仕事である。



「ギュゥゥゥ…………」


「ホーキさん、アヤカシさんが嫌そうなんですが……」


「アヤカシ。ご主人様が仰っているでしょう?肉ばかりでなく野菜も食べなさいと」



 アヤカシは自分の縄張りにしている階層で食事をしているが、シーサーペントの彼は当然肉食だ。

 三〇メートルほどの体長を持っていても未だ幼体であり、早く成体になりたい彼がビーツに相談したところ「好き嫌いせずに食べればいいんじゃないかな」と人間的な考えを押し付けた。

 ちょうどギューキが持ってきた美味しい野菜を食べていたからかもしれない。

 これにより、何日かに一度は管理層で大量の野菜を食すことになる。

 同じようにフェンリルのカジガカなども野菜摂取が義務化され被害者となったのだが、逆に野菜が好きになった肉食系従魔も多い。

 だがアヤカシは未だに苦手だ。ホーキとマールが抱えていた大量の野菜を丸飲みすると逃げるように自分の階層に帰って行った。



 アヤカシへの餌やりが終わると、管理屋敷の庭にある厩舎へと向かう。

 この日はスレイプニルのサガリが厩舎で寝ていたらしく、寝藁の交換や飼葉の補充などを行う。

 彼も縄張りにしている平原と森の階層で暮らしているが、たまに管理層で寝ることがある。



「サガリさん、おはようございます!」


「ブルルル」


「お掃除しますねー!」



 通常の馬よりも大きく足も六本あるが、マールは特に気にしなかった。

 ″馬=金持ちの乗り物″というイメージがあり魔物としての怖さよりも恐れ多い感じだった。

 しかし顔見せしてみれば普通の馬よりはるかに知能が高く、穏やかな印象を受けた。


 厩舎の管理というのは重労働だが、サキュバスのホーキと獣人のマールの二人掛かりでやればあっという間に終わる。サガリ自身も蹄を使って器用に手伝うので余計に楽だ。

 ちなみにサガリは雑食で肉も食べられるが、なぜかここで出される食事は飼葉のみとなっている。自分の階層で好きに食べているので特に文句は言わない。



 その後、洗濯や掃除といった管理屋敷内の業務に掛かる。

 マールは部屋や廊下にある調度品の拭き掃除が苦手だった。見るからに高級そうなものを壊してしまいそうで極度に緊張するのだ。

 ホーキ曰く「ご主人様がダンジョンマスター能力で出したものですから高級品というわけではありませんよ」との事だが未だに慣れない。

 途中、従魔たちの部屋の掃除も行うが、『研究室』と書かれたモクレンの部屋はホーキがやる事になっている為、マールは入った事がない。



「あの部屋は危険物だらけのゴミ屋敷ですから」



 ホーキは端正な顔を歪めながらそう言う。

 マールも少し好奇心があるが興味本位で入って良い部屋ではないのだろう。



 そうして順調に侍女業務をこなしていた頃、ホーキがマールに告げる。



「……従魔戦が始まるようです。私が選ばれた場合は少しの間、お願いしますね」


「! 分かりましたっ!」



 従魔戦の事は事前に聞いていた。ランダムで選ばれた場合はホーキが強制転移され、冒険者の人たちと戦うらしい。

 多い時は日に二~三度あるし、これからはもっと増えるだろうとの事だが、マールの知る限り、未だホーキが転移された事はない。

 この日もそう言いながら結局ホーキは選ばれないのでは、そう油断していたマールであったが別の意味で驚く事になる。



「!?」


「ど、どうしました、ホーキさん!選ばれたんですか!?」


「……いえ、ジョロが選ばれました。管制室に行きましょう」


「えっ、ジョロさんが!?」



 決して廊下を走ることのない早歩きで二人は管制室に急いだ。





■百鬼夜行従魔辞典

■従魔No.81 オロシ

 種族:シルキー

 所属:狐軍

 名前の元ネタ:山颪やまおろし

 備考:食堂を自らの聖域と化した家事妖精。

    50cmほどの身長だが念力のように調理道具や食材を操る。

    薄い光のような羽根で自身も飛んでいる。

    実は定食屋のおばちゃんのような気質。


■従魔No.30 アヤカシ

 種族:シーサーペント

 所属:狐軍

 名前の元ネタ:あやかし

 備考:海竜と恐れられる手足のない蛇のような巨大な竜の幼体。ドラゴンとは違う。

    いたずら好きの甘えん坊。遊びたい盛りである。

    他の従魔に怒られる事もしばしばあるが一番苦手なのが一番面倒を見ているスキュラクイーンの【コロモ】である。

    母に頭が上がらないのと同じだ。


■従魔No.16 サガリ

 種族:スレイプニル

 所属:鬼軍

 名前の元ネタ:さがり

 備考:足が六本ある黒王号。ビーツ外出時の馬車馬担当。

    冒険者時代から【魔獣の聖刀】の馬車を曳いていたので有名所の従魔。

    今は地上の屋敷内警備が多いが、基本的には自分の住処で走り回っている。

    性格は穏やかで忠義心が強い。怒ると恐い。ジョロと似ている。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ