47:とある大魔導士の憂鬱
その日、ダンジョン【百鬼夜行】の屋敷は喧噪に包まれた。
とは言ってもタマモが登場した時ほどの喧噪ではない。
始まりは大通り沿いの柵門前に隣接した一台の馬車。二頭仕立ての豪華な馬車には細かい装飾が施され、車体の四方には″竜と杖″の紋章。
王都民ならばそれが王族のものだと分かる。その時点で大通りを歩く人々や、【百鬼夜行】に出入りする一般客、冒険者などは騒然とした。
馬車の扉が開き、まず降りて来たのは近衛兵二人。
彼らは左右に開き左手を胸に当てる簡礼の姿勢で、これから出てくる王族を迎えると同時に、柵門までの道を作る。
柵門に元々配備されていた衛兵が直ちに彼らに並び、通行人の一時的な封鎖を行う。
近衛兵に続いて出て来たのは、茶色い髪に紫のローブを身にまとった青年。
そのローブは宮廷魔導士のものだと見物人にはすぐに分かる。さらに襟元から肩にかけて金の刺繍が入っているのを見れば、その人物が宮廷魔導士長というトップの人間だと判明する。
今現在の宮廷魔導士長、すなわち英雄パーティー【魔獣の聖刀】のリーダー。現役アダマンタイト級冒険者でありながら王宮の魔導士を率いる者。
【大魔導士】アレキサンダー・アルツ。
ビーツ・ボーエンと並ぶ有名人の登場に見物人は歓声を上げる。
彼は馬車から出ると近衛兵と馬車の間に立った。
最後に出て来たのは金髪美形の好青年。
普段着とは言えないが礼服とも言えない、軽めの服を身にまとっているが、その立ち振る舞いと表情は見る者を恐縮させる王族のもの。
王国サレムキングダム第一王子、エドワーズ・デル・サレム・シェケナベイベー、その人である。
エドワーズ王子が先頭を歩き、その後ろにアレキサンダーが付く。
近衛兵は馬車の御者と共に残るらしい。つまりダンジョン【百鬼夜行】に入るのは二人のみ。
本来、いくら王都とは言え、王子が出歩くのに護衛が一人というのはありえない。それは【百鬼夜行】の敷地内が攻撃無効の絶対安全領域だからというのが大きい。また、王子自身がダンジョン立ち上げに携わっているというのもある。ある意味で王城の私室以上に安全な空間なのだからこそ、こうして気軽に来られるのだ。
柵門から屋敷へと続く石畳。露店の店主や一般客は頭を下げ、道を譲る。
屋敷内警備の衛兵が簡礼の直立で出迎える屋敷に入れば、受付嬢やギルド職員が膝を付き、頭を下げる。それを見た冒険者でさえ慌てて同じように膝を付く者もいる。
「よい。これは公務ではない、楽にしてくれ」
王子のその言葉で立ち上がった。
二人はそのまま、観戦ホールの横を歩き、二階へと続く大階段へと向かう。
屋敷内の冒険者たちはざわざわとしたままだ。
「お、おい、あれエドワーズ王子だよな」
「ああ、それに英雄パーティーの……」
「アレキサンダー・アルツだ。間違いねぇ」
「【消臭王】か!」
「まじかよ!【消臭王】アレキサンダー!初めて見たぜ!」
冒険者たちにとっては王子よりもアダマンタイト級でビーツの同パーティーであるアレキサンダーの方が食いつきが良い。
しかし、【消臭王】と呼ばれた事に当のアレキサンダーはこめかみをピクつかせながら歩いた。
元々【大魔導士】という二つ名はアレキサンダー自身が言い出し、英雄譚にも【大魔導士】として書かれている、いわば公式の二つ名。
しかし特に王都民は【大魔導士】とは呼ばず【消臭王】と呼ぶ。
それはアレキサンダーが魔法ギルドで売り出した新魔法のスクロールが、衛生・消臭に特化したものが多く、それが大ヒットし売れまくったのが原因である。未だ風呂などが一般的でないこの世界において衛生面にこだわり王都に浸透させた功績は大きいのだが、本人は全く納得していない。こんなはずではなかった、と。
ホールを抜けて大階段へと辿り着く。
踊り場で寝転がっていたフェンリルのカジガカが、顔を上げ二人を迎えた。
そんなカジガカにアレキサンダーが声を掛ける。
「おー、カジガカ、久しぶ……」
スッとアレクから距離をとり、顎で「さっさと行け」と言う。アレキサンダーは上げかけた右手をゆっくりと下ろした。口元をピクつかせて。エドワーズ王子も苦笑いで、さっさと二階へと上がる。
同じく英雄パーティーであるクローディアが来た際には飼い犬のようにモフられていたカジガカであったが、アレキサンダーへの対応は全く違う。
「あのフェンリルでさえ恐れるってのか!」
「後ずさるなんて初めて見たぜ!」
「さすが【消臭王】だ!」
そんなホールの声は聞かないようにして、足早に二階へと上がった。
二人は二階の奥にある転移室から、管理層へと赴く。
管理層へと転移出来る人間は限られているが、二人はダンジョン作成当初から登録されているので問題ない。
手慣れた様子で管理層へと転移し、いつも使用している応接室へと向かった。
♦
「まだダメなのかよ……」
ソファーでアレキサンダー――アレクが項垂れている。
隣にはエドワーズ王子が座り、向かいにはビーツと両脇にシュテン、タマモ。いつもの面子なのだが、アレクから一番遠くに座るタマモは鼻を押さえている。
「タマモ……」
「もうちょっと離れてくんなんし、アレク」
「はい……。オロチは?まだダメか?」
ビーツの影から顔だけ出したオロチは「くさい」と一言。即座に影に戻った。
項垂れながらも、なるべくソファーの端に座るアレク。
彼はパーティーを組んだ直後から、獣系の従魔たちと文字通り距離を置かれていた。タマモやオロチ曰く、アレクの足が臭いらしい。しかしシュテンには全く臭わないとの事。
これにショックを受けたアレクは光魔法で殺菌・滅菌の魔法を開発、風魔法と火魔法をも複合させ独自に消臭魔法を発明した。それの簡易版がスクロールとして売られヒットしたわけだが、本人が使用している完全版は、まだまだ道のりが遠く、数年経った今でもタマモやオロチから合格はもらえない。
世界最高峰の魔法使いが【消臭王】と呼ばれる所以である。
実際は体臭どうこうではなく″強力な獣系魔物に対する魔物避け″の成分がたまたま足元から発せられており、それが魔物にとっては″近づくと臭く感じる″″距離を置きたくなる″となるらしい。冒険者にとっては有り難い話しなのだが、従魔たちからは「足が臭い」としか言われない為、足のケアに励み、消臭魔法の開発に勤しんでいるアレク。はっきり言って無駄な努力である。そしてそれを誰も気づいていない。
「いつになったらオレはブーツを履けるんだ……」
天井を見上げ呟いた。
アレキサンダー・アルツ、一八歳。
サンダル歴一三年である。




