42:とある奴隷少女の境遇
――私はどうして生きているのだろう
それは今までに何度も思った事。
自分がどのように生を享け、どのように育ったのかも分からない。
気が付けば帝都で、浮浪児のコミュニティの中にいた。
食べ物を持ってきてくれるコミュニティ出身の冒険者は皆の憧れだった。
食べ物を盗んできてくれるコミュニティの年長者は英雄だった。
少女は何も出来なかった。
戦う事も盗んでくる事も出来なかった。
獣人なのだから身体能力が高いだろうと口にする者はコミュニティに居ない。
全ては生きる為に助け合う、本当に暖かい仲間たちだった。
だから少女は思っていた。
私はどうして生きているのだろう。
何も知らない、何も出来ない自分が、どうして十数年も生きているのだろう、と。
しかし運良く暮らせていた生活も終わる。
ただ道に座っていただけで泥棒扱いされたのだ。実際は自分の前を走り抜けていった男が犯人なのだが、盗んだ品物を自分へ放ってそのまま逃げた。後に残されたのは品物を持った自分だけ。
即座に衛兵に捕まる。自分は盗んでいないと言ってみたものの、それが受け入れられないと理解はしていた。何せ自分は浮浪児だから、何せ自分は獣人だから。
コミュニティ内ではそうでなくとも、帝国の獣人差別は激しい。
常に不利な立場に追いやられ、何かを買おうとすれば高くつく。罵られ、悪態をつかれる事など日常茶飯事で、理不尽な暴力を振るわれる事も多い。
だから帝国では獣人をほとんど見ない。
そんな中で犯罪奴隷として捕らえられた少女はある意味希少だった。
そしてすぐに侯爵家次男のマッケロイの目に留まる。
――ああ、これで人生が終わる
なぜか生き延びた今までの運の良さの反動と言うべきか、その貴族は自分を殺す為に買ったのだとすぐに理解した。
ただでさえ帝国貴族の奴隷など悲惨な末路の話ししか聞かない。
少女は買われた時点で生きる事を諦めた。
帝国を出て遥か北の王国へ向かうと言う。
始めはひたすら歩かされた。が、馬にまたがる騎士団に比べ明らかに少女のペースが遅いと分かるなり、殴られ、荷馬車の奥に投げつけられた。
痛い思いはしたものの、とりあえずもう歩かずに済むという事に安堵した。
それからはただの荷物。積み込まれた食料や衣類などと同じ。いや、貴族にしてみれば食料や衣類のほうが価値はあるだろう、そんな扱い。それでも少女は死を前提にただ生きていた。
王国への道すがら、通商連合と獣王国を通る。
帝都しか知らない少女からすれば別世界だった。
荷馬車の奥から眺める景色は恐ろしくて汚らしい自分たちの居場所とはかけ離れていた。
なぜこんなにも獣人が多いのだろう、なぜ普通に道を歩いているのだろう、なぜ言い争ったり殴られたりしていないのだろう。
少女の常識とは違う世界に、思わず″生きる意思″が出てきてしまう。それと同時に律するのだ。
――これから私は死ぬのだ
――生きる希望を持ってはいけない
ろくな食事も摂れないまま、ただの荷物と化した少女は王国へと降り立った。
どうやらダンジョンという場所が自分の死に場所らしい。
昔、冒険者となったコミュニティの先達にちらりと聞いた事がある。ダンジョンとは魔物や罠に溢れるとても怖い場所だと。
すでに死に体となった少女に怖さはなく、やっと死ねるという安心感さえあった。
しかし、その安心感さえ紛い物だと気付いた。いや、気付かされた。
突然、光に包まれたかと思えば知らない場所に立っていた。
そして次々に現れる見たこともない魔物の群れ。
怖い。
何をされたわけでもないのに理解できる絶対的な死。
怖い。
本当の意味での恐怖、死への恐怖を感じた。
自分の意思とは関係なしに主人の命令に動く身体。
自分のものでなくなった身体。
怖い、怖い、怖い。
……そう思っていたら、闇の中に落ちた。
――私はどうして生きているのだろう
幾度となく思った疑問を再度思う。
しかし、今までの疑問は何だったのかというように、強く思う。
あの絶対的な死の状況から、何が起こって私は生きているのだろう、と。
目を開くと見える天井はどこだか知らない場所。
自分が寝ているこのフカフカのものは何だろう。あの貴族……ゴシュジンサマの部屋で見たソファーというものだろうか。
次第にはっきりしてくる意識に、言葉が投げかけられた。
「お目覚めですか?」
女性の声。
慌てて上体を起こし、その声のほうを見る。
美しい侍女の姿。頭の巻き角や腰の翼は目に入らない。ただ、どこかの貴族か富豪か、いずれにせよ自分と住む世界の違う人だと思い、即座にソファーから立とうとする。
しかし、ふらつき、立つ事すら出来ず。
「栄養不足による体力の低下、精神も不安定、とりあえず横になって下さい」
言われた通り、身体はほとんど動かない。
恐縮しながらも無言でソファーに横たわる。
「あなたは自分が今、どのような状況に置かれているか理解できていないでしょう?」
寝たまま微かに首を縦に振る。
ここがどこで、私はなぜ生きているのか。あれから何が起こったのか全く分からない。自分の身体の不調どうこうよりも疑問の方が大きく頭を占める。
分かるのは、視界に広がる立派な内装の部屋。机、棚、調度品、そして今横になっているソファーなど恐ろしく高価と思える品々。自分が居て良い場所ではないというのだけは確かだ。自分の汚らしい身体で寝ているだけで汚れがつき、弁償しろと言われても絶対に無理だと分かる。
「もうすぐ我らのご主人様がお見えになります。説明はその時にしましょう。あなたは寝たままで結構ですよ」
この綺麗なメイドさんのご主人様。
すなわちこの部屋の主。
寝たままでいいと言われても、怒られて殺されるイメージしか湧かない。
――どうせ一度は死んだ身なのだから
もう一度、死を覚悟するだけ。
もう一度、生きる事を諦めるだけ。
そうして少女は目を閉じた。
目尻に溜まっていた水分が流れそうになる。
ああ、まだ涙が出るのか。
すっかり枯れたと思っていた。弱り切ってカラカラの喉に欲しかった水分は、涙として残っていたのか。少し驚いた。
死を覚悟した少女の不安は、即座に解消される事になる。
そのすぐ後、ドアが開く音によって。
 




