41:とある帝国貴族の結末
自身の身体が転移の光に包まれると、慌てた様子で腰に下げた剣を抜いた。
まだ第一層とは言え、仮にもダンジョン探索中で剣を抜いていない事が問題なのだが、そんな事は彼らには関係ない。とりあえず何が何やら分からないが危機的状況だと本能で判断し、やっとの事で剣を抜いた。
光が収まり辺りを見回す。
足元の石畳の通路は砂のような土状の地面と化している。
周りは石材で作られた観客席がぐるりと囲み、自分たちが闘技場と思われる中心部に立っているのだと感じた。
ただ、帝国にある自分たちが知っている闘技場とは違い、観客席の四方には悪魔を象った石像があったり、暗く不気味な印象を受ける。
空を見上げれば紫のような灰色のような雲が空を覆っており、それが何故か明るく感じられ、不気味な印象をさらに濃くする一因にもなっていた。
確実に今までいた場所ではない。転移させられたと再認識する。
「この犬め!何か踏みつけたのか!」
マッケロイはそう憤慨すると、離れた場所で呆然とへたり込んでいる獣人の少女の元へとずかずかと近寄る。
少女はハッとマッケロイの存在に気付くと、無言のまま怯えた様子で顔を左右に振った。自分は何も踏んでいないと。
しかしマッケロイも騎士団の五名も、少女が何かミスをしたのだと決めつけている。
「貴様が一番前を歩いていたのだろう!」
「罠を踏み抜いたに決まっている!」
「奴隷の分際で我らをこのような目に!」
逸早く少女に近づいたマッケロイが拳を振りかざし、少女を殴ろうとする。
右手の剣を振り上げかけたが、危うく激高にまかせて″カナリア″を処分するところだ。
寸での所で制した自分を心の中で褒める。
……が、その拳が少女に届く事はなかった。
「内輪もめはその辺にしておけ」
よく通る声に思わず、手を止め、そちらを向く。
観客席にほど近い壁際に、転移の光と共に現れたのは赤髪褐色の女性。
絵織物でも見たし、英雄譚でも書かれていた有名な従魔――【三大妖】のシュテン。
そう気付いたのはマッケロイだけではなく、騎士たち全員であった。
なぜそのシュテンが?なぜここに?そもそもここはどこ?憤慨からの驚きに、逆に冷静となった頭で疑問符が浮かぶ。
「ここは九〇階層にある我らの闘技場でな、貴様らの態度があまりにアレだったのでこうして招待したわけだ。ま、せいぜい楽しんでいってくれ」
シュテンのそれは人間を見下したような物言い。
普段のマッケロイ達ならば「魔物の分際で」と激高するのは間違いない。
が、彼らはシュテンの言葉を聞く余裕などない。
シュテンが話し始めると同時に、闘技場内のいたる所に転移の光が現れる。
観客席に次々に転移してくる。サイクロプス、フェンリル、キマイラ、シーサーペントなど巨大な魔物、エルダーリッチ、デュラハン、ミノタウロス、オークキングなど見るからに自分たちより強そうな魔物。
マッケロイ達は観客席から離れるように中心部に集まり、ガクガクと震えだした。
さらに追い打ちをかけるかのように、シュテンの立ち位置と三角形を描くように転移してきたのは、九本の尾を広げた巨大な狐と、体高一〇メートルはありそうな八本の首をもった蛇の化け物。タマモとオロチの本来の姿である。
闘技場内にはマッケロイ達七名と【三大妖】、観客席にその他の従魔達が囲むという現状。
威圧というには度が過ぎる構図であった。
「い、犬っ!まま守れっ!たた盾になれっ!」
震えた声でマッケロイが叫ぶと、獣人の少女が、腰を抜かしていたのが嘘のようにシュテンの方へ一歩前に出た。
その顔は絶対的な死への恐怖で今にも失神しそうなほど怯えているが、首から下は震えなどない。まるで首から上と首から下が別の意思を持っているかのようだ。
その様子にシュテンは小さく舌打ちする。
「隷属の魔道具は厄介だが……これは酷いな」
通常、奴隷に嵌められる隷属の首輪は、主人の命令が不当であった場合、それが奴隷を害する事はない。それを許せば奴隷の人権など存在しないに等しいからだ。だからこそ奴隷商などでは契約の際に、細かい契約をし、どの程度隷属させるのかを決める必要がある。
犯罪奴隷などには厳しい契約が必要であり、命令に背いた場合、奴隷に痛みを与えるなど重い隷属が強いられる。
しかし、目の前の少女のそれは主人の命令を、奴隷の意思とは関係なく動かすという隷属契約に見える。明らかに犯罪奴隷よりも重い隷属。
そんな契約は普通はありえないし、それを為しているのは隷属の首輪なのだろうとシュテンは考察した。
帝国貴族、侯爵家次男だから持てるものなのか、侯爵家次男なのに持てるものなのか、いずれにせよ帝国という国の有様を見た気がした。
さてどうしたものかと逡巡した所で、奴隷少女の足元の影が広がる。
――ドポン
そのまま少女は影に吸い込まれた。
「はあっ!?」
驚くマッケロイ一行を余所に、シュテンは「オロチか、助かる」と即座に理解。
奴隷の身体を無理矢理動かすという、いくらでも犯罪に使えそうな重い隷属が、何の制約もなく扱えるわけがない。
オロチは首輪に込められた魔力から、それが主人と奴隷の距離にあると見た。つまり距離が離れてしまえば隷属の効力は薄れる。従って、奴隷少女を自らの影空間に隔離する事で、無理矢理体を動かしていた隷属の効果を消したのだ。
「さて、頼みの奴隷も居なくなった事だし、そろそろお楽しみといこうか」
楽しそうなシュテンの声に、消えた奴隷の地面を見つめていた六名が一斉にシュテンを見る。
お楽しみとは何だ?犬に何が起こった?自分たちはどうなる?
疑問ばかりが頭に浮かぶが、恐怖と相まって言葉にできない。
そうこうしているうちに、シュテンの横に半透明のパネルが現れる。
マッケロイ達は調べていないので知らないが、それが四九階層のボス戦で見られる″従魔スロット″だと、冒険者やモニター観戦者ならば分かるだろう。
「さて、これを回して出て来た従魔が、貴様らと戦うわけだ」
観客席の従魔たちから歓声が上がる。グオオオという魔物の唸り声だ。
一方のマッケロイ達の表情は驚きと恐怖に染まり顔色は青かったものが白くなるまで時間は掛からなかった。
「えっ、えっ、た、戦う?」
「おおお俺たちが?」
「何?何なんだ?嵌められた?」
「ビーツ・ボーエンの仕業か!?」
「貴様ら如きに我が主が手を下すわけがないだろう?これは我々従魔の独断だよ。何、安心するがいい。貴様らの言うところの″嘘つき召喚士″の″寄せ集めの魔物″だからな」
こめかみに青筋を立てながら笑顔のシュテンは、そう告げる。
そして続けた。
「さらにサービスだ。せっかく九〇階の闘技場を使うのだから、従魔スロットも九〇階仕様のテーブルにしてある。運が良かったな。祈る必要もない」
四九階層と九〇階層では出てくる従魔の確率は大きく異なる。
弱い従魔が出やすい前者に対して、九〇階層ともなると弱い従魔はほとんど出ない。
それは探索中の冒険者たちにして見れば絶望しかない事なのだが、ここに居る六名は従魔戦の事もスロットテーブルの事も知らない。シュテンの言っている意味が分からないままなのだ。
「ではそろそろ回そうか」
そう軽く言い、シュテンがパネルのスタートの文字に触れる。
観客席の従魔たちが「自分を当てろ」と騒ぎ出す。
皆が皆、主人と自分たちを馬鹿にされた事に憤っているのだ。
ストップの文字に触れ、やがてスロットが止まる。
出て来た絵柄は、尾の先も頭になっている二頭蛇の絵。
「おー、私でなくて残念だな。ニロ!出番だ!」
シュテンが観客席に向かってそう言うと、肩を落とした他の従魔たちの隙間を縫って、ズルズルと巨大な蛇が嬉しそうに闘技場へと降りて来た。
マッケロイ達の恐怖の表情がさらに険しいものになる。
その魔物は全長二〇メートルはあろうかという巨体。前後に付いた二つの頭。まるで頭蓋のような質感の顔は幾本の棘と大きな牙で、不気味で鋭い印象を受ける。
アンフィスバエナと呼ばれる種族。
マッケロイ達が誰も知らないその蛇は、目撃情報もほとんどない蛇系上位の魔物である。
「では、ニロ、頼んだぞ」
「シャー♪」
そして闘技場には六名の悲鳴が響き渡り、それを打ち消すかのように観客席の従魔たちからは歓声が上がっていた。
■百鬼夜行従魔辞典
■従魔No.42 ニロ(にろ)
種族:アンフィスバエナ
所属:蛇軍
名前の元ネタ:二口女
備考:尻尾の方にも頭がある双頭の大蛇。
強力な毒を多用し、巨体で圧倒する。従魔内で十本の指に入りそうな強さ。
元ネタは二口女だが、実際はオス。双頭で性格が違う為、よく喧嘩している。




