157:とある門下生の挑戦
アンナは王都で錬金工房を営む家の一人娘だ。代々続く錬金術師の家系であり、アンナもまた当然のように幼い頃から父母や祖父母に教えを受けた。
幼少の頃は錬金道具が並ぶ部屋が遊び場であり、父母が錬金しているのを横目に見ているのが好きだった。
やがて自主的に手伝うようになり、道具や素材、製法についての知識を自然と増やすことになる。
正式に錬金術師を目指すと決めたのは十歳の頃。
一五歳で成人とみなされるものの、世間的には十歳から働く子供が多い。冒険者ギルドも十歳から登録できるし、普通の商店などにしてもそうだ。
アンナは十歳にして本格的に父母に弟子入りし、一人前の錬金術師を目指した。
しかしすぐに問題にぶち当たる。
錬金術師として一人前と呼ばれるには、自分で錬金に使う素材の収集を行う必要があったのだ。
これが一般的な錬金術師見習いの″当たり前″なのか、アンナの家系独自の″当たり前″なのかは分からない。ともかく錬金術師と目指すのならば素材収集は基本だと言うのだ。
実際、アンナの家で行われている錬金術は、冒険者に依頼して採取してもらったものや、王都で売られているものを使用している。だからアンナとしては素材はそうして手に入れるのが普通と思っていた。
が、父母に聞けば、誰しもが通る道だと言うのだ。自分も一人前と認められるまではそうだったと。
素材採取という事は、王都の外に出るという事である。
森で草花を見つけ、時に魔物を倒す必要がある。
都内で普通に暮らしていた錬金術師を目指す少女に、武力が求められたのだ。
ダメ元で受けた『陣風一刀流』の入門試験に通った時、アンナは大層喜んだ。しかしそれ以上に家族は喜んだ。「うちの娘があの陣風一刀流に!?」と。
もはや錬金術師どうこうを抜きに考えても将来安泰は確約されたもの。約束された未来に家族総出でのお祝いとなった。
アンナは現在一二歳。入門してからもうすぐ一年となる。
最初はクローディアの存在自体に戸惑った。英雄であり、貴族であり、アダマンタイト級冒険者であり、カードや図鑑の挿絵担当画家でもある。
天が二物も三物も与えたような美人に対して、ただの錬金術師見習いの小娘であるアンナは恐縮していた。
だがクローディアは基本的に優しく、誰に対しても壁を作らない。稽古中は厳しいが、それが「門下生が怪我を負わないよう、強くなれるよう」と思っての事だと誰もが理解していた。自衛の為の刃、クローディアはそう考えていたのだ。
特に毎回の稽古後、自宅の大風呂に門下生全員で入浴させ、あまつさえ師範であり英雄であるクローディア自ら、門下生の身体を洗うのだ。
稽古時の厳しさとは打って変わっての優しさ。
これがきっかけとなってクローディアを崇拝対象のように慕う門下生も多い。
アンナも持ったことのない刀の握りから教わり、とにかく素振りばかりやらされた。同時に適正のあった風属性魔法も魔力が尽きるまで行使させる。
風魔法など生活魔法レベルでしか使っていなかったアンナは、ここで初めて本格的な魔法を教わることとなる。
それからは週に二日の道場稽古。そして家でも出来る限る自主鍛錬しろと言われ、錬金術の勉強をする傍ら、アンナは稽古に没頭した。まっすぐで素直なのが取り柄である。
特に風の壁を作る魔法、ウィンドウォールについては誰もが厳しく教わる。これなくして『陣風一刀流』は名乗れないと言うほど、基本的な初歩魔法なのだ。
クローディアの教えるウィンドウォールは、冒険者たちが通常戦闘時に使うそれとはイメージの仕方も運用の仕方も発動の仕方も、そのどれもが違っていた。
戦闘経験のある冒険者や元騎士などは、そのあまりの違いに戸惑い、逆に習熟を遅らせた。
しかしアンナはウィンドウォール自体、ここで初めて使うようなものだ。真っ白な紙にクローディアのイメージを描くだけなので吸収も早かった。
そうして、ようやく形になり始めた今日、クローディアに連れられてダンジョン【百鬼夜行】へとやってきたのだ。
庭園には来たことがある。モニターで見る迫力ある探索者たちの戦いに声を上げたものだ。
そして今日は自分が探索者としてやって来た。
初めて入る屋敷では早速とばかりに、色紙やら絵織物やらが圧倒してくる。どれも憧れのクローディア師範が関わっていると聞き、そんな師範に教わっているのかと嬉しくなった。
「じゃあ行くわよ。目的地は王都近郊の魔物が多い一二階だけど、今日一日でそこまで行くのは無理だから、行けるところまで行くわ。最短経路で行くからそのつもりでね」
『はいっ!』
「途中で出てくる魔物は倒すつもりだけど、初めて戦う四人は無理しないで。ダメそうなら戦わなくていいわ。実戦訓練はあくまで一二階に着いてからの予定だから」
『はいっ!』
クローディアはそう言いながら地下一階への階段を下りていく。
アンナとしては今回のダンジョン挑戦にあたり、魔物と戦ってみたいという気持ちがあった。今の自分で果たして戦えるものなのか、一生懸命練習した刀剣技は魔物相手に通用するのか、現状の力量を測りたかったのだ。
とは言えやはり魔物が恐ろしいという思いはある。
なにせ今までの人生で魔物と相対したことなどないのだ。王都から出たことすらない。
庭園のモニターで見た探索者と魔物の戦闘を、これから実際に自分が行うことになる。恐怖、緊張、そして少しの期待を胸に、クローディアの後に続いた。
「師範、トラップはどうしますか?」
師範代のエルフ、カイネがクローディアの後ろから声を掛けた。
彼女は樹王国からクローディアの教えを受けにわざわざ来た現役冒険者でもある古株だ。
風魔法と刀剣技を同時に行う『陣風一刀流』の一番の使い手でもある。もちろん門下生の中では、だが。
「一応、一階のチュートリアルで初体験のみんなに『こんな罠があるよ』って説明するつもりだけど、今回に関しては最短経路での階層突破を狙うから、私が斥候やるわ」
「師範は罠の発見もできるのですか? あ、いえ、詳細地図をお持ちのようですが罠のスイッチは大体の場所しか記載がなかったかと思ったので……」
「地図はあくまで最短経路を調べるために持ってるだけよ。罠は私の斥候能力で感知するから大丈夫」
「なんと! 罠を感知!?」
それは本職の斥候役でさえ凌駕する技能である。カイネを始め、探索経験のある二名は驚きを隠せない。この人はどこまで完璧超人なのかと。
探索のことはよく分からないアンナたちにしても、やはり我々の師範は次元の違う存在なのだと敬うと同時に、そんな人の教えを受けている事に嬉しくもなった。
「それは私にも可能な技術なのでしょうか。もしや陣風一刀流の秘伝などでは……」
「違う違う。風魔法も使ってないわよ。ただ正直、陣風一刀流の全ての技をものにするより難しいからね。これを流派の技の一つとは出来ないのよ」
「なんと……」
悔し気に呟くカイネ。
師範代のカイネにしても陣風一刀流の全ての技が使えるわけではない。免許皆伝ははるか先だ。
そこへ来て、更に難しい技術だと言う。道のりは遥か遠くに感じた。
クローディアの言っている罠感知方法とは『魔力感知』による罠の魔力線を感じとる事なのだが、これを行える人間が今のところ【魔獣の聖刀】の四名だけなので、教えるわけにもいかない。いや、保有魔力量の関係で教えたところで実践できないという方が正しい。
いくらカイネが悔しがったところで、到底不可能な技術なのだ。
しかしクローディアとしてはカイネを慰めたかったので、「免許皆伝したら方法だけは教えてあげるわ」と言うに留めた。教えても実践は不可能と分かっていながら。
それからカイネのやる気が一段上がったのは言うまでもない。
アンナはその様子を後ろから眺めていた。
すでにダンジョンの内部、手に持つ刀にも力が入る。
先頭を歩くクローディアは淡々と説明しながら、トラップを起動させてみたり、ゴブリンが襲って来るや否や、一刀のもとに斬り伏せていた。
初めて見るゴブリンの醜悪な顔、棍棒を振り上げ襲って来る恐怖。思わず悲鳴を上げそうになるが、グッと堪えクローディアの剣筋を見続けた。
ダンジョンの魔物は死ぬと光となって消える。それが良かったのかもしれない。死体が残されたままだったら、その気持ち悪さに余計に尻込みしそうだったから。
息を整え、気持ちを落ち着かせて、前を見る。
道中でのクローディアのアドバイスを聞き逃すまいと耳を峙てる。
いつ自分が戦っても大丈夫なように、イメージを膨らませていく。
アンナの顔は集中力によって険しくなり、目は鋭くなっていった。
「お、また出たわね。もう一回やるわよ。適正距離になったら抜刀、横薙ぎ。狙うのは首か棍棒持ってる右腕、もしくは足を切り落として機動力を奪うも良し。ただ出来れば首で一撃で終わらせるイメージを持ってね。魔物は少し傷ついたくらいじゃ怯まないから」
そう言って羽虫のようにゴブリンを斬り伏せる様は、滑らかで自然。
アンナは笑顔で戦うクローディアに、強さと美しさを同時に感じていた。
それは道場での稽古時の厳しい顔つきとは違う、稽古後の入浴でアンナの身体を洗っている時の笑顔とも違う、戦場における戦女神のような表情。
我らが尊敬すべき師範のまた新しい一面を見れた事に、アンナは少し高揚した。
……実際は門下生の前でいい格好をしたいクローディアの「ふふん」という顔だったはずである。
……さらに言えば風呂場では笑顔ではなく「にょほほ」という変質者のような顔だったはずである。




