悲しいテーブル
よろしくお願いします
「悪い事は言わねぇ、京也、店は閉めろ」
小さな喫茶店のカウンターに中年男性が数人座り、その中でも一番『オジサン』とも言えるくらい渋い声で、俺に現実を突き付けてくる。この集まりは今日を含めて7回目になる、その度に俺が出している答えは変わらず。
「それは出来ません。この喫茶店は親父が遺した、大事な場所なんです」
その台詞には聞き飽きたと言わんばかりに、商工会のオジサン達は苦い顔を浮かべながら、氷水が入ったコップを手に取り少し飲む。
オジサン達の言いたい事も分かっている。就職先が決まっていた俺は、親父が病死した事を理由にそれを辞退し、この喫茶店を継ぐと決めた日に、商工会のオジサン達に相談をしたのだが―――
―――別に気負う必要は無いだろう
この言葉の意味は俺が一番理解している。親父は俺がやりたい事を何でも応援してくれた、幼い頃に母親を亡くしてから、親父は男手ひとつで育ててくれて、大学のお金まで全て文句を言わずに助けてくれた。
親父はよく言っていた、『ガキが金の心配なんかするな、親っつーのはな? 子がデカく自立できるまで助けるのが仕事であり義務なんだよ。お前が例え20歳になろうと30歳になろうと、俺からしたらガキに変わりは無い、親には甘えられる内に甘えとけ、いつ死ぬか何てわからねぇんだからな』と。
オジサン達に囲まれて育った俺は、商工会の皆も家族みたいな物でどんな事も話してきた。だからこそ、初就職が決まった時は飛んで喜んでくれた、でもある日の朝……オープンの時間になっても親父の姿が無い事に気が付いた常連の人が、鍵の開いた扉から入り、水が流れる音を聞いて声を掛けながら厨房へ入ると……
「マスターが大事にしてきた場所ってのは、俺らでも分かっている。だが、京也が責任を感じる必要はないんじゃないか?」
「親父が調子を悪そうにしていたのに、気付けないでいた俺にも責任はあります。それに……」
就職先は県外で引越し費用やアパートのお金まで全部、親父は笑いながら用意してくれていた。俺は中学から喫茶店の手伝いをしていて、その頃から貯金をしていたのだが、それとは別で親父は茶封筒を渡してきた。もちろん断った、ちゃんと貯めた分があると強めに断った、それでも頑固な親父は、
―――これはバイト代じゃないぞ、女が出来たりしたら……ほらデートとかに必要だろ?
正直渡す理由がヘンテコだった、『都会は金が掛かる』とか『女に服を買ってやれ』とか、俺には彼女すら居ないと言うのに、結局無理矢理鞄に詰められた。
俺は親父に感謝の言葉を一度も言えなかった。伝えようとすれば『義務だからな、何も言うな、感謝は要らん』と、ずっと言われ続けてきた。もう永久に感謝の言葉を伝えられなくなった、たった一言の『ありがとう』が言えなかった。
「それに……この店を存続させる事が、親父への感謝の言葉になると思うんです」
「京也……」
「厨房にちゃんと立った事はありません、でも……1から始める事に遅いも早いもないじゃないですか」
オジサン達は「ふぅ」と、苦い顔から少し柔らかな表情に変わる。空気が張り詰めていたが緩くなっていくのが分かる、これは諦めたのでは無く、託された様な気がした。
「確かに、マスターの居場所を……いや、俺達の居場所を無くすのは良くないよな?」
「オジサン……」
「困ったらいつでもいい、相談に来なさい京也」
「あ、ありがとうございます!」
まさか、言えなかったたった一言がこんなにスルッと口から出るとは思わなかった。
親父の様に料理を勉強してきた訳じゃない、作れるのは人並みくらいで、それをお客さんにちゃんと提供出来るもなのかなんて分からない。それでもこの喫茶店を大切にして行きたい、やれる事はどんどんやって行こう。
―――ありがとう親父、俺やってみるから、見ててくれよ