第8話 渋ヤで監視
夜中、俺は庚宅が見渡せる屋敷内の木の上で気配を消して潜んでいた。
俺の隣には、何故か瑠奈がいる。
「兄様、いくら任務とはいえ、女子のお尻を見張るような真似はどうかと思うのですが」
決して、お尻を見張っているのではない。
穢れを祓いに行く庚 絵里香を監視しているだけだ。
「お尻じゃなくて庚 絵里香ね。陽奈はどうしてるんだ? 」
「兄様に不埒な事を言ったので、罰として家の周りの害虫駆除に行かせました」
陽奈より瑠奈の言葉の方が俺は傷ついたのだが、言わないでおこう。
陽奈に邪鬼討伐を押し付けたのか……
陽奈なら問題はないかな。
「じゃあ、何で瑠奈はここにいるの? 」
「その理由を述べるには、私が生まれて自我が芽生えた時からの話になりますので、語り尽くすには2日は必要となります。ここでお答えするには時間が足りないようです」
何言ってんのかな?
だが、時間が足りないという話は本当のようだ。
庚 絵里香が竹刀袋を担いで家から出て来た。
「兄様、不審者です! 」
「監視対象者の庚 絵里香だよね。瑠奈、知ってて聞いてるよね? 」
どちらかというと不審者は俺達の方だ。
庚は上手く家を抜け出せたようだ。
裏木戸の通用門を開けて屋敷の外に出た。
「跡をつけるぞ」
「えーー! せっかくだから兄様と何処か行きたいです」
「瑠奈、仕事だから」
「知ってますよ。兄様は会話のキャッチボールが苦手なのですね」
「俺もそう自覚してるが、今、それ関係ないでしょう? 」
庚は、電車で渋ヤ方面に向かった。
渋ヤ駅からは、徒歩で移動するつもりだ。
「今日は池フクロウじゃないようだな」
「兄様、見て下さい。あそこに心が動かされる魅惑のネオンがあります」
振り向くと『〇〇HOTEL』と看板が光っていた。
「瑠奈には早い! 」
「えーー! 一緒に入りたいです。観察したいです。体験したいです」
「あそこは今の俺達には関係ない。この渋ヤという世界の裏側で誰かが何かをしている場所だ」
「ふふ、世界の闇と言うわけですね~~」
う~~む。そんな暗い感じではない。
ピンク色の世界だぞ……
「ほら、誰かが出て来たぞ」
「本当ですね。羨ましいです」
ホテルから顔を隠すように女性が慌てて出て来た。
俺達と年齢が変わらない若い女子のようだ。
「あれ、あの子は……」
すると、瑠奈が
「兄様、監視対象のお尻が向こうの路地に入りました。嫌な気配がします」
よそ見をしている間に庚 絵里香は、薄暗い路地に入り込んだ。
さっきホテルから出てきた子が気になったが、俺達は庚 絵里香の後を追った。
暗い路地の奥では、庚が日本刀を抜いて低級邪鬼一体と対峙していた。
「あの邪鬼は憑き物ではない。地縛霊が穢れを纏って顕現したものだ。庚でも対処できるだろう」
低級邪鬼の動きはそんなに早いものではない。
ただ、モノによっては宙を浮きながら攻撃してくる。
それさえ心得ていれば対処は容易い。
庚は、剣を抜きその穢れを斬り裂いた。
穢れは、霧散して闇の中に消えていく。
「剣さばきが上手ですね」
「ああ、流石、庚家長女だ。無駄がなかったな」
「感心してる場合ではありませんよ。お尻がこちらに来ます」
俺と瑠奈は、先ほどのホテルの入り口に入り、身を潜める。
「兄様、とうとう決心してくれたのですね」
「違うわっ! 庚 絵里香はある程度の気配察知を会得している。気配遮断していても近づき過ぎれば見破られる可能性がある」
その時、ホテルから脂ぎった中年太りの男性がOLらしき女性とホテルから出てきた。中年男性の豪快なクシャミで唾が飛び、それが気配を消していた瑠奈の顔にかかってしまった。
『キャッーー! 汚い!! 』
瑠奈の声で俺達の気配遮断が解かれる。
「き、君は、霞君……」
俺達は、ホテルの入り口の前で庚 絵里香と遭遇してしまった。
◇
「き、君はこんなところで何をしてたんだ? 」
貴女のストーカーをしてましたとは言えない……
「それに、彼女は確か君の妹さんのはずだ。ま、まさか兄妹で……」
まぁ、誤解するよね~~
瑠奈は、ハンカチを水に濡らして顔を擦るように拭いていた。
そして、俺達は……
「兄様、美味しいです」
「うん、良かったね」
誤解を解く為、庚を説得して駅前のマク◯ナルドで話をする羽目になった。
接触は避けたかったのに……
「で、2人で渋ヤを歩いていたら立ちくらみがしてヨロけてホテルの入り口に入ってしまったというのだな? 」
「おっしゃる通りです」
庚がジッと俺の目を見つめている。
「それより、庚さんは、何故こんな時間にあそこにいたのですか? 」
「うぉふぉん! その~~なんだ~~。散歩だ。そう散歩してたんだ」
嘘が苦手なようだ。目が泳いでる人初めて見たわ~~。
「兄様、このパンに挟んであるお肉が美味しいです。チーズと絡み合って鼻に付く濃厚な香りを楽しみながら食べるのは乙なものです。もしかしてこれはドラゴンのお肉ですか? 」
「いいえ、普通の牛肉です」
「これが、牛ですか……ミノタウルスと勘違いしてません? 」
「いいえ、牛です」
「も~~う、兄様は! 意地悪です。ノリが悪いです」
俺達のやり取りを見ていた庚は、笑みを浮かべていた。
「君達は仲が良いのだな。私は一人っ子なので羨ましい限りだ」
「普通ですよ」
瑠奈が何か喋ろうとしてたので、開けた口にポテトを突っ込んだ。
瑠奈が喋ると面倒くさい。
「俺達は、あんなところに入る関係ではありませんので、誤解しないでください。確かに状況的にそう誤認しやすいでしょうが、誓って嘘ではありません。本当です。信じて下さい」
「わかった。わかった。君達を信じるよ」
ふぅ~~良かった~~誠意のある説得が功を奏したようだ。
「そう言えば妹さんは双子だったと思ったが、もう1人はどうしているんだ? 」
陽奈ねぇ~~今頃、何してんだろう?
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「うっぉしゃーー! 一丁上がりっ! 」
陽奈は、何故かゲームセンターで銃を構えて、画面から迫り来るゾンビ達を撃ちまくっていた。
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「きっと、勉強(任務)してると思いますよ」
「そうなのか。努力家なんだな」
「はい。真面目な子なので」
俺は瑠奈が喋ろうとする度にポテトを口に突っ込む。
「庚さんは散歩なのに竹刀を持ち歩いているのですか? 」
「ぶふぉっ! まぁ、どこで鍛錬をしたくなるかわからないからな。そういう体質なのだ」
そういった庚は手を上下させて運動してみせた。
飲んでいたコーラでむせても、何も無かったように会話をし、あまつさえ運動して誤魔化すとは敵さんもなかなかやりますな~~。
「庚さんも努力家なんですね」
「ま、まぁな。うん……」
そろそろ庚さん、家に帰ってくれないかなぁ……
俺は帰宅を誘った。
「電車も無くなりそうですし、帰りましょうか? 」
「そうか、もう、そんな時間か。随分、長居してしまったようだ。私も帰るとしよう」
良し! これで素直に帰ってくれるとありがたい……
口を開きかけた瑠奈にポテトを突っ込もうと思ったが、すでに空になってしまったので、今度はコーラのストローを押し込む。
「では、俺達も帰ります」
「うん、わかった。私も帰るとしよう。また、来週、学校でだな」
「ええ、そうですね」
俺達はやっと店を出て渋ヤ駅に行く。
路線が違うので一旦庚と別れるが、直ぐに引き返してストーカー行為を続けた。
今日は、もう狩をしないようだ。大人しく電車に乗っている。
「これで、また、狩を始め出したらと思うとゾッとします」
「こういう任務は結構辛いな。邪鬼を狩ってた方がマシだ」
「兄様に同意します」
それから、俺達は庚が家に入るのを見届けて、家路についた。
その頃、陽奈は……
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「ババンババンバンバン~~。あ~~いいお湯ねぇ~~生き返るわ」
歌を歌いながらのんびりと湯船に浸かっていた。
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「あれが『霞の者』か……強そうには見えないが……、しかし、何故、庚家の長女をつけてるんだ? まぁ、あの女剣士は使えるかもしれねぇなぁ……」
ビルの上から様子を見ていた不穏な影は、そう言いながら闇の中に消えていった。