第5話 庚家当主との密談
「兄様、あ~~ん」
「瑠奈、ずるい。私もお兄に食べさせたい」
教室から陽奈と瑠奈を連れ出して、校内のベンチでお弁当を食べる事になったのだが、陽奈と瑠奈が場所をわきまえず暴走している。
「ま、待て、瑠奈、陽奈。お弁当は自分で食べるから」
暴走している妹達をどうにか宥めて、自分で食べる権利を勝ち取った。
代償に、普段より豪華なプリンを奢る約束をさせられたが……
「陽奈ちゃんも瑠奈ちゃんもお兄さんと仲が良いですね」
どういうわけか、転校早々、陽奈と瑠奈の友達になった足利 恵も一緒にお弁当を食べている。
「仲が良いかな? 普通だと思うよ」
「うふふふ、メグ、私達は既に仲の良さを通り越して今があるのですよ」
「そ、そうなんだ~~」
妹達の意外な言動にメグって子も引き気味だ。
「メグちゃん、妹達が迷惑をかけてない? 」
「そんな事は無いです。むしろ、私なんかのような子と友達になってくれて嬉しいというか感謝してるっていうか、兎に角、迷惑なんかじゃありません」
「メグってば可愛んだから~~」
陽奈、その場所は危険だから触ってはダメだ。
「陽奈ちゃん。胸揉まないでよ~~」
「兄様、視線がイヤらしいですよ。それ以上見たらどうなるかわかってますよね? 」
「うん、わかってる」
俺のせいでは無いと思うのだが……
すると、瑠奈が俺に耳打ちをしてきた。
『茜さんから連絡がありました。庚さんの件です』
「何だって? 」
『庚 絵里香の動向を探る件は破棄されました。その代わり、狩をするのを止めて欲しいと新たな任務が追加されました』
庚の動向を探る件は、狩をしてるかどうかだったのか。
庚の狩を確認したから、今度は止めろと言うことか。
「わかった。だが、腐っても十家。狩を止めるなど本業を蔑ろにしろと言っているようなものだが、依頼主はその事をわかっているのか? 」
『はい。茜さんの話では、依頼主は庚家現当主だそうです』
「はぁ!? つまり、庚の父親が狩を止めろと? 」
『理由はわかりませんが、それが事実です』
「茜さんに連絡を入れておいて欲しい。現当主に会いに行くと」
『えっ!? 兄様が直々にですか? 』
「そうだ。理由も分からず本業を蔑ろにするなど言語道断だ。その理由が知りたい」
『わかりました。連絡を入れておきます』
忍びとしては、与えられた任務を遂行するだけで良い。
だが、俺は『霞の者』だ。
俺自身が納得できない依頼を引き受けるわけにはいかない。
さて、庚家現当主は、この俺に何を語るのだろうか……
◇
昼休みが終わるギリギリを狙って教室に戻る。
俺が教室に戻ると、待ってたかのように男子生徒達が詰め寄ってきたが、午後の授業が直ぐに始まったので事なきを得た。
時間ギリギリに戻ってきたのは正解だったな……
庚 絵里香の視線に気づいたが、俺は素知らぬ振りをして窓の外を眺めた。
五時間目の休み時間、俺は速攻でトイレに駆け込む。
個室に入り休み時間が終わるまでじっとしていた。
あとは、6時間目の授業を受けて帰るだけだ。
速攻で帰ってやる。
だが、運悪く6時間目の授業は担任篠崎 友紀先生の教科の英語だった。
終わりが近づき速攻で帰ろうとしたら、篠崎先生に『霞君はこの後職員室に来て』と言われてしまった。
うぬぬ、速攻で帰ろうと思ってたのに……
授業が終わって速攻で教室を出ることは当初の計画通りだ。
その後は、少し時間を潰して職員室に行けば良い。
俺は、少しぶらつきながら時間を潰して職員室いる篠崎先生のところに赴く。
「先生、霞です。何の用ですか? 」
「霞君、来たわね。もう、学校には慣れた? 」
「まだ、不慣れなところもありますが、庚さんの案内で大分様子がわかりました」
「そう、良かったわ。今日、呼び出したのは部活の事なの。霞君は何か入りたい部活動はある? 」
用事とは部活の事か……
「出来れば美術部に入りたいと思ってます」
「そうなんだ。霞君は絵に興味があるのね」
絵を描くのは好きな方だ。
里にいる頃は、幼い頃から修行に明け暮れ、趣味の時間など作れなかったが、学校に通うようになってその能力を隠すために休み時間などで絵を描いて時間を潰していた。
それに、絵画を運ぶ筒状のバッグは愛刀『夜烏』を入れるのに丁度いい。
「まぁ、好きな方です」
「じゃあ、私から美術部の顧問の先生に入部の件を伝えておくわね。霞君は、この入部届けを美術部の部室に持って行ってくれる? 」
「わかりました。これを美術部の人に提出すれば良いのですね」
「そういうこと。じゃあ、お願いね」
俺は、部活の入部届けを受け取り、途中で記入して美術部のある部室を訪ねた。
「失礼します」
ドアを開けると、むせるような絵の具の匂いが襲いかかってきた。
「誰かな? 」
1人の男子生徒が、背を向けて絵を描いている。
俺は、その人に
「美術部に入部したいのですが……」
すると、その男子は
「入部希望って言った? 」
「はい。言いました」
「本当に本当? 」
「本当に本当です」
「良かった~~歓迎するよ。あっ、僕は2年の新庄 輝だ。宜しくね」
「一年の霞 景樹です。先日、転校してきたばかりです」
「そうなんだ。この時期に転校なんて珍しいね」
「いろいろ事情がありまして……」
「まぁ、そうだよね。とにかく宜しくお願いするよ。実は、部員が4人しかいなくて生徒会から部から同好会に格下げしろと煩く言われてたんだよ。一学期までは、5人いたんだけどね。二学期になって1人が辞めてしまったんだ」
話好きな先輩なのかな?
「そうだったんですか」
「霞君は、何の絵を描くの? 油絵? それとも水彩画? 」
「俺は、色鉛筆で描くのが好きです」
「ほぉ~~それは面白いね~~。あと一月で文化祭があるから、それまでに一枚仕上げて欲しいのだけど、大丈夫だよね」
「わかりました。描きあげます」
「部室は自由に使っていいから。文化祭までに描きあげてくれれば自宅で描いてもOKだよ。テーマは言ってなかったっけ? 今年のテーマは、水のある風景なんだ。海とか湖とか川なんかを題材に描いてくれる? 」
それは好都合だ。放課後、毎日来なくてもすむ……
「わかりました。毎日は来れませんが時間があるとき顔を出します。それと、これが入部届けです」
「うん、確かに受け取ったよ」
俺は、新庄先輩と絵の話で盛り上がった。
線の細い気さくな先輩でラッキーだった。
普通の高校生になったようで、何だか少し嬉しかった……
◇
夜中の12時、俺は山手線の『渋ヤ』駅から出る私鉄沿線で10分のところにある駅の小さなロータリーにいる。
駅からちょっと歩けば高級住宅街だ。
欅の並木道を歩いて木々に囲まれた目的の日本家屋の前に着いた。
大きな門の横には『庚』と短い姓の表札がかかっている。
門の横にある警備小屋をスルーして、横目で表札を確認し屋敷の塀伝いに歩く。
深夜なので人影はないが、あちこちに防犯カメラが設置されている。
今回の俺は『霧の者』としてこの家を訪問する。
それは、インターホンを鳴らして、家の中に入る事ではない。
防犯カメラの死角をつき気配を消して塀を乗り越える。
木の陰に身を潜めて少し屋敷の様子をみる。
防犯目的の放し飼いの犬などはいないようだ。
因みに庚 絵里香を夜這いしに来たのではない。
庚家現当主、庚 慎一郎を訪ねてきたのだ。
事前に家の間取り図が手に入ればよかったのだが、瑠奈の能力でも少し時間がかかると言われた。
流石に検事総長宅のセキュリティーは甘くない。
俺は家の外観から当主がいる部屋を探る。
灯りが漏れているあの角の部屋が怪しそうだ。
縁側の下に潜り込み移動すると、目的の部屋から声が漏れてきた。
『可愛いでちゅね~~ルルの耳はモフモフして最高でちゅね~~』
こ、この声は、庚 絵里香……
部屋には、人1人の気配しかない。
ペットらしき動物もいないはずだが……
『今度は、ララちゃんの尻尾をモフモフさせてちょうだい~~。その前にチュッチュしちゃいまちゅよ~~』
ぬ、ぬいぐるみに名前をつけてモフモフしてるのか……
き、聞かなかった事にしよう……
俺は『霞の者』だ。
任務で知り得た情報は、無闇に漏らさない。
というか、こんな事言いたくない。
とすると当主の部屋は……
俺は、物入れと思われる部屋の床下から家の中に潜入して廊下を進む。
廊下の突き当たりに豪華そうな部屋の扉がある。
あの部屋のようだ……
俺は、静かに部屋のドアを開けた。
「待っていたよ。霞 景樹君」
「夜分失礼します。庚家当主 慎一郎さん」
そこには、机に座ったまま書類に目を通している庚 絵里香そっくりの目の吊り上がった清潔感溢れる紳士がいた。
「流石、霞の者だ。よく、この屋敷に忍び込めたな? 」
「私達にとっては造作もない事です」
「そうだったな……」
庚家当主は、ようやく書類から目を離し俺を直視した。
「済まんが、フードをとって顔を見せてくれ」
「わかりました」
俺は黒のパーカーのフードを外して当主を見る。
「良い目つきだ。それに男前だな」
「滅相もありません」
しばらくの時間、俺と当主である慎一郎は見つめ合った。
お互い腹の中を探るように……
そして、重い空気の中で当主慎一郎は口を開いた。
「君を絵里香と同じクラスになるように手配したのは私だ」
「そうだと思いました」
「君の父上とは旧知の仲でね。嫌、庚家と霞家と言った方がいいか。代々両家は協力し合ってきた」
「はい。存じております」
「君は絵里香をどう思った? 」
「普通の高校生としては申し分ないでしょう」
「普通の高校生としては、か……。穢れを祓う者としてはどうだ? 」
「腕を直接見たわけではありませんので何とも言えませんが低級邪鬼の2、3体なら問題ないと思います」
「そうか、4体以上なら危険という事か……」
「君は、低級邪鬼4体なら討伐にどれくらいの時間がかかる? 」
「本気を出せば1秒未満です」
「そうか、それほどの腕か……君の父親が言ってた事は嘘ではないようだ。霞家きっての天才だと」
「いいえ、まだまだ父には敵いません」
「はははは、そういう事にしておこう。で、私に何を聞きたいのかね? 」
「任務の件です。ご息女の狩をやめさせてほしいというのはどうしてなのですか? 」
「それはもう答えたはずだよ」
「つまり、危険な目に合わせたくないという事ですか? 」
「……十家としては、無責任だと思う。だが、穢れを祓うだけでは今の世の中はどうにもならない。私達は家を存続させる為に神霊術だけに頼らない力を模索した。その結果が、地位と権力そして潤沢な資金だ。結果的にそれが本業に必要な神霊術の低下を招いたのだが後悔はしていない」
「それは承知しております。必要な事だったと俺もそう思いますから。ですが、穢れの討伐は十家を含めて先祖代々から行われてきた任務です。それを止めて欲しいと言うことは先祖の顔に泥を塗る行為だと思いますが……」
「うむ。穢れは既に多くの人間に憑依している。君は憑依した穢れを祓えるのか? 」
「はい。霞家の神霊術の一つにその術式があります」
「庚家は、憑依した邪鬼共々斬り払うだけだ。憑依された人間は斬られて死ぬ」
「そう言うことですか」
「昔ならそれでも良かった。だが、現代ではそれは殺人だ。法の番人として見過ごすわけにはいかない」
「はい」
「十家でも憑依された邪鬼を払えるのは壬家と癸家だけだ。今は、壬家しか存在してないがな……」
また、重苦しい空気が張り詰める。
要は、娘可愛さに危険な目に合って欲しくないと言う話だ。
「ご息女は狩についてどう思っているのですか? 」
「困った事にやる気満々だよ。今夜も出かけようとしたところを思い留まらせたのだ。このままでは、娘はいずれ殺人者として逮捕され兼ねない」
「ご息女もそこはわかっていると思いますが? 」
「そうだろうね。でも、それを許さない状況ならどうする? 」
「正当防衛が成り立つのでは? 」
「確かに君の言っている通りそうなるだろう。どんな状況でも、今なら私がどうにかできる。だが、それ以前にそのような状況に巻き込まれることが許されない。今の庚家にはね」
「……そうですね」
スキャンダルで、今の地位が蹴落とされる可能性を危惧しているのか……
確かに、家を守る事にはなる。
だが、世界を守護する十家の答えではない。
「だから、止めてもらいたいんだ。絵里香を」
「……どんな方法を用いてもですか? 」
「そうだ。やってくれるね」
理由はわかった。
納得できない点もある。
だが、この人はこの人なりに守りたいものがあるのだ。
それに関しては俺も同じだ。
「承知しました」
「ほう、納得してくれたのか? 」
「私にも守りたいものがありますから……」
「うむ、そう言うことか。それと、今後についてだが、君、絵里香の婿にならないか? 」
「ひゃい!? 」
突然のことで変な声が出てしまった。
「はははは、そんなに驚くこともないだろう? 出来れば君を庚家に迎えたい」
「そ、それは……なんと返事をして良いか……」
「霞の者も色恋は苦手なようだな」
「そういう訳ではありませんが、まだ、良く知りませんので……」
「まぁ、絵里香と仲良くしてあげてくれ。この話は、娘と君の様子を見て判断しよう」
「待って下さい。俺は霞家の長男です。婿入りは難しいというか何というか……」
「娘との間に生まれてくる子供を霞家の跡取りにしたっていいんだよ。それか、妹さん達が当主になるという手もある。君の父上は本人の自由にさせると言ってたがね。まぁ、家の仕来りはあるだろうが結婚は好きになった相手としてほしいと私も思うがね」
「はあ、今は結婚なんて考えられないです。女性を好きになった事もありませんし……」
俺は正直に答える。
「少し急ぎ過ぎたようだね。この件は、君の頭の片隅にでも置いておいてくれ」
「わかりました。そうします」
「じゃあ、娘の件は頼んだよ」
「はい」
「それと、そう遠くない未来に大きな厄災が引き起こされるだろう。これは、十家が各々の責任を放棄してきた結果だ。君達を都内に招いたのは私達十家の総意でもある。
こんな事は言えた義理でも、霞家に責任を負わせるつもりもないが、君達の力を貸してもらいたい」
「私達はなすべき事をするだけです。場所がどこであれやる事は変わりません」
「そうか……ありがたい」
「いいえ。任務ですから」
そう答えて俺は、気配を消してこの屋敷から立ち去った。
◆
1人書斎に残った庚 慎一郎は、さっきまでここにいた霞 景樹の事を考えていた。
「恐ろしいほどの腕だ……全盛期の私でも倒せる気がしない。15、6歳でどれだけの訓練を積み上げればあのようになるのか? 霞 景樹か……産まれる時代を間違えたようだ、否、十家の神霊術が衰えた現在には必要な存在なのかもしれない……」
庚 慎一郎は、そっと宙に向けて呟いた。