第37話 飯塚 早苗
結城 莉愛夢からメッセージが届いた。
内容は、飯塚 早苗が話したい事があるから病院に来てくれという内容だった。
部活が終わり、市ヶヤの病院に行く。
正直言って、関わりたくない。
これ以上の面倒事はたくさんだ。
だが、これが最後という思いで足は飯塚 早苗が入院している病室に向かう。
『トントン』
軽めにノックすると、中から結城が現れた。
その時、何か手土産を持参すべきだったかと思ったが、もう遅い。
何も持って来なかった俺は、少し入りづらい気持ちになる。
「霞君、来てくれたんだ。私、何か飲み物買ってくるから早苗とお話ししてあげて」
結城は、俺と入れ替わりに部屋を出て行った。
その病室は、個人部屋だった。
それもかなり豪勢な作りだ。
「いい部屋だな」
俺の第一声がそれだ。
「こっちに来なよ。霞」
何故だが、呼び捨てにされる俺は、そんな小さな事は気にしていない。
「俺に話って何だ? 」
飯塚は、まだ顔色が悪いが、前よりだいぶ良くなったと思う。
そんな飯塚が俺を見つめて
「私を助けてくれたんだって? 」
「たまたまだよ」
その時、飯塚は抑えてた感情をあらわにした。
「何で助けたのさ! 」
その声は震えており、大きな声は病室に響き渡った。
「死にたかったのか……そうか、悪い事をしたな」
「そうだよ。私は死にたかったんだ。何で邪魔した。何で私を助けた!! 」
薬のせいでこうなっているとは思えない。
これは、飯塚の心の叫びだ。
「理由はない。ただ、目の前で死なれるのが面倒だっただけだ」
「霞! お前がいなければ、私は楽になれたんだ。楽に……」
死んで楽になりたかったようだ。
「飯塚、お前が死んで悲しむ人がいるだろう? 何で死にたかったんだ? 」
「私が死んでも誰も悲しまない。そんな奴は一人もいないよ」
「爺さんと婆さんと一緒に暮らしていると聞いたが? 」
「あの人達は、こんな私を厄介者のように見ていた。私が死んだら清々するだろうさ」
どの家にもどの人にも事情がそれなりにある。
俺は、それについて何か言うつもりはない。
「で、俺をここに呼び出したのは文句を言う為か? 」
「そうだよ。霞に一言言わなければ腹の虫が治らなかったんでね」
随分、自分勝手な奴だ。
本当、大概にしてほしい。
「そうか、じゃあ用事はもう済んだんだな」
俺は、帰ろうとすると飯塚が声を上げた。
「おい、霞。お前は知ってたのか? 」
「何をだ? 」
「私が、赤ん坊を下ろした事だよ」
「知ってたよ。でも、結城から聞いたわけではない。俺には優秀な情報網がある。たまたま、そいつから聞いただけだ」
「薬の事もか? 」
「ああ、そうだ。で、俺がそれを知ってたとして何か問題でもあるのか? 」
「いや、問題はないさ。全部、自分のしでかした事だ」
「そうか、じゃあ、用事はもう済んだんだな。俺は行く」
飯塚は何か悔しそうに口を閉ざした。
そして、おもむろに語り出してしまった。
「私は、好きでもない男と何度も寝た。薬は怖かったから最低限に抑えた。でも、売り上げが少ないと何度も殴られ脅された。だから、私は体を売って金の足しにしたんだ。私は汚い女だ。穢れているんだよ。だから、死にたかったんだ。それなのに、霞。お前が……」
随分好き勝手な事を言ってくれてるな……
「飯塚、お前は随分狭い世界で生きてんだな」
「どう言う事だ。狭い世界って何だよ! 」
「お前の考えは、学校、家、そして塾やその他。この近辺だけしか世界がない。お前が、抜け出そうとしたら、どうなった? 身内を人質にでもされていたのか? お前が、もし海外にでも行っていれば、追いかけてきたのか? 何故、警察や色々な人に相談しなかった。飯塚、お前は、自分で自分の世界を狭めていたんだよ。つまり、ガキなんだよ。考えも行動も全てがな」
「煩い! 煩い! 煩い! 黙れよ、霞。そう言うお前はどうなんだ。そんなに偉そうな事が言えるのかよ」
「少なくとも飯塚よりは広い世界を持っている。だが、説教を垂れる程とは言えないがな」
睨んでいる飯塚の目は、少し赤くなっていた。
「何だ。お前も同じなのか……つまり、霞もガキって事さ」
「そうだな。まだ16歳だ。ガキはガキらしく生きて行くさ。飯塚みたいに大人の真似して生きていくには、俺は、まだ背負い込む覚悟がないからな」
「私だけじゃない。大人ぶっているのは沢山いる」
「そうだろうな。興味を持つ事は悪い事じゃない。だが、それを実行するには覚悟が必要となる。飯塚のそれがいい例だろう? もし、飯塚が学生ではなくきちんと働いていて、好きな人の赤ちゃんを授かったのなら下ろさずに済んだかもしれない。興味や好奇心だけでは、今の俺達にはその代償は荷が重すぎるんだよ。まあ、一方的な強制によるものなら、そんな綺麗事言ってられないがね」
「お前は、何なんだよ。学習準備室で誘惑しても乗ってこない。私のパンツを見てもときめかない。お前はロボットか何かなのか? 」
「感情ほど危険なものはない。だが、感情ほど素敵なものもない。もし、俺がそうなっても良いと思える時が来たらそれが俺の童貞を捨てる時期だよ。一時の感情でグラつくぐらいなら、それは本物ではないからな。俺は、そういう本物が欲しいんだ」
「一生、童貞でいろっ! そして魔法使いにでもなるんだな! 」
「それは、素敵な事だ。俺は魔法を使ってみたい」
「何だそれ、霞、お前は変だぞ」
「ああ、そうかもな。だが、一つだけ気になったので言っておく。飯塚、お前の身体は、汚れが着くと落ちない特殊体質の持ち主なのか? 」
「はあ!? 何言ってるんだ? 」
「さっき、汚いと言っただろう。だから、汚れがついたら落ちない、そう言う体質なのかと思ってな。聞いてみた」
「そんな訳あるわけないじゃん!」
「じゃあ、その穢れは身体の事じゃない。心が穢れたと思ってるんだな」
「…………そうかもね」
「心の穢れは直ぐには落ちない。だが、考え方次第で直ぐにでもなくなるものだ。それは、飯塚本人しかわからない事だ。直ぐには落ちないのか、それとも直ぐに落とせるのか、は」
「…………」
「さっき、死にたいと言ったが、急がなくとも自然とその時期が来る。それは、明日かもしれないし、80年後かもしれない。俺達の未来は1秒先もわからない。だから、今が大事なんだよ。俺は、この間、初めて美味いラーメンを食った。何度でも食いたいと思ったよ。だから、俺はその為に今を生きる。死んだら食えないからな」
「霞、お前、変だよ。お前が入院した方がいいよ」
「確かに、そうかもな。でも、美味いラーメン食っただけで人はそう思えるんだよ。誰もがと言うわけではないが、考え方で変わるんだ」
「ああ、そうかもな。霞と話してると何だか全ての事がバカらしくなってくるよ」
「退院したら、そのラーメンを奢ってやろう。俺が朝刊配達したバイトの金でな。美味いぞ! 」
「ラーメンか……美味いラーメン食ってみたいかも……」
「そうか、期待しておくんだな。またな」
「ああ……」
俺は病室を出て行く。
ドアの外には、結城がいた。
目に涙を溜めている。
「心配するな。あいつは大丈夫だ」
「……うん」
俺は、そのまま病院を後にした。