第13話 紅の女
「兄様、庚さんが自宅を抜け出しました」
この間、瑠奈と一緒に庚家を監視していた時に、木の上に設置しておいた監視カメラから、庚が屋敷を抜け出した映像が映し出された。
「GPSに反応ある? 」
「はい。まだ、気付かれて無いようです。竹刀袋を持った庚さんの行動と一致してます」
昼間の件でイラだっていたのはわかってたが、月曜から狩に行くとはな……
「わかった。これから行って来るよ」
俺は、支度を済ませ家を出ようとした時、既に着替えを済ませた陽奈が玄関で待っていた。
「お兄、私も行く」
瑠奈は現在、己家の残党の情報収集に忙しい。
そんな瑠奈を見てジッとしてられなくなったのだろう。
「わかった。行くか」
監視の任務は、結構辛い。
相手に合わせて行動する監視は、自分の思い通りに行動できないだけで、精神的にくるものがある。
抑えが効かない陽奈の胆力を鍛えるには丁度良いかもしれない。
「お兄、ちょっと待ってて」
陽奈は、自分の部屋に駆け込んで『ガサガサ』と何かしだした。
「あったーー! 」
そう大きな声を上げてさっきより少し膨れたデイバックを背負っていた。
「忘れ物か? 」
「えへへ、秘密」
小悪魔のような笑顔を浮かべていた。
きっと何か企んでるな……
「瑠奈、あとは頼む」
「はい、お任せ下さい」
俺と陽奈は、マンションを出て駅に向かった。
◇
駅に着く頃、瑠奈から連絡が入り、スマホと連動する腕時計でそれを確認する。
「対象が渋ヤから山手線に乗ったようだ。この駅に来るかもしれない。少し様子を見るぞ」
「わかった。少し時間があるんだよね? 」
「あーー」
「じゃあ、甘栗買って? 」
「……食べたいの? 」
「うん、この甘い匂いに逆らえる人がいるの? 」
この一言で俺は納得し、駅構内の売店で甘栗を買って陽奈に渡した。
『兄様、対象の目的地は池フクロウのようです』
腕時計のメッセージを見て、ここで待機する。
午後9時を回った駅構内は、人の行き来が朝と違って乱れている。
「お兄、もう一つ買ってもいい? 」
「まだ食うのか? 」
「違う。瑠奈の分。それとポップコーンも欲しい」
「……お腹壊すなよ」
ポップコーンと甘栗を買って陽奈に渡すと一粒口に運んでバッグの中に入れていた。
その甘い匂いポップコーンの匂いは、監視の時障害になりそうだが、瑠奈のお土産という事で黙認した。
『お尻、池、到着』
瑠奈のメッセージが簡潔になった。
他の仕事と連動してやっているのだろう。
「陽奈、対象が来るぞ。見つかるなよ」
何処の改札を抜けるかわからないが、油断はできない。
『お尻、池、西口』
瑠奈からのメッセージを見ると、前に池フクロウで庚がいた穢れの場所に行くのかも知れない。
陽奈もメッセージを確認していて、目で合図して先回りをする事にした。
公園前の通りを通るだろうと予測して、公園のベンチに座り対象の到着を待つ。
1分程で、遠目に庚を捉えた。
やはり、この公園前を通るルートだ。
陽奈の周りには、鳩が集まりだしている。
ポップコーンの匂いに誘われたのだろう。
「陽奈、目立つ行為はダメだぞ」
「わかってる」
陽奈は集まってきた鳩に何かを行っていた。すると、鳩は1匹を残して分散して行った。
「陽奈、対象だ」
「うん」
気配は消さず、見つからないようにフードを目深に被る。
その時、猛スピードで走る黒いワンボックスカーが庚の前で、急停止した。
そして、多くの人がいる前でスタンガンを打ち込み庚の動きを鈍らせ車に押し込んでいる。
「お兄! 」
陽奈の叫びが聞こえたが、手で陽奈の服を掴む。
「どうして? 」
俺の視線を追ったのか陽奈は、ビルを見上げた。
「あっ……」
「陽奈、鳩を使え」
「わかった」
陽奈は、目の前にいる鳩にバッグからとりだしたポップコーンを上げて小さな声で話しかけている。
ワンボックスカーは急発進して、信号を無視し猛スピードで走り去って行く。
「陽奈! 」
俺の合図に陽奈は鳩に向かって小さく呟く。
「GO! 」
そう短く呟くと公園にいた鳩は一斉に飛び上がった。
陽奈には、特殊な神霊術がある。
そう、動物達と意思疎通ができるという神霊術が……
◇
『兄様、どういう状況なのですか? 』
耳に装着してあるインカムから瑠奈の声が聞こえる。
「陽、鳩、車、追尾」
言葉短に俺は呟く。
「ビル、2、狙撃」
そして更に言葉を追加していく。
『了解しました』
今、俺と陽奈は動けない。
ビルの上にいる狙撃手が公園にいる一般人を狙っている。
恐らく、俺と陽奈の足止めのつもりだろう。
そして、狙撃手とは別のビルにもう1つの黒い影がいる。
狙撃手は、暗殺を専門としている輩だろうが、俺達にとっては一般人と何ら変わりがない。
だが、あの黒い影は違う。
俺達と同じ匂いがする。
公園周辺では大騒ぎになっている。
瑠奈から送られてくるメッセージでは『お尻、G可、ス不可』と表示される。
竹刀袋のGPSは健在だが、庚が持っていたスマホは破壊されたようだ。
「お兄、そろそろ動く? 」
「ああ、陽奈は狙撃手、俺は影」
「わかった」
「3…2…1…GO! 」
俺と陽奈は霞家に伝わる神霊術を発動する。
俺達の目は、金色に光り出した。
~~~~~~~
「狙撃手さん」
「なっ……」
陽奈はビルの上でわざとらしく、俺達に見せびらかすように見える場所にいた狙撃手の背後に座りながら両手で頬づえをして声をかけた。
手には甘栗の袋を持って美味しそうに食べている。
「さっきまで、お前はあそこにいたはず……」
狙撃手は、慌てている。
「何の事? そんな昔のことは覚えてないよ。それより、甘栗食べる? 美味しいよ」
「貴様! 」
振り返って陽奈に銃を向けようとした狙撃手は、
「遅い! 」
陽奈の手刀が狙撃手の首に食い込んだ。
狙撃手は、その一撃で気を失って倒れた。
「甘栗美味しいのに、あ〜〜あ、お兄の相手の方が面白そうだったなぁ」
そう呟きながら、狙撃手を拘束していく。
そして、瑠奈に連絡を入れた。
「1匹確保したよ」
「連絡は入れてある。もうじき警察が到着する」
「瑠奈は今、何やってるの? 」
「庚さんを追跡しつつ、ネットに上げられた兄様と陽奈の痕跡を消してます」
「そう。あっ、鳩が来た。瑠奈、2台に分かれたって言ってるよ」
「周辺の防犯カメラで確認済みです。一台は荻クボ方面、もう一台は埼タマ県川グチ方面に向かってます」
「庚先輩は、どっちなの? 」
「竹刀袋に付けたGPSは、荻クボ方面ですが、これは恐らくフェイクでしょう。川グチ方面が本命だと断言できます」
「わかった。先行する」
陽奈は、バッグから取り出したポップコーンを鳩に与える。
そして「お願い」そう呟いて鳩を離した。
都会の明るい空を飛び立った鳩は、北方面に進路をとる。
陽奈は身体を強化して、その場を離れる。
ビルの壁を蹴り、隣の背の高いビルに移って鳩を追跡しだした。
~~~~~~
「お前は何者だ? 」
黒い影の背後に立ち声をかける。
「流石、霞の者ね。一瞬で移動してくるなんて」
黒い影を払い落として現れたのは、色気溢れる妖艶な女性だった。
「まだ子供だと思ってたけど、実際、間近で見ると案外といけそうね」
俺は舐め回すように身体をジロジロ見られた。
「もう一度問う。お前は何者だ? 」
「貴女と同じ忍びよ。忍びに名前を尋ねるなんて『霞の者』は常識も知らないのかしら」
その女は、腰をくねらせ、持っていたタバコに火を着けた。
タバコの煙と女の香水の匂いが入り混じる。
「随分、余裕だな。これでも手加減してやってるつもりなんだがな」
「だって、貴方は私を殺せないもの。人質がいるのはわかってるでしょう? 」
「庚の事か。目的は何だ? 」
「貴方よ。私は貴方と話がしたくてここに来たの。面倒な事は女好きのもう1人に任せるわ」
「庚を巻き込んだのか? 」
「優しいでしょう? 1人だけなんですもの。本当ならこの下にいる蟻たちを皆殺しにしても良かったのよ」
「目的が俺ならもう叶っただろう? 」
「私はね。でも、そうじゃない奴もいるしね」
「その身のこなし、匂い、そして、その胸に刻まれたタトゥー。お前は『紅の者』か? 」
女の服には、蜘蛛をあしらった模様が描かれている。
「正解よ。でも、クイズを出した覚えはないわ」
戦国時代、甲賀の里の山奥に紅一族が住んでいたと言われる。それは、信州の山奥に暮らしていた『霞の者』達にもその噂は届いていた。
『紅の者』と『霞の者』が初めて対峙したのは、関ヶ原の戦いである。
豊臣勢に付いた『紅の者』と徳川家に付いた『霞の者』は、戦の影で争っていた。
忍びとしての残忍さは『紅の者』が上だったかもしれない。
人を人と思わず敵領地の村をいくつも残酷に殺し尽くして滅ぼしたようだ。
しかし、神霊術を行使できる『霞の者』は『紅の者』を相手にしても負け知らずだった。
「で、俺に用なのは昔の因縁にケリをつけるためか? 」
「そういう奴もいるわ。私は個人的に貴方に興味があったのよ」
「俺には用が無い」
「そんなこと言わないで、ねぇ、私と交わらない? 」
「はぁ!? 」
「今の時代、忍びなんてやっても馬鹿みたいじゃない。それより、お互い気持ち良くなって貴方の遺伝子を頂戴。きっと私達の子供は、世界を牛耳れる程の力を得るわ。やってみたいでしょう? 世界を駒にして遊ぶボードゲームを」
「女の忍びは面倒だな。あらゆる手を使って男の寝首を掻く。それに、俺は世界なんて興味は無い」
「やはり、まだ子供なのね。つまらないわ」
「そろそろいいか? 会話は面倒だ」
その言葉を聞いた『紅の者』は何かを察したかのように笑みを浮かべた。
「ふふふ、動けるならね……」
『紅の者』は、そう言いながら薄ら笑いを浮かべている。
何かを仕掛けていたようだ。
「お前の奥の手はそのタバコか? 」
ハッとするように、その女の眼光は鋭くなった。
「わかったところでもう遅いでしょう? 痺れて指一本動かせないでしょう? わははは。どう? 今の気分は? 異常な状態に言葉も出ない? わははは」
「そんな事は無い」
俺は、オーバーアクション気味に屈伸してみせた。
「な、なんで動けるのよーー! 」
「俺達は霞の者だ。この世界の毒の対策など生まれた時から訓練している。流石に、子供の頃は、一週間ほど寝たきりになった事もあったがな。身体強化の神霊術を使えなければとっくに死んでいたよ。それは、お前も同じだろう? 『紅の者』クノイチ、女郎蜘蛛さん」
『霞めーー!! 死ねーー!! 』
両手の指先から糸が放たれた。
その先端には毒が仕込んである10本のナイフが結ばれていた。
糸を操り、軌道をずらしてナイフは俺の全方位から襲いかかってきた。
神霊術を使うまでも無い……
俺は、そのナイフを弾いて叩き落とす。
そして、一気に女郎蜘蛛の懐に入り込んだ。
『グヌッ……』
女郎蜘蛛の鈍い声が漏れた。
俺の拳は、女のみぞおちに深く食い込んでいた。
「か……すみ……め………ブハッ」
口から血の滲んだ黄色い液体が溢れ出る。
俺の手の中で力失っていく女郎蜘蛛は、雪崩れるように倒れこんだ。
意識を失った女の身体を弄り、凶器を取り除いていく。
そして、拘束してその場に放っておいた。
「俺達と対峙して生きてる事が異常なんだよ。今の時代に感謝するんだな……」
給水タンクの上にいる鳩が北方面に飛び立った。
俺は、その鳩の跡を追った。