36:絶望
残酷な表現あります。
いなくなる。
また一人…
また…
それでも前を向いて走って行かなきゃならない。
例えそれがどんなに辛い結果を招こうとも。
「ヒロ君!あそこ見て!」
「!」
5分ほど走り続けて、それは見つかった。
薄い青緑色の大きな球体。
そしてその中に揺らめく二つの人影らしきもの。
「あれが…」
「あぁ…きっと北森が言ってたヤツだ…」
揺らめく二つの人影は、恐らく八神と馬渡だろう。
とにかく、彼らを解放しなければならない。
しかし近くで見ても、それは完全な球体で開けれそうな場所はどこにも無い。
だがこれを開けないと、二人を解放する事は出来ないのだ。
「どうしたら良いんだ…」
「私に任せて」
途方に暮れる狩谷を制し、瑞樹が一歩前に出た。
「さっき…北森君に言われたでしょ?」
「…反作用の力ってヤツか?」
「うん。それ、結界に対しても有効なんじゃないかな…」
「やってみる価値はあるか…」
こくり、と瑞樹が頷く。
狩谷は一歩瑞樹から離れた。
それを確認すると瑞樹はその球体にそっと手を置いた。
瞬間、大きな力の波が通り抜けるかのような感覚が瑞樹を襲う。
はね除けられそうになる手を押さえ込み、触れている部分に瑞樹は力を集中させた。
瑞樹が触れている部分の色が徐々に薄くなっていく。
「お願い…開いて!」
瑞樹が掌に一際力を集中させた瞬間。
結界がまるで風船のように弾けて消えた。
どさり、と二つの人影が重なり合って落ちる。
狩谷と瑞樹は二人が落ちてきた場所に急いだ。
折り重なるように倒れている二つの身体。
一人は言うまでもなく怜王で。
もう一人は…
「八神…了、」
自分たちと敵対していた集団の頭だ。
瑞樹はその身体に近付き、そっと揺すってみた。
隣では同じように狩谷が怜王を起こしている。
その時、伏せられていた八神の瞼が揺れた。
ゆっくり、その瞳が露になっていく。
深い、ダークグリーンの瞳に瑞樹は思わず息を飲んだ。
「君は…?」
「私は…瑞樹蓮。」
「君が、そうか…じゃあ…」
途端に鋭い風の刃が瑞樹を襲う。
慌てて距離を取るも、刃を纏う八神の手は瑞樹の目の先に迫っていた。
避けきれない事を悟り、瑞樹は思わず目を閉じた。
しかし、何時までたっても想像するような衝撃はやってこない。
恐る恐る、閉じていた目を開けると…
「待て、八神…」
「怜、王…何故?」
「落ち着け。敵じゃねぇ…」
「白星は敵でしょう…?何故…今更敵じゃ無いなんて…」
言い募る八神の肩を、怜王がそっと撫でる。
ゆっくり、言い聞かせるように。
「八神、敵を見誤るな。コイツらに俺達は助けられたんだ…」
「…」
「今、コイツらと戦えば黒幕の思うつぼだろうが」
八神がゆっくり瞳を閉じる。
怜王は八神に嘘を吐くような人間ではない。
信じがたい話ではあるが、それはきっと真実なのだろう。
「わかりました…怜王の言う事なら信じます。」
「ありがとう、八神。」
怜王が瑞樹と狩谷を振り返る。
同じ様に振り返った八神の目には、先程のような殺気は感じられなかった。
「少し話、良いか…?」
「矛盾、の続きか…」
狩谷が頷く。
それを見て、怜王は小さく息を吐き出しその場に腰を下ろした。
視線だけで促され、瑞樹と狩谷もその場に座り込んだ。
「お前ら2人だけ、か…此処に来たって事はもう奴らは動き始めたのか?」
「奴ら、って凪さんと蒼と翡翠か?」
「あぁ。」
狩谷は一度目線を地面へと落とした。
怜王に肯定された事で、裏切られたという事実をますます浮き彫りにされたのだから。
心の何処かに残っていた淡い期待はあっさりと打ち破られる。
もう、覚悟を決めなければならないのだ。
「蒼と翡翠は、今…晋と北森が引き止めてる。」
「北森君が、貴方達を解放しろ…って。そうすれば…道が開けるから、って…」
怜王の目に戸惑いが映る。
八神も何処か居心地が悪そうに視線を彷徨わせた。
「道…ですか…」
「八神さん…何か分かるの…?」
瑞樹の問いに八神は口を噤む。
暫くの間があって、視線を合わせないまま八神が重い口を開いた。
「俺達を解放したのは、蒼と翡翠を止める為、でしょう…」
「え…」
「俺達があの妖弧達を封印する術を持っているから…」
瑞樹の唇が震える。
八神の言葉が事実だとすれば。
それが、北森の言っていた『道』だとすれば。
「じゃあ…北森君は…水無瀬君は…」
「彼らじゃ奴らを倒すことは出来ない。残念ですが、もう…」
その先の言葉は容易に想像がついた。
ぐらりと揺れる視界。
目の前が真っ暗になったかのような錯覚に陥る。
倒れそうになった瑞樹の肩を隣に居た狩谷が辛うじて抱き止めた。
「瑞樹…」
「もう、嫌…何で、」
「泣き言言うんじゃねぇよ、白星。」
怜王の鋭い相貌が瑞樹を捕らえる。
視線を逸らそうとすると、反対側から伸びてきた八神の手によってそれは引き戻された。
「全ては始まってる。もう引き返せねぇところまでな。」
「全てを話します。だから、貴方達が全て終わらすんです。」
吸い込まれそうなダークグリーンの瞳。
それは、有無を言わさない力を持って瑞樹を引き込んだ。
辺りは一面血に染まっている。
蒼と翡翠はその中心に佇んでいた。
それぞれの足元には、さっきまで戦っていた相手が転がっている。
まだ辛うじて息は有るようで、背中が小さく上下しているのが見て取れた。
「結構、しぶといね。人間の癖に…」
翡翠が爪先で、水無瀬の顎を持ち上げた。
荒い息を繰り返す苦しげな表情が顕わになる。
(マジ…強ぇ…化けモンかよ…)
身体に力を入れようとしても、最早指一本動かすことすらままならない。
そのまま顎を蹴られ、水無瀬の身体は上向きに転がされる。
転がった水無瀬の喉元を翡翠が冷酷に踏みつけた。
「此処まで長持ちしてくれると、ちょっと殺すのが惜しくなっちゃうよね、蒼。」
「ほんとだね、翡翠。」
その時蒼の目の前に倒れていた北森が、手を地面に付いて立ち上がった。
足元は覚束ないが、それでも何とか構えてみせた。
その様子を蒼が嬉々として眺めている。
「さっすが、透兄!」
「その、足を、退けろ…」
「何で?」
「俺の仲間だからだ…!」
その言葉に蒼と翡翠はほぼ同時に顔を顰めた。
「聞き捨てなら無いよね…その言葉。」
「透兄は俺達の仲間だよね…?」
「裏切るの?」
「俺達を裏切るなら、透兄なんてもう、要らない。」
蒼と緑の瞳が冷たい色を放つ。
竦みそうになる殺気をものともせず、北森ははっきりと言葉を紡いだ。
「俺も、お前達なんか要らない…直を奪い、俺の仲間を傷付けたお前達なんか…」
言い終わる前に、蒼の手が北森の喉を掴んだ。
そのまま力任せに地面へと縫い付けられる。
気管を押さえ込まれ、北森の呼吸が止まる。
半開きになった口元から苦しげな呻きが漏れた。
「残念だよ、透兄…透兄なら、分かってくれると思ったのに…」
「透兄だって、散々人間達に酷い目に合わされてきたじゃないか…なのに、どうして…」
「…っ、おが、…居た、か…ら…」
北森の視界が暗く染まっていく。
それでも気持ちは何処か穏やかだった。
愛する幼馴染と同じ場所に行く事が出来るのだから…
「直、直…透兄はいっつも直サンの事ばっかりだ…」
「あい、つ…居た…か、…俺…は、生き…れた…」
蒼の手に益々力が入る。
頚骨がみしり、と嫌な音を立てた。
しかし、低酸素により脳が麻痺している所為か痛みは余り感じなかった。
「き…た、もり‥ッ!!」
水無瀬の声が遠くで聞こえる。
どんどんブラックアウトしていく意識の中、北森は一筋の光を見た。
―― 透…、ごめんね…
(直…なんで、お前が謝る…俺がお前を信じなかったから、こんな事になったのに…)
―― 僕が、もっと強かったら…
(もう、良い…お前が俺と共に居てくれればそれで…)
―― ずっと、一緒だよ…
伸ばした手が、空を切る。
北森の手はそのまま地面へと落ち、首ががくりと上向いた。
血の気の抜けた顔。
それを水無瀬が確認する間もなく、北森の身体が光に包まれ霧の様に掻き消えた。
呆然とする水無瀬の前に2つの影が歩み寄る。
「次は、アンタだ…」
「蒼、こっちは俺が止め刺すよ。」
翡翠の手が翳されたと思うと、次の瞬間水無瀬の胸から血が噴出した。
何が起きたのか理解できないまま、水無瀬の身体は後ろへ吹き飛ぶ。
その身体は地面を数メートル滑り、動きを止めた。
「っ、かは…ッ‥」
「反射神経は良いみたいだね…」
血が滴る右手を、ぺろりと舐めて翡翠が笑う。
水無瀬が胸に手をやると、皮膚と肉の一部が抉り取られていた。
少しでも身を引いていなければ、確実に心臓を持っていかれていただろう。
「随、分…悪、趣…味な、殺し、か…た…選んで、くれ…じゃねー…か、」
「慈悲深いと言って欲しいね。一撃で死ねる方法を選んであげたんだから。」
再び翡翠の手が翳される。
今度はその5本の指が全て水無瀬の胸に突き刺さった。
声を上げる間もなく、その指が水無瀬の心臓を掴む。
「なかなか、楽しかったよ…水無瀬さん。」
「ぁ…が…」
「でも…バイバイ。」
真っ赤な鮮血が迸る。
赤く染まる視界の端に、翡翠が赤い塊を持っているのが見て取れた。
急速に遠くなる意識。
水無瀬の脳裏に狩谷の悲しげな顔が浮かんで、消えた。
「行くよ、翡翠。まだネズミが残ってる。」
「師匠に辿りつく前に処分しなきゃね。」
双子が走り去った後。
そこには血の海だけが広がっていた。




