35:道
やや残酷表現?あり
光の波が引いていく。
眩んだ視界をゆっくりと抉じ開けると、そこは一面硝子の様なもので覆われていた。
「これ…は?」
「良かった…間に合った…」
ひやり、とした感覚。
声の主を見上げて、瑞樹は言葉を失った。
「直…くん…」
硝子の様に見えたのは、直によって張り巡らされた氷の壁。
そこに張付けられたかのように、凭れかかる直。
その身体の周りにある氷の壁は真っ赤に染まっている。
直がその場に倒れると、氷の壁は音も無く崩れ去った。
「嘘…何で…ッ!」
「透が…馬鹿なことする、から…思わず…」
地面に倒れながらも、直の目は真っ直ぐ幼馴染へと向けられている。
血に塗れた手が北森へと伸ばされた。
「何、してんだよ…透…。」
「な…お…」
「友達、傷付けるなんて…最低だよ…」
「な…お、俺、は…」
距離を取ろうとする北森の下へ、直はずるずると這って行く。
真っ赤なラインが直の這った後に残った。
「逃げるな…!僕の、目見て言ってみろよ…!」
「ぅ…ぁ…」
「今までのが全部嘘だったなら、そうと今言え!」
慟哭の様な叫び。
磨り減っているはずの命とは裏腹に、直の言葉はそれを感じさせない力を持って響く。
北森がまた一歩後ずさった。
「言えよ…!そうしたら、僕が透を殺してやる…!」
血塗れの左手だけを地面に付いた状態で、右手を振りかざす。
直の手に透明な氷の刃が現れた。
鋭いそれが、北森の喉下へ突き付けられる。
「大丈夫。寂しくなんか無いよ」
「直…」
「僕も直ぐにいくから…」
切先が北森の喉へ食い込んだ。
ぷつり、と皮膚が切れ赤い雫が伝い落ちる。
直の表情が一層苦しげに歪んだ。
長い沈黙。
それを破って、北森が口を開いた。
「俺、は…」
ぎこちなく吐き出される言葉。
「お前を、騙して、いた…ずっと長い間…」
一歩。
直へと北森が近づく。
氷の刃が更に北森の喉へと食い込んだ。
血に染まる喉元に、直の視界が涙で歪む。
しかし、北森はそれに構う事無く言葉を紡いでいく。
「それでも、お前の、隣に居たかった…それは嘘じゃない…」
「透…」
「でも、結局…俺はお前を泣かせてばかりだ…」
直の手から氷の刃が消える。
北森は直の前に膝を付くと、その身体を引き寄せ抱き締めた。
「謝っても許してもらえるとは思っていない…」
「透、僕は…っ、」
「許す必要も、ない…俺は俺の目的のために、こうするしかなかった。」
北森の頬を涙が伝う。
直を掻き抱く腕は小さく震えていた。
「ごめん…直。」
項垂れる北森。
直は最後の力を振り絞って立ち上がった。
そして北森の手を取ってふわりと微笑む。
「も、良いよ…許す。」
「な、お…」
「でも、この2人を傷付けるなら…僕と一緒に此処で死んでもらう…」
冷たく、血の気が抜けた指先。
それは直の命が確実に磨り減っている事を示していた。
無機質な北森の目に後悔の色が宿る。
こんな筈ではなかったのに。
北森は自分の無力さに歯噛みした。
護る為に振りかざした力が、護りたかった者を傷付けて。
悔やんでも、それはもうどうする事も出来ないのだけれど。
「とー…る?」
「直、俺は…!」
「仙崎!」
いち早く異変に気付いたのは狩谷だったが、伸ばした手は間に合わなかった。
北森の言葉が終わる前に、直の身体は前へ倒れこんだ。
その背中には、2本のククリ刀がまるで羽根の様に刺さっていた。
両側の肺を貫くように刺さったそれが直の呼吸を奪う。
一瞬の内に血で満たされた肺。
それは気管を通って直の口から吐き出される。
「直、直!!」
「透…無、事?」
「お前、まさか…わざと…」
避けなかったのか…?
そう続けるはずの言葉は北森の口からは出てこなかった。
直の血塗れの口元が笑みを作ったから。
動かない直の身体が光に包まれる。
そのまま幻覚のように直の身体は消えて無くなった。
残ったのは、直に刺さっていたククリ刀だけ。
それぞれの持ち主が、音も無くそのククリ刀を拾い上げた。
「やっぱ、直サンの存在は邪魔だね。」
「透兄の判断を鈍らせるからね。」
呆然とする北森達の前に現れた双子。
蒼と緑の瞳が不気味に微笑む。
北森の瞳が再び金色に変わった。
怒気を含んだ炎が双子へと向けられる。
「お前ら…!約束はどうした!?」
「先に破ったのは透兄じゃない?」
「ミズキとカリヤを処分、出来なかったよね?」
双子の身体がそれぞれ瞳の色と同じ炎を帯びる。
完全に臨戦態勢だ。
「僕達、透兄が好きだからさ…だから出来れば生きたままで居て欲しいんだよね?」
「そうそう。だから、チャンスをあげたのに…」
「…チャンスなんて最初から無かった…お前達の言葉に耳を傾けた時点で、俺は既に間違えた道を進んでいたんだ…」
直の言葉を信じ、直と共に歩む道を選んでいればこんな結末にはならなかっただろうか。
護りたいなんて驕らず、共に戦う道を選んでいたなら…
― 僕を戦わせない算段でもしているなら願い下げだよ
そう言っていた直の言葉をちゃんと受け止めるだけの器があの時の自分に有ったのなら…
後悔しても遅すぎるけれど、後悔の念しか北森の思考からは出て来ない。
もう、全てが遅すぎるのに…
北森は一度だけ、瑞樹達を振り返った。
深い悲しみと、怒りを含んだ瞳と視線がぶつかる。
「行け…この先のドアを潜れば八神了と馬渡怜王が幽閉されてる部屋がある。」
「北森君…!」
「まずはそいつらを解放しろ。そうすれば、道が開けるはずだ。」
「お前は…?」
「俺は此処でコイツらの相手をする。」
たった一人で、立ち向かおうとする北森を止めることは狩谷には出来なかった。
恐らくどんな言葉を並べようとも、その怒りや悲しみを止めることは出来無いだろうから。
そんな北森を嘲笑うかのように、双子は言葉を繰り返す。
「直サンを、護りたかったんだよね?透兄は。」
「師匠の言葉の通りに動かないと、直サンを殺す約束だったものね?」
「だから、僕達は約束を破った罰を与えただけ。恨まれる筋合いは無いんだけどなぁ」
「そうそう。ちゃんと傍に居れるように、守護者にしてあげたのにさぁ」
話が見えてきた。
凪の目的が何かは分からないが、その目的に北森は協力を要請された。
しかし快くは引き受けなかったのだろう。
だから脅迫とも取れる条件を出されたのだ。
『協力をしなければ、直を殺す』という、北森が絶対逆らうことの出来ない条件を。
そして先程下されていたのは、此処に乗り込んできた狩谷達を消すという指令だったのだろう。
しかしその指令を遂行することは出来なかった。
護ろうとしていた筈の直が現れ、狩谷たちを殺すことを止めたのだから。
結果、直が消されてしまったのだ。
そして残された北森が選んだ道は、直を弔い戦うこと。
遣り切れない思いで、狩谷はその後姿を見つめた。
何時までたっても動こうとしない2人に痺れを切らしたのか、北森が声を僅かに荒げる。
「早く行け…!そんなには持たない…」
「でもお前、一人でなんて…」
「一人じゃねぇよ」
聞きなれた。
でも何処か久しく聞いた声が響く。
狩谷と瑞樹が同時に振り返る。
「水無瀬君!」
「晋…大丈夫なのか…?」
其処には壁に凭れかかる様にして立っている水無瀬の姿があった。
平気そうに振舞ってはいるが、あれほどの深手を負ったのだ。
平気な筈は無い。
「寝過ぎたぐらいだ…」
「加勢はいらない。」
「加勢じゃねぇよ。俺は俺で、ソイツともう一回サシでやってみたいだけだ。」
水無瀬の指が真っ直ぐ翡翠を指差す。
「あの時の続き?」
「まぁな」
「あの時、俺大分手加減してやったんだけどな。」
「分かってんだよ、そんな事…だから俺ともう一回やれ。」
「ま、良いけど?」
ぽきぽき、と翡翠は指を鳴らす。
水無瀬も軽く首を左右に振ると、構えを取った。
「裕之、瑞樹、お前らは早く行け」
「水無瀬君…っ、」
「同情とかする暇有るならとっとと行け!くだらねぇ感情で在るべき道を見失うんじゃねぇよ!」
暫く躊躇った後、狩谷は瑞樹の手を取った。
「晋…、北森も…死ぬなよ…」
「誰に言ってんだよ、バーカ。」
「分かってる。早く行け…」
「絶対だよ?」
念を押す瑞樹の頭を水無瀬が、くしゃりと撫でた。
そして何時もの様に笑う。
「んな顔してたら余計不細工なるぞ?」
「!」
「笑っとけ…お前の笑ったトコ、嫌いじゃねぇ。」
水無瀬の手が離れる。
それが合図だった。
弾かれた様に狩谷は瑞樹の手を引いて走りだす。
奥の方に見える扉を目指し、ただひたすらに。
後はもう振り返らなかった。




