32:矛盾
指を少し動かしただけで激痛に襲われる。
意識を飛ばさないようにするだけで精一杯だ。
「くっそ…」
どうすればこの糸から逃れる事が出来るのか。
考えてみるが全く思い付かない。
そうやって考えている間にも糸は狩谷の身体を切り裂いていく。
(このままじゃ死ぬ…何とかしないと…)
視線を左手に落とす。
右手に比べれば糸が通っている本数は少ない。
もしかしたら、手を落とす事なく外せるかもしれない…
(イチかバチか…やるしかない…)
左手に力を込める。
そして息を吸い込み、勢いをつけようとしたその時…
「ヒロ君!」
「瑞、樹…?」
痛みで霞む視界にその姿を捕らえる。
何も出来ず捉えられている自分が情けなくて。
狩谷はそのまま左手を無理矢理引き上げようとした。
しかし、それを瑞樹の手が制止する。
「動かないで…」
「こんくらい…どうって事ない…」
「駄目!」
尚も動こうとする狩谷を瑞樹が一喝する。
狩谷は血塗れの左手から力を抜いた。
「助けるから…」
瑞樹は狩谷の前で膝をつく。
そして両手を胸の前で組み合わせた。
暖かい光が狩谷を包む。
狩谷の傷口がゆっくりと塞がっていく。
「糸が外れるまで頑張って…」
「瑞樹…大丈夫か…?お前、そんな長時間、力使った事…無いだろ…?」
「平気!ヒロ君こそ大丈夫…?」
「大分、楽になった…ありがとうな…」
瑞樹がにこり、と笑う。
それだけで痛みがまた和らいでいく。
「不思議な…力だな…」
「え…?」
狩谷の左手から糸が外れた。
自由になった手を、狩谷は伸ばし瑞樹の頬へ当てた。
瑞樹は驚いて顔を上げる。
「お前の隣は…暖かい…」
「ヒロ…君…?」
「何で…気付かなかったんだろうな…」
狩谷の切れ長の瞳が細められた。
その眼に見つめられているだけで、瑞樹の心はざわつく。
身構える瑞樹に、狩谷は苦笑う。
頬に触れていた手をゆっくり外した。
「大丈夫…怖がるな…」
「…っ、」
「お前を困らせることはしない…」
狩谷は再び目を閉じた。
痛みを堪えるかのように眉間に皺が寄る。
瑞樹も組み合わせた手に更に力を込め、狩谷の傷を癒す事に意識を集中させた。
「なぁ、瑞樹…」
「ん…?」
「俺さ、弱いけど…逃げないから…アイツは…馬渡は、俺が必ず…」
また一本、糸が狩谷の身体から外れた。
それは空に掻き消えるように無くなっていく。
長い沈黙の後、瑞樹が口を開いた。
「無茶はしないで…」
「無茶か…」
「ヒロ君まで、キヨ君みたいになったら、私…っ!」
全ての糸が外れる。
自由になった手で狩谷は瑞樹を引き寄せた。
「死んでない…」
「ヒロ君…」
「岡野は死んでないし、俺も死なない。」
引き寄せる腕は暖かく瑞樹を包む。
「信じて…」
その言葉が不安だらけの心に響く。
瑞樹は溢れそうになる涙を堪えて、一度だけ頷いた。
狩谷はそんな瑞樹の頭を自分の胸に押し付け、髪を撫でる。
「約束な。何があっても俺は瑞樹を裏切らない…だから俺を信じろ。」
「あり…がと…」
「岡野の代わりにはなれないけど…な、」
瑞樹が首を横に振る。
狩谷は瑞樹から離れた。
「代わりなんて無い…ヒロ君はヒロ君だよ…」
「だな。」
瑞樹のその言葉が狩谷は嬉しかった。
自分を自分としてちゃんと見てくれ居るのだと分かったから。
ふと、岡野と最後に交わした会話を思い出す。
―― 俺は瑞樹が好きだ…
(知ってる。その姿を一番近くで見てきたのは俺なんだから…)
―― お前も、そうなんだろ?
(そうだ、俺も…)
答えはとっくに出ていた。
それでも、その気持ちに気付かないふりをしてきたのは他でもない狩谷自身だ。
理由は一つ。
2人の仲を裂いてまで、瑞樹を好きだと言い切れる自信が無かったからだ。
何時からだろう。
裏でどんなに酷い目に合わされようとも、そんな素振りなど一切見せず笑う彼女を護りたいと思ったのは。
無理して笑う姿を見たくなくて、時折連れ出しては泣かせるようにしたのは。
(あぁ…俺はずっと前から、コイツの事が好きなんだ…)
そう結論付けてしまえば、実に単純な事だった。
今まで曖昧だった気持ちが形を成して自分の心にすとん、と落ちてくる。
情けない話だ、と狩谷は苦笑した。
幼馴染である水無瀬と、親友である岡野の方が狩谷の気持ちを理解していたのだから。
笑っている狩谷を訝しげに瑞樹が見上げる。
「ヒロ君?」
「いや、何でもな…」
ドオン…!!
狩谷が言い終わる前に、爆発音が響く。
それも水無瀬が寝ている寝室の方からだ。
「晋…!」
「ヒロ君…!」
駆け出そうとする狩谷の服を瑞樹が引っ張った。
その目は不安そうに揺れている。
「信じて…」
「…」
瑞樹の指が離れる。
俯けた顔を、瑞樹はゆっくりと持ち上げた。
「…勝って…!」
「おう」
笑って、瑞樹の髪をかき混ぜるように狩谷が撫でる。
そして踵を返すと、爆発音のした方へ駆けて行った。
残された瑞樹はその場へへたり込み、もう一度呟いた。
「勝って…」
殺し合いなど瑞樹は望んでいなかった。
それでも相手は本気で自分達を殺めるつもりで掛かってくる。
生き残るためにはそれらを跳ね除けて勝たないといけない。
狩谷の手助けをしたいと思うが、瑞樹の身体はもう限界だった。
連続して30分もの時間、力を使った事により今は立っているのもやっとだったのだ。
今は追いかけることは叶わない。
だからこの場で願うしかない。
戦い続ける守護者の勝利を…
―30分前―
狩谷を仕留めた怜王は、縁側沿いに足を進めていた。
そして半開きになった障子の隙間にその姿を見つけた。
「霧矢…」
意識は無いようで、霧矢は目を硬く閉じたままだ。
その横にはもう一人。
「確か…水無瀬晋、だったか。」
霧矢と何処と無く雰囲気の被る青年。
寝ているとはいえ、取り敢えず敵であることには変わりは無い。
怜王は自らの手に意識を集中させた。
「フェアじゃねぇけど、許せよ?」
ば、と掌を広げ糸を射出する。
しかし、それらが水無瀬へと絡まりつく前に、黒い影が怜王の前を横切った。
突然の事に怜王は思わず目を細める。
そのほんの一瞬の間に、怜王の視界から霧矢と水無瀬の姿が消えた。
そして…
「危ねぇなぁ…」
声は怜王の背後から響く。
怜王が振り返ると、其処には水無瀬を抱えて立っている霧矢の姿があった。
「コイツの寝込み襲って良いのは俺だけなんだよ」
「霧矢…どういうつもりだ?返答次第じゃ、アンタを処分しねぇといけなくなる。」
「どういうつもり、ねぇ…」
嘲ったように笑いながら、水無瀬を床に下ろした。
2,3度首を回し、構えをとる。
「晋に手を掛けるつもりなら、俺は容赦なくお前を潰す。」
「意外だな。アンタが恋愛感情如きで裏切るとは思わなかったよ。」
「恋愛感情?違うね…」
タン、と床を蹴り霧矢は大きく踏み込む。
長い足が弧を描いて怜王の鳩尾を狙って蹴り入れられた。
それを怜王は右手で受ける。
「単なる独占欲だ。」
「…っち!」
体術においては、霧矢の方が上手である。
怜王は休む間無く繰り出される足技を受けるだけで精一杯だ。
「アンタは強ぇよ…」
怜王の掌から蜘蛛の巣の様な細い糸が放たれる。
それは霧矢の足へと絡みついた。
「肉弾戦に於いては、な…」
「!」
動かそうにもそれはまるで接着剤の様に、霧矢の足を地面とくっつけてしまっている。
霧矢は諦めたかのようにそこで動きを止めた。
「アンタは一応仲間だ。出来れば生きたまま連れて帰りたい…」
「お前らの言う仲間って言葉ほど胡散臭いものはねぇな。お前と八神にとって俺らはただの駒に過ぎないだろうが」
怜王の目の色が変わる。
その目は霧矢を射殺さんばかりに、睨みつけている。
しかし霧矢はそんな事すらお構いなしといった風に言葉を続けた。
「なぁ、黒星?」
赤く染まる瞳が怜王の身体を取り巻く力を増幅させていく。
両手を霧矢と水無瀬へそれぞれ向ける。
『余計なことを…』
低く地を這うような声。
まるで怜王のものとは思えないようなそれに霧矢は小さく息を呑む。
「本性出しやがったな…」
『さっきから、俺の神経を逆撫でる言葉を選ぶのは…ソイツを護る為か?』
「そんなんじゃねぇよ…」
『どっちでも良いけどな。アンタもソイツも、纏めて消す…』
霧矢は水無瀬を振り返る。
相変わらず水無瀬は目覚める気配が無い。
このままでは怜王に殺られてしまうのは明確だ。
「おい、晋!目ぇ覚ませ!!」
『無駄だ…』
「っそ…!」
怜王の掌が光る。
次の瞬間、鋭い光が放たれた。
その光は霧矢の身体を通過して、壁を切り崩し轟音を響かせた。
霧矢の皮膚が一気に裂ける。
至る所から血が噴出した。
声を上げる間もなくその場に倒れ込む。
血達磨の様になった霧矢はそれきり動くことは無かった。
「へぇ…」
倒れた霧矢と反対側にいる水無瀬に怜王は視線を移す。
そこには霧矢から切り離された影が水無瀬を庇うように立っていた。
しかしその影も、持ち主を無くした為かそのまま消えてなくなった。
「まぁ、死んだら護れないよな?」
怜王は再び掌を水無瀬へと向ける。
「バイバイ。」
先程と同じ様に掌が光り出す。
そして無数の糸が目を覚まさない水無瀬に向けて放たれた。




