21:過去(水無瀬晋)
BL表現有
「まずは…昔話からいくか」
座れ、と水無瀬に促され瑞樹は床に腰を下ろした。
それを確認すると水無瀬は口を開いた。
「俺は元々不倫で出来た子供だ。ウチの親父はどうも女癖が悪くてね…家庭を放ったらかして愛人と作ったガキが俺な訳。」
さらり、と言われた言葉だが内容は相当ディープだ。
瑞樹は僅かに眉を顰めた。
「快楽だけの為に避妊せずにヤって偶然出来ちゃった、全く想定外のガキだから愛されるわけも無いわな。元々お袋は娼婦だからコブ付きなんて価値下げるし。」
「そんな…」
「親父にしても、俺が出来た事で自分の家庭が壊れることを危惧した。」
つまり、父と母。
どちらにも望まれなかった子供というわけだ。
「そんな両親が選ぶのは何だと思う?」
水無瀬はクイズの番組の真似事でもするかの様に、手でマイクを作り瑞樹の口元へ向ける。
その手を払いのけたのは瑞樹だった。
「やめて…!」
「何だよ。やっぱこんな暗い話はお気に召さねぇか…」
「そうじゃない…!」
ふざけようとする水無瀬の瞳。
唇の動き。
小さく震えている指先。
全てがまるで『哀しい』と叫んでいるかのようで。
「笑って出来る話じゃないよ…」
「瑞樹…」
「無理に水無瀬君が笑おうとするから…それを見てるのが辛い…」
「っは、またソレかよ…お前の偽善は聞き飽きたっつの。」
笑おうとする水無瀬の口元は歪んでいた。
何かを堪えるかのように握り締めた手で額を押さえる。
そんな水無瀬の身体を狩谷が手を伸ばし抱き寄せた。
「もう…良い。」
「まだ序章、だぜ…」
「序章で辛いなら無理に話すな。」
水無瀬の背中を狩谷はゆっくりとあやす様に撫でる。
瑞樹から水無瀬の表情は見えなかったが、まるでその背中は泣いているかのようだった。
「辛いなら耳塞げ。俺が変わりにお前の口になる」
「っは。何時から気の利く男になったんだ?」
「お前に誓ってから俺も色々考えたんだよ。」
「そりゃお優しいこった。でもな…」
とん、と狩谷の胸に手を付いて水無瀬は身体を引き剥がした。
俯いていた顔を上げる。
その表情は何時もの水無瀬だった。
「生憎俺は女じゃねぇし、そんな壊れ物を扱うような事しなくて良い。」
「晋…」
「もうガキじゃねぇ。それに俺だって過去を清算してぇんだよ…」
もう一歩、水無瀬は狩谷から距離をとった。
そして瑞樹の方に向き直る。
「無理に笑ってるのはお互い様だ。てめぇも黙って聞きやがれ。」
「っ…」
「気付いてねぇと思ったか?同類ってのは匂いで分かる。」
俯く瑞樹の額を水無瀬は軽く指で小突く。
小突かれた部分を押さえ、瑞樹は水無瀬を睨んだ。
「わかったよ。」
頷いた端樹を確認すると、水無瀬は再び口を開いた。
「それでもお袋が俺を産んだのは、俺を楯に親父に本妻との離婚を迫る為だった。」
「離婚…」
「小心者の親父がそれを受け入れるはずも無かった…結果、俺は用無しになったわけ」
水無瀬の指が自分のシャツのボタンに掛けられる。
全てのボタンが外れ、するりと水無瀬の肩からシャツが滑り床に落ちた。
背を向けた水無瀬に端樹は思わず息を飲んだ。
「それ…何?」
水無瀬の背中には右肩から左脇腹に掛けて大きな切創痕。
明らかに何者かに切り付けられた痕だ。
「この傷は10才の時、お袋が俺を殺そうとした時の傷だ。」
端樹の視界の端で、狩谷が小さく唇を噛んだ。
「血が…止まらなかった…」
「ヒロ君…」
近所に住む唯一同い年の水無瀬が血塗れになって自宅に飛び込んできた時、狩谷は驚きで声が出なかった。
苦し気に繰り返される呼吸が耳について離れない。
「タオルで抑えても、全然止まらなくて…俺の母さんが血相変えて救急車呼んでくれた」
「裕之のお袋さんに助けられて、まぁ俺は一命を取り止めた。そっから暫く裕之の家に世話になったんだよ」
水無瀬にとって狩谷の家はとても暖かい家庭だった。
優しい両親、穏やかな姉。
公務員の父親は必ず6時には帰宅して、家族全員で夕食を摂る。
まるで絵本にでも出てきそうなそれは水無瀬にとってとても居心地が悪かった。
狩谷の家族は水無瀬にとても良くしてくれた。
まるで本当の息子かのように扱ってくれた。
裕之と同じ様に服や食べ物を買い与え、同じ様に習い事へも通わせてくれた。
その優しさが真綿で首を絞めるようにじわりじわりと水無瀬を苦しめる。
「優しい、暖かい、幸せな家庭…まさに俺が恋焦がれたものだった。」
「水無瀬君…」
「でも、その暖かさを心地良く感じると同時に…俺の存在がその暖かさに酷く不釣合いだとも思えてきた。だから、俺は一個裕之にお願いをした」
「お願い?」
聞き返した端樹に狩谷が表情を曇らせる。
端樹の問いに返事を返したのは水無瀬の方だった。
「俺を殺してくれ。出来ないなら一言、死ねと言ってくれ…そうすれば俺は消える事が出来るから。」
「選べるわけ無かった…俺は晋の願いそのものを無かったものにしようとした…」
「俺の願いが裕之を苦しめているのはずっと分かっていた。だから中学進学する直前、俺は裕之の家を出たんだ。」
狩谷が答を出せないだろう事は、とっくに水無瀬は分かっていた。
口調はキツいが狩谷が優しい人間だということ。
これ以上傍に居ればその優しさに永遠に依存してしまう。
だから自ら、離れる事にした。
「裕之から離れて、路上でホームレス生活してた俺に声を掛けてきたのが霧矢…新橋霧矢だった。」
『お前、綺麗なカオしてんな。』
見上げた先に見たのは、街のネオンに染まる銀色の髪。
柄の悪そうな姿をしている癖に、顔に凶悪さは微塵も感じられなかった。
「死のうが生きようがどうでも良かった。霧矢について行ってどうなるかかなんて想像付いてたし。殺してくれるんならそれはそれで本望だった。」
霧矢は水無瀬を家に連れ帰り、風呂に入れて飯を食わせた。
そして…
「俺は霧矢に抱かれた。何回も何回も…」
その行為を受け入れる代わりに、霧矢の家へ居候する事になった。
売女としての母の血か…と霧矢は自分の身の上を嘲笑った。
霧矢の好みなのか、髪は脱色させられ耳に幾つものピアスホールを開けられた。
まるで霧矢のペットのような、そんな生活を無気力に続けていく中で、何気なく水無瀬は霧矢に言ってみた。
『俺を…殺して。出来ねぇなら、死ねと一言言ってくれ…』
『俺が、晋を…?』
霧矢の白い指が水無瀬の喉をなぞる。
口元に妖しげな笑みが浮かんだ。
『それは出来ないお願いだな。』
『やっぱり、アンタも一緒か…』
『勘違いすんな。殺す度胸が無いんじゃない…』
水無瀬の喉に掛けられた指がじわりと食い込む。
それは狩谷の家庭で感じていた息苦しさに似ていた。
『お前は苦しみにもがいている方が似合ってる…』
『なっ…』
『だから俺はお前を殺さない。殺すにしても俺なりに考えた最高の舞台の上でだけだ。』
ただし、と霧矢は付け足した。
『その時は、残酷で、苦しみながら死ぬ方法を選んでやる。』
その目は本気だった。
無意識にこの男は危険だ、と思った。
此処で霧矢に殺されれば、何一つこの世に残らない気がした。
「霧矢は俺の高校進学までの学費の工面も全てしてくれた。そうされる事で俺はますます霧矢から離れる事が出来なくなっていった…ただそれが恐ろしかった…」
雁字搦めにされて、全てを奪い尽くされてしまうような感覚。
何とか霧矢の元から離れようと、水無瀬が考え出すのにはそう時間は掛からなかった。
「何とか霧矢から離れようと、俺は住み込みで出来るアルバイトを探した。運良く一週間ほどでそれは見つかって、俺は霧矢から逃げ出した。」
金を貯め、少しずつでも返せるようにと。
霧矢と狩谷の家族へ収入から幾らかを送り続けた。
狩谷の家族からは丁寧に包まれた封筒と共に送った現金が返されてきた。
『心配しているから、戻ってきてください』そんな書面と共に。
対照的に霧矢からは何の音沙汰も無かった。
あれほどまでに自分に執心していた男が、だ。
水無瀬はその事に不気味さを感じつつも、借りを返すために霧矢へと現金を送り続けた。
「裕之の家に戻る気も、霧矢の元に戻る気も俺には全く無かった。ただ…」
水無瀬が視線を上げる。
その先には狩谷が居た。
「裕之の存在を忘れることは出来なかった。」
殺してくれ、と頼んだ自分を悲しげな目で見つめていた幼馴染。
二度とそんな顔を見たくなくて距離を取ったはずなのに。
同じ高校へ進学したのは偶々だったが、その存在を近くに感じれるだけで水無瀬は満足していたのだ。
しかし、廊下で瑞樹を支える狩谷の姿を目にしたとき、居ても立っても居られなくなった。
教室まで乗り込んだ事に深い考えがあったわけではない。
ただ、嫌だったのだ。
「お前に、裕之をあっさり奪われてしまうのは…耐えられなかった。」
「水無瀬君…」
「俺の方が裕之を知ってる、裕之の事を想ってる、俺の方が…!」
向けられた視線に瑞樹の息が詰まりそうになる。
その目は、何時もの強気な水無瀬とは思えないほど痛々しかった。
「俺の方が…裕之の事を愛してる…」
喉の奥から搾り出すかのように吐き出された言葉。
言い切ってから水無瀬は苦々しく表情を歪めた。
「わり…困らすつもりはねぇんだ…」
「晋…」
「ただ、それが俺の本心。軽蔑してくれても構わねぇ…」
言い終わる前に狩谷がぺち、と水無瀬の頬を軽く叩いた。
「軽蔑なんてするか。」
「裕之…」
「お前の気持ちに…今すぐ応えることは出来ない…俺自身気持ちの整理がついてない状態だから。だから…今はごめん…」
そのまま頬を撫で、狩谷は水無瀬の頭を引き寄せた。
狩谷に抱き込まれる形になった水無瀬は小さく唇を噛み締めた。
「ちゃんと、答えは出すから…もうお前から逃げたりしないから…」
「ひろ…ゆき…」
「今度は、俺の手を離さないでくれ…俺が出す答がどうであれ、お前が俺の唯一の存在ってことに変わりは無い…」
優しく背を撫で上げる掌。
その暖かさに釣られるかのように、水無瀬の目から雫が零れ落ちた。




