17:襲撃−1
(功…)
(…ダ…レ?)
ふわふわと定まらない意識。
誰かが名前を呼んでる…
聞き覚えがある声。
(功!)
(凛子…ちゃん?)
水の中で目を開けるような抵抗感の後、ぼやけた視界が功の恋人である凛子を映し出した。
何時もの様に手を伸ばしその体を引き寄せる。
漆黒の髪がゆらりと動いた。
(死んだかと思った)
(酷いなぁ…俺、凛子ちゃんを置いて死んだりしないよ?)
(知ってるわ)
俯いた凛子の表情に陰が落ちる。
功は凛子の異変に気付き、ゆっくりとその様子を窺う。
(キリヤが…貴方と私を此処に閉じ込めた)
(霧矢さんが…?)
そうして薄々と自分の置かれた状況を功は理解し始めた。
しかし何故此処に凛子までが居るのかは理解出来ない。
此処に居るべきなのは自分だけのはずなのに…
(私が望んだ)
(何で…)
(愚問だわ…)
手を伸ばし、功は凛子のさらりとした髪に触れる。
それはするりと指先から落ち、功は掌をきつく握り締めた。
(俺の事なんて放っておいてくれれば良いのに…)
(出来るわけない。貴方がそうだったように…ね)
黒曜石の様な瞳が功を捉える。
凛子の白く細い指が功の手を握った。
(貴方は私が護るわ)
(相変わらず…だね、凛子ちゃんは…)
もう一度、強く功は凛子の体を抱き締めた。
これから起こる残酷な現実を、今だけは考えなくて済むように。
凛子も少し震えている功の背中に腕を回し、その身体を抱き締め返した。
明鈴の蠍が見つかってから1週間。
特に何の異変も無い。
それこそ不自然なほど平和に。
守護者の5人も瑞樹も各々に自由な時間を過ごしていた。
自由に、とは言ってもそれぞれ己の修行にその時間を充てていたが。
今現在、神社の横にある空き地に瑞樹と直・北森が居た。
体力を消耗したのか、瑞樹は肩で小さく息をしていた。
それを繰り返し、息が落ち着いた所で瑞樹は2人を振り返った。
「どうかな?」
「凄いよ、蓮ちゃん!これならもう大丈夫だね!」
少し興奮気味に直は瑞樹の腕を掴んだ。
暮れかけた太陽が直の笑顔を紅く染める。
直の隣に立つ北森の無表情も紅く照らされる。
穏やかな風景の筈なのにどこか瑞樹の心はざわついた。
赤い落陽がまるで血の様にすら思えてくる。
「蓮ちゃん…?」
動きを止めた瑞樹を心配げな表情の直が覗き込んだその時…
ドオン…!
何処かで爆発音が響く。
襲撃の合図だという事は容易に想像がついた。
瑞樹を囲むように、2人が身構える。
「敵…?」
「だろうね…」
煙の巻き起こっているところから黒い影が2つゆらりと動く。
此方へと向かってその影は歩いてくるようだ。
徐々に姿形がはっきりしてきて、それはどうやら男と女だという事が分かった。
靡く長い髪とすらりとした長身。
「アイツだ…」
ぼそりと北森が呟く。
それは狩谷と北森が苦戦して倒した相手だった。
もう1人は…
「ぁ…」
もう1人は瑞樹がこの世界に来て一番最初に襲われた相手だった。
着物を纏い、仕込み毬を武器として使う女…
「何か…変じゃない…?」
「あぁ…」
直が顔を顰め、北森もそれに同意する。
それは煙に包まれながら此方へと歩いてくる2人の目が生きているとは思えないほど虚ろだったからだ。
ゆらり、ゆらり、とまるでゾンビの様に歩いてくる。
「透…」
ちらり、と直が北森に視線を送る。
それだけで直の伝えたいことを理解したらしい北森はこくりと一度だけ頷いた。
「蓮ちゃん、此処は僕達に任せて。」
「そんな…私も戦うよ!」
瑞樹が一歩踏み出す。
しかしそれは見えない何かによって阻まれた。
「だーめ。」
「…糸…?」
「…誰ッ?」
何時の間にか張り巡らされた糸が瑞樹と直達の間を裂く。
同時に聞き覚えの無い楽しげな声。
3人は視線を声のする方へ移した。
「何で俺まで来なきゃなんねぇんだよ…」
「怜王だってこういうの好きだろ?」
「お前と一緒にすんな。」
爆発音のした方とは反対の空き地脇にあるフェンスに声の主は座っていた。
銀色の短髪と黒髪の眼鏡。
眼鏡の方は面倒くさそうに、銀髪の方は至極楽しげに。
「邪魔すんなよ、白星。」
「何する気‥?」
「殺し合い」
俺がするわけじゃないけど、と銀髪の男は笑った。
ドーム状の糸は直と北森、そして功と凛子の4人を閉じ込める様に覆っている。
という事は、この4人を殺し合わせるということだ。
「そんな事…させない!!」
瑞樹が張り巡らされている糸を掴み、引き千切ろうとするがびくりともしない。
それどころか、糸はまるで鋭利なピアノ線の様に瑞樹の手を深く傷つけた。
赤い血が糸を伝い地面に落ちる。
「無駄だぜ、白星。俺の糸はそんなに簡単に切れねぇ」
「あなたも…?」
「馬渡怜王。名前くらいは狐達から聞いてんだろ?」
それは凪から聞いた名だ。
という事はこの糸が怜王の能力によるものだと瑞樹は理解した。
では残るもう1人が…
「新橋霧矢。ま、名乗ったって意味ないだろうけど…」
ぱちり、と霧矢が指を鳴らす。
功と凛子…2人の首がカクリと動き、虚ろな目が直と北森を映した。
「やれ」
霧矢の言葉に応えるかのように、功の体が前にのめり直たちへ突っ込んだ。
チャクラムを構え突っ込んでくる功の動きは生きている人間の動きでは無い。
その功の背後から凛子が毬を投げつけた。
毬から突き出た刃が直の目前に迫る。
しかし直は避ける素振りを全く見せない。
「信じてるよ、透」
にこ、と笑い直は身を屈めた。
その動きに合わせるかのように、北森が手にした大刀で毬を真っ二つに切り裂く。
毬の中に満たされた液体が飛び散り、中身を失った半球は地面に転がった。
それとほぼ同時に身を屈めた直が手にしたのはボウガン。
充填された氷の矢が放たれ、功の肩を打ち抜いた。
お互いの動きを全て理解しているかのような直と北森。
武器を失い立ち止まる凛子と、肩を打ち抜かれ膝を付く功。
「やるじゃん。でも…」
「!」
霧矢が笑う。
それは凶悪な笑顔だ。
直の背筋がぞくりと寒くなる。
「そいつらは痛みを感じない。そのくらいの攻撃じゃ勝てないぜ?」
炎を灯した凛子の手が功の肩に刺さる氷に触れた。
炎の熱によって氷は溶け、功の肩まで焼け爛れる。
しかし功は霧矢の言葉通り痛みを感じていないらしく、何の表情の無いままだ。
直の矢が完全に溶けると凛子は手を離した。
武器が無くなったその手で今度は何かの形を空に描く。
「何…」
凛子が描き終わると、それが何だったのかはっきりわかった。
柄が長く先端に三日月の様な刃。
「薙刀…」
北森が呟く。
その視線の先にいる凛子は薙刀を頭の上で回転させた。
刃の部分が紅い炎を纏い始める。
その隣では功が自らの手首をチャクラムで斬りつけた。
手加減無く切られた手首から血がぼたぼたと垂れて地面に広がる。
水溜まりのようになった血は揮発し霧となった。
しかし功の手首からの出血は止まる気配がない。
失血により徐々に功の顔色が白くなっていく。
しかしそれすらどうでも良いというように功は相変わらず無表情のままだ。
その時、功の隣で薙刀を構える凛子の頬を涙が一筋伝い落ちた。
とても僅かな変化だ。
しかしそれを直は見逃さなかった。
「変だよ…こんなの…」
呻くように直が声を絞り出す。
今まで生きてきた中でこんなに悔しいと思った事は無かった。
直の怒りは座って傍観している二人へと向かう。
「戦いたくない奴を戦わせるなんて何考えてるんだよ!」
「戦いたくないなんて誰が言ってる?」
「何…?」
「そいつらが、言ったか?」
「お前…っ!!」
怒り任せに作り出した氷の矢を笑う霧矢に真っ直ぐ向ける。
糸の隙間を狙い引き金を引こうと直は構えた。
「直!」
「直くん!」
端樹と北森の声が重なる。
しかしその声は間に合う事無く炎を纏った薙刀の刃が直の体を貫いた。




