16:不協和音
薄暗い部屋。
立ち込める珈琲の匂い。
徐々に浮遊していく意識。
明鈴は重たい瞼をゆっくりと持ち上げた。
「あれ…?」
珈琲を飲んでからの記憶が無い。
目が覚めるとベッドに寝ているはずの功の姿が無かった。
明鈴は身を起こし周りを見回す。
少し離れた位置に同じ様に眠っているのは怜王だ。
「怜王、起きてや、」
「う…ん…」
小さく怜王が身じろぐ。
明鈴は嫌な予感に襲われた。
少し乱暴に明鈴は怜王の身体を揺すり無理矢理起こした。
「明鈴…?」
「怜王、アンタ何時から寝てた?」
「何時から…って、わかんね。」
「うちもやねん…っつーか同時に寝るって変やん。功もおらんし…」
「んなもん決まってるだろ?アイツに感づかれたんじゃねぇか…」
「そんな…早く連れ戻さんと…」
「無駄だ…」
焦る明鈴とは対照的に、怜王は至って冷静だ。
まるでこうなる事を知っていたかのような…
その温度差に苛ついた明鈴が立ち上がったその時、部屋のドアが静かに開いた。
そこに立っていた人物を見た瞬間、明鈴は自分の予感が当たっていたことを確信した。
「霧矢…」
「久しぶり、明鈴・怜王。」
「久しぶり、ちゃうわ!アンタ、功を何処にやったんよ!」
「人聞き悪いな、ちょっと借りただけだって」
霧矢、と呼ばれる男はにこりと笑った。
ぱっと見は人当たりのよさそうな好青年だ。
そう、見た目だけならばの話だ。
その内面を知っている明鈴は霧矢から距離を取って身構えた。
「そう威嚇すんなよ。仲間だろ?」
「うちらがアンタを仲間だと思ってても、アンタはそうじゃないやろ?」
「酷いな、明鈴…」
「事実や」
明鈴の言葉に気を悪くするでも無く、霧矢は笑ってみせた。
その笑みにすら裏があるようで薄気味悪く感じる。
「功らは後でちゃんと返すよ。ただまともに会話は出来る保証は無いけど…」
「アンタ何したん…?」
「さぁ?」
最後にニヤリと嫌な笑みを貼り付けて、霧矢は部屋から出て行った。
その背中を見送って明鈴は小さく息を吐き出した。
怜王は相変わらず我関せずといった態度だ。
「怜王…」
「んな顔しても仕方ねぇじゃん。霧矢と戦って勝てんの?」
そう言われると明鈴も言葉に詰まってしまう。
霧矢…新橋霧矢が恐ろしく強い事は明鈴が一番良く知っていたからだ。
明鈴と霧矢は元々同じ大学に通い、同じ科を専攻していた。
明鈴も霧矢も人当たりが良いが、共通して1人で居る事を好んでいた。
周りに合わせることなど馬鹿らしいと思っていたからだ。
そんな二人が一緒に行動するようになるにはそんなに時間は掛からなかった。
しかし一緒に行動するうちに、徐々に霧矢は本性を現し始めたのだ。
事の始まりは二人で町を歩いていた時。
柄の悪そうな不良達に二人は絡まれた。
元より中国生まれで中国武術を体得している明鈴にとって、そんな不良達を捻じ伏せることなど容易かった。
だから霧矢を護ってやるつもりで構えの形をとったのだが、それを制止したのは他でもない霧矢だった。
『俺にやらせてよ』
外見だけを見ればあまり霧矢は喧嘩が強いようには見えないのだ。
細い体に短く切られた銀髪。
顔はどちらかというと優しげで、目立つ外見とは裏腹にとても喧嘩を好むような風貌ではない。
『大丈夫なん?』
『大丈夫。俺こういうの大好きなんだ…』
笑って振り返った霧矢の口元は楽しげに歪んでいた。
『大好き』…その言葉通り、霧矢は絡んできた不良達をこの上なく楽しそうに潰したのだ。
硬く握った拳で狙うのは人体の急所ばかり。
ほぼ一打で相手を昏倒させた。
昏倒させるだけならばまだ良い。
霧矢は気を失っている相手の身体を無理矢理引き上げ、何度も殴りつけたのだ。
血が飛び、鼻の骨が砕けるほど何度も…
数分後、そこには血塗れの霧矢とその足元で呻く不良達の姿があった。
『やりすぎ…ちゃう?』
『そうか?俺はまだやりたりないけど?』
顔についた血を腕で拭い、霧矢はまた笑って見せた。
その姿はまるで異常者のようだった。
このような出来事は、今現在に至るまで何度も明鈴の目の前で起こってきた。
この日から明鈴にとって霧矢は警戒すべき人間となった。
「待つ…?」
「しかねーだろ。明鈴が功の身代わりになんの?」
その答えはNOだ。
いくら功が仲間だとはいえ、そこまで自分の身を削ることなんて出来ない。
そこではた、と明鈴の動きが止まった。
「怜王…霧矢、功らって言うたよな…」
「言ったっけ?」
「まさか…!」
駆け出していった明鈴の背中を怜王は溜息を吐いて見送った。
頭は良いはずなのにどうも明鈴は感情で先走る気がある。
それが命取りなのだが本人はまるっきり気付いていないようだ。
「ったく…」
仕方ねぇな、と一人ごちて怜王は明鈴の出て行ったドアをくぐった。
怜王としては霧矢のやる事も功の安否にしてもどうでも良いことなのだが、無駄に守護者を殺されるのは都合が悪い。
「取り敢えず八神に報告…か。めんどくせ…」
頭を掻きながら怜王は八神の部屋へと足を進めた。
「…き、…瑞樹…」
「ん…」
遠くで聞こえていた声が徐々に大きくなっていく。
ぼやける視界の中に心配そうな狩谷の表情が映った。
「ヒロ…くん?」
「良かった…」
ほう、と狩谷が息を吐き出す。
表情には安堵の色が浮かんでいた。
「蓮ちゃん!良かったぁ…」
「直君…!」
そこに居たのは狩谷だけではなかった。
よくよく見れば、他の守護者と凪達も戻ってきていたのだ。
「キヨ君、水無瀬君も…無事でよかった…」
「瑞樹こそ…戻ってきたら倒れてるから焦った…」
「てめぇが無事じゃねぇじゃん」
3人とも明らかにぼろぼろだったが、表情は何処か明るかった。
各々与えられた試練を見事にクリアしたからだろう。
「これで、5人とも守護者としての属性は分かりましたね。」
「武器もな。」
「ならば後はそれを鍛錬して、敵を迎え撃つだけです」
凪の視線がちらりと動く。
そしてある一点で止まった。
「その時期はそう遠く無いみたいですよ…」
「!」
それに一番素早く反応したのは水無瀬だった。
凪の視線の方向へ駆け出したかと思えば、帯電した右手でそれを掴み上げた。
ブスブス、と不快な匂いを上げて燃えていくのは紅い蠍…
明鈴の追尾用ペットだ。
燃え尽きる頃にはそれは砂となり、地面へと落ちた。
「どうやらこの場所を嗅ぎ付けられたようです…」
「ってことは攻め込んでくる可能性大って事か…」
「そうなりますね」
風が吹き砂が流される。
不穏な空気だけがその場に残されていた。




