4話 誰かのかわり(8)
イルケトリは再び椅子に腰を下ろした。シンティアがテーブルにトレイを置いて、ひとつ椅子をあけた横の席に座る。
「ねえイルキ」
「何だ」
「何でエミリーを連れてきたの?」
シンティアを振り向くと、先ほどまでがうそのように、冷ややかな目をしていた。
「惑いの真紅を調べるためだ」
「知ってる。でも別にずっとここにいてもらう必要はないよね」
シンティアには遠出の帰りにエミリーの生家があった場所と、伯母の家の近辺を調べてきてほしいと手紙を出していた。目ぼしい情報は特に得られなかったが。
「そもそも何で勧誘したの? 装縫師じゃないのに」
「勘だ」
シンティアは言いたかった不満を無理やり飲みこんだように、イルケトリを睨んでいた。
勘は、『直感』が影響しているのか、こうしたほうがいいとか、こうなりそうだということが何となく当たる。昔からそうだったから、シンティアも知っている。だから、あのときエミリーを誘うべきだと強い予感があったから、勧誘したのだ。
けれど、きっかけは勘ではなかった。
「リリーに、似てた。だから声をかけた」
シンティアはあっけにとられたようになって、眉をひそめる。
「ちょっと待って、似てるって……たしかに髪の毛がくるくるしてるところとか、色は似てるかもしれないけど、顔は全然違うし」
そこで、シンティアが信じたくないことに気付いてしまったように、目を見開く。
「ねえ、まさかリリーに似てたからエミリーを助けたの?」
見開いていた瞳が、激しい感情をもって、細くなる。
「贖罪のつもり?」
あの日、ひとりでアージュハークに買い出しに行っていたとき、店に入っていくエミリーの後ろ姿が、数年前に見た姿と重なった。考えるより先に追いかけていた。
断られて、終わったはずだった。それなのに引き合わされて、助けてしまった。助けた以上、絶対に守らなければならなかった。今度こそ、絶対に。
『イルキが来なければよかった。そしたらマスカルも辞めなくてすんだし、こんなことにもならなかったのに!』
エミリーの痛々しい表情が、声が、あふれる。打たれた頬の感覚とともに胸に苦みが広がる。
そのとおりだ。エミリーを脅すように連れてきて、閉じこめていたのはイルケトリの自己満足だ。
「そうかもしれない」
呟いて、そらしていた顔を戻した。
シンティアは一切の表情を消していた。けれど瞳は凍ったようにイルケトリを凝視している。
シンティアのこういう顔を、前にも見たことがある。
あのときも、シンティアは激昂していた。
「エミリーは誰かのかわりじゃない。それってすごく、残酷」
言葉が、胸に突き立つ。えぐるように深く刺さっていって、痛い。
贖罪ではなかったとは言えない。立場の違うエミリーがほかの従業員からやっかみを受けないように、皆の前ではあまり親しくしないように気を付けた。いずれ帰さなくてはいけないのだからと、情が移らないようにしなくてはいけないとも思っていた。
けれど、跳ね返りのエミリーをからかうと反応が面白くて、つい話しかけていた。形は違っても、服に対する熱量は同じなのだと分かった。もっと話したいと思った。もっと反応を見たいと、思ってしまった。
もっと一緒にいたいと、望んでしまったのだ。
「そうだな。ありがとう」
臆せず視線を受け止めると、シンティアは元の顔をとどめなくなるくらい嫌悪に顔をひずませた。
「何言ってんの? 気持ち悪」
「うるさい。罵られたほうが嬉しいのか? そっちのほうが気持ち悪いだろ」
ふだん礼を言い合う仲ではないので言ったほうもむずがゆく、気持ちが悪い。
「俺怒ってるんだけど? エミリーにあんな暴言吐いて泣かせるとかほんっと最低。くず。ごみ。ていうかあれ昔のイルキのことだし」
シンティアの言うとおりだった。装縫師でないから受け入れられないと投げやりに言ったエミリーが、昔のイルケトリ自身と重なってしまった。あの言葉は、嘆くばかりでまわりのせいにして、何もしていなかった自分に対するものだ。
「そうだ。ちゃんと謝る。だからそのためにこれからどうするかを考える」
「今から森行くとか言わないよね?」
「そこまで取り乱してない」
「さっきまで頭回ってなかったくせに」
反論できない。シンティアは多少腹の虫がおさまったのか不満程度に口を曲げていたが、難しい表情になる。
「でもヒフミが何も『聞こえ』なかったってことは……」
イルケトリも同じことを考えていた。先ほどから違和感があったのだ。足場の悪い真っ暗な森で、ヒフミの『聞こえ』ない範囲まで出ていくなど、普通ならできない。
最悪の事態が、頭の中で像を結ぼうとしている。
ふだんなら誰も訪れることのない時間、非常識な来客を告げるドアベルが、重く鳴り響いた。




