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3話 帰る場所(7)

「そんなにしおらしくなるな。調子が狂う」

「あのね。人のことなんだと思ってるの」

 不服で唇を結んでみせれば、イルケトリは笑う。

「今日、あの店以外ではずっとおとなしかっただろ。何かあれば聞くが?」

 エミリーは目を見張った。まさか、気付かれているとは思わなかった。同時に、気にかけていないと見せかけて気にかけられていたのが少し悔しい。

 昼間、過去のことを思い出してしまったせいで心の端に感傷がこびりついている。それも相まって、多分態度に出てしまったのだろう。ふだんならイルケトリに言うことではないが、聞いてほしいという気持ちに負けて口を開く。

「あたしはまだここに来たばっかりだし、そんなの当たり前だって分かってるんだけど。ヒフミさんの魔法は教えてもらえないんだなって」

 分かっていても、ただでさえ居場所のないなか、立場をつきつけられたようで気持ちが沈んだ。本当はイルケトリにも見えない線を引かれている、ということも含まれているのだが、さすがに言えなかった。

 そっとイルケトリをうかがうと、イルケトリは不思議そうにあごに手を当てていた。

「ヒフミの魔法は俺しか知らないと思うぞ?」

 エミリーはけげんに思って首をかしげる。

「でもほかの人たちは知ってるんでしょ? 装縫師だし」

「言ってないと思うぞ。ヒフミは自分のことを話すタイプじゃないしな」

「え、それっていいの? 仕事仲間なんでしょ?」

「別に魔飾を作るわけじゃないんだから問題ないだろ」

 装縫師というのはそういうものなのだろうか。信頼関係には影響しないのだろうか。エミリーはあいまいに頷いた。

「昼間も言ったが、教えるほうが特別で教えないのが普通だぞ」

「でもそういえば、イルキは堂々と言ってなかったっけ。『直感』だよね?」

 たしか会ってすぐに言っていたはずだ。エミリーがいぶかしむ目を向けると、イルケトリは考えるように視線を上にそらす。

「そうだな。俺は特別だからな」

「どういうこと?」

 イルケトリはエミリーに視線を戻して、笑みを浮かべた。すべてがどうでもよくなるような、女性をけむに巻くような艶のある笑みだ。そのまま、顔をのぞきこまれる。

「お前に言うと何かいいことがあるのか?」

 反応ができず、思い出したように急に頬が熱を持つ。

「ないです! いきなり近付かないで!」

 エミリーが飛びのくと、イルケトリはドアを押さえて、したり顔で笑う。

「そうか。なら言う必要はないな」

 やられた、と思った。けれどこんな言葉遊びで言いくるめられていなかったとしても、イルケトリが隠していることを聞き出せる自信などない。どちらにしろ同じことだと分かって、エミリーはむくれた。悔しい。

「じゃあ魔飾は? 『直感』の。持ってるんでしょ?」

 エミリーはドアのそばまで戻っていって、イルケトリをじっとりとにらむ。このまま丸めこまれるのは悔しい。せめて一矢報いたい。それに魔飾というのはどういうものなのか興味がある。

 イルケトリは不意をつかれたように突然表情を消した。視線を横に流して、エミリーが妙に思っているあいだに元に戻す。

「脱がないと見せられないんだが」

 エミリーは耳を疑った。たしかに魔飾は身につけるものなので、そういうものも存在するのだろうが。

(いや、でも脱がないと見せられない魔飾って……)

 想像をめぐらせようとして、やめた。いかがわしい方向にいってしまいそうで、よくない。

「見たいか?」

 イルケトリがまったく恥ずかしがらず聞いてくるので、エミリーは思いきり首を横に振った。

(というかさっきはふざけてたくせに何で今は真面目なの!)

 これで見たいと言ったらただの変態ではないか。結局勝てずに、エミリーは唇をかみしめる。自分だけ変に頬が熱くなってしまっているのがはしたなくて嫌だ。

「まあ、魔飾に関してはそういうことだから、あんまり気にするな」

 イルケトリの手が頭に置かれて、驚いて体が跳ねていた。ヒフミのことを言っていたのだと分かって、なぐさめてくれたのかとようやく納得する。

 けれど、イルケトリの手は頭の上に置かれたまま、離れる気配がない。

「髪、まっすぐだな」

 困惑を口にしようとした手前で口を開かれた。

「え、か、髪? い、いつもは巻いてるから」

 さっきブラシを通したので、それだけでもともとまっすぐな髪はカールがとれて、今は腰まで落ちている。

 イルケトリは吐息ほどの声で「ふうん」ともらして、エミリーの頭に置いていた手を動かす。やっと離してもらえると安心したのも一瞬で、イルケトリの手がなぜかそのまま髪をでるように耳の横まで落ちてきて、エミリーは体を硬くした。

 気付けば、鼓動が速くなっている。髪をすいた指先がほんのわずかに頬をかすめていって、濃い重いバニラの香りとともに、離れていく。

 かすめていったところが、熱い。なぜこんなことをされているのか分からないが、勝手に鼓動が暴れて、体がしびれるように、熱い。

 何か言わなければ。別に何でもないのだと、この空気を振り払うような言葉を。

「前々から言おうと思ってたんだが」

 エミリーは肩を跳ね上げて、赤くなっているだろう顔のままイルケトリを見上げる。

「なっ何?」

「好きなのは分かったんだが、それにしてもいつも少女趣味すぎないか? ドレス」

 エミリーの頭の中に疑問符が浮かぶ。

「は?」

「だから色気がないし、お前、コルセット全然締めてないだろ。そんなんじゃ腰どころか胸もなくなる……」

「ちょっと何言ってるの変態!」

 エミリーは力の限り後ずさって、ショールを胸の前でかき合わせる。

 シャーメリーの服が少女趣味だというのは、コンセプトが『少女と婦人のはざま』なのでいいのだ。たしかに年頃の娘のドレスにしては大人っぽくなく、ただひたすら子どものドレスのように、可愛らしい。けれど着ればラインはちゃんと婦人服で美しく、そこがコンセプトどおりですごいところなのだ。

(ってそうじゃない!)

「いつもそんな目で見てたの? 信じられない! 変態!」

 先ほどとは別の感情で頬が熱い。ただ、コルセットをあまりきつくしていないのは事実なので、言い当てられたことと羞恥が混ざり合って、うめきながら崩れ落ちたい。

 イルケトリはまたドアを押さえて、気付いたように「ああ」と口元に手をやる。

「すまない。今のは職業病みたいなものだ。色気がないとは思ってるが」

「別に色気があろうがなかろうがイルキには関係ないでしょ!」

「俺は色気のあるほうが好きだ……明日の朝締めにきてやろうか?」

 意味ありげに声をひそめられ目を細められ、エミリーは悲鳴を上げそうになった。

「やめて! 嫌! 来ないで!」

「ああ、なら一晩中ここにいてやろうか?」

「やだ! ばか! 変態!」

「分かった。分かったからそれ以上逃げるな」

 イルケトリは顔をそらして、肩を震わせて笑いをこらえていた。

(また遊ばれた!)

「遊ばないで! もう用は済んだでしょ? おやすみなさい!」

 今すぐ泣きたい気持ちでドアに駆け寄ってノブを引くが、イルケトリに押さえられる。

「ああ待て。お前に郵便だ」

 イルケトリは平然と体でドアを押さえながら、足元に置いていたのだろう箱を抱え上げてエミリーに渡してくる。

「昼間ばたばたしてて渡せなかったから預かってた」

 たしかに昼間はコムセナに行くために気合を入れて準備をしていたので、そんな余裕はなかった。エミリーは受け取った箱を胸に抱える。

「まあそれくらい叫べれば大丈夫だろ。明日、寝坊するなよ。コルセット締めに来られたくなかったらな」

「しません!」

 イルケトリはおかしそうに口元を震わせて、ドアを閉めていった。

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