2話 ミス・ドレス・メイド(7)
「その、ごめんなさい」
「いい。真紅の話はこれだけだ。お前のほうは何かあるか?」
エミリーが首をかしげると、イルケトリは楽しむように微笑んだ。
「従業員と話すのも雇い主の仕事だ」
(そうなんだ。でも話したいことなんて別に……)
思い返した瞬間、エミリーは叫びそうになり、イルケトリにつめ寄る。
「そういえばクロゼットに男物の服が入ってたんだけど、女の人の部屋じゃなかったの?」
エミリーが今、自室として借りている部屋のことだ。
イルケトリは思い出したように「ああ」ともらす。
「言い忘れてた。すまない。何か変なものでも見つけたか?」
「べ、別に見つけてないけど」
「それなら悪いがもう少し我慢してくれ」
イルケトリは申し訳なさそうに瞳を細めていて、悪いという自覚はあるようだった。
「ほかには何かあるか?」
さすがにもうない、と言いかけて、一番重要なことを思い出した。
「外に出たい!」
親しい人と喋りたい。シャーメリーに行きたい。
「だめだ」
けれどイルケトリは急に厳しい顔つきになる。
「どうして? リボンを持ってなければ大丈夫じゃないの?」
「持ってなくても言いがかりをつけられてまた連れていかれるかもしれないだろ。賄賂目当てでやられてもおかしくない」
イルケトリが声を落として、エミリーは聞かれてはまずい話を口にしてしまったことに気付く。
「じゃあアージュハークには行かないから。コムセナに行きたいの」
首都コムセナはマスカルのあるアージュハークから馬車で二十分離れている。シャーメリーがある場所だ。
「だめだ」
「どうして? 離れてるでしょ?」
「とにかく落ち着くまで外には出せない」
「教会にも行っちゃだめなの?」
「それは……我慢してくれ」
イルケトリは都合の悪そうな顔をして目を伏せる。エミリーは信心深くもなく、教会など数週間に一回行く程度だから試しに言ってみただけだった。けれどここまで反対されるとは思っていなかった。
「何でそんなに反対するの?」
何となく、イルケトリの態度がかたくなすぎる気がしていた。
見つめると、イルケトリは苦しげな顔をして、目をそらした。
「逃げられると困るからだ」
エミリーは言葉が出なかった。心の中を探って、自分自身が戸惑うほどに心が痛みを感じたことを知った。
イルケトリは、エミリーのことをまったく信用していなかったのだ。
「逃げない」
呟いていた。悔しいのか、悲しいのかよく分からなかった。
「だって逃げても帰る場所がない」
ポーラのもとに帰れば、警察がポーラにまで疑いの目を向けるかもしれない。イルケトリのもとで働いていることになっているのだから、帰れるはずがない。そういうことになった以上ここにいろと言ったのはイルケトリなのに、どうして逃げるだなどと思うのだろう。
「逃げないから、だから外に出して」
エミリーは挑むように、必死にイルケトリを見つめた。
「だめだ」
「それなら一緒に行けばいいでしょ?」
「お前に付き合ってるほど暇じゃない」
イルケトリの顔つきは変わらず厳しく、エミリーは歯がみした。
ここでイルケトリに負ければ生きていく意味を奪われてしまう。何が何でも、絶対に、諦めるわけにはいかない。
「一週間に一回でいいから! 逃げないから! ついてこなくていいから!」
「だめだ」
「じゃあもう勝手に行きます! 幸いこっちはほとんどひとりだし、勝手に外に出られるほうが困るんじゃないの?」
やけで、脅しだった。けれど本気だ。
イルケトリは何か言いたそうに顔を歪めたが、力の抜けた息を吐き出して、額に手を当てた。
「分かった」
「本当?」
エミリーは思わず飛び上がりそうになった。
「ただし」
イルケトリの強い瞳にエミリーは声を飲みこむ。
「絶対に俺から離れるな」
エミリーは力いっぱい頷いた。
「大丈夫、逃げないから!」
「当たり前だ。それと、アージュハークには行かないからな。コムセナの買い出しのつい」
「ありがとう! いつ? いつ行くの?」
「遮るな! 最後までちゃんと聞け!」
エミリーは弾む心を抑えきれずに、鉄柵の向こう、深い森の先にある空の彼方を見つめた。
外に出られる。大好きな服で着飾って、大好きな服を見に行ける。
どんなに苦しくても、落ちこんでも、大好きな服さえあれば、生きていける。




