領主と先生
「君がお嬢様かナ? ハロー、私はライア・ロビンソン。今日から君の家庭教師になるヨ。よろしくね」
その人が初めてこの屋敷にやって来た日は、雲一つない快晴だったのを覚えている。
胡散臭い名前と喋り方は置いておいて、青空に映えるその銀色の髪を、ただ綺麗だなと。
玄関先で見上げて、単純にそう思った。
「語学、数学、ピアノに絵画、社交ダンスまでおひとりでこなされる方は初めてですわ。それに護身術まで?」
「いやなに、稼ぎのために身に着けた小手先の技術だヨ。しかしそこまで褒められると悪い気はしないネ。お褒め頂くのが君のような美人なら尚更」
「まあ、世辞までお上手ですのね、先生ったら。まるで紳士みたい」
楽しそうに会話するアリシア――屋敷のメイド長を見て、その頃まだ彼女にべったりだった幼い私は思い切り頬を膨らませていた。
「先生! あんまりアリシアに近づかないで!」
「おっと出たな、ロアの焼きもち焼きー」
「お嬢様、先生に向かってそんな言い方いけませんよ」
アリシアに逆に怒られて、ふてくされたのも数回では済まない。
けれど、先生がすごい人だというのは子供ながらにちゃんと分かっていた。
今までのどの家庭教師よりも教え方が上手くて、気さくで、あの堅物のお父様相手にも冗談が言えて。
課外授業だ、と連れていかれた首都で、屈強な男のひったくり犯を彼女がひとりで撃退したときは驚いて声も出なかった。
行きつけらしい酒場でも、先生は色んな人に囲まれていて。
あんな風になりたいと。
強くて、賢くて、何でも出来る、そんな人に。
本人には決して言わなかったけど、アリシアにはこっそり告白した。
彼女はいつもの穏やかな笑みで、こう言ったのを覚えている。
「でしたらお嬢様はきっと、素敵で格好良い女性になりますよ」
* * *
暑い夏の日の昼下がり、今日も彼女はやって来た。
「来ちゃったァ」
「可愛い感じに言っても全然可愛くないので帰ってくださいねー」
ロアが玄関のドアを閉めようとすると、ライアはガシリとドアノブを掴んで止めた。
「相変わらず可愛くねえな! 今日はちゃんと手土産あるから! 美味い日本の酒が手に入ったの! 晩酌にどうヨ?」
「……また泊まる気ですか」
酒に釣られたわけでもないが、ロアがしぶしぶ扉を開けると、ライアは鼻歌混じりに屋敷に上がり込んだ。
「マリアたんは?」
「今2階の掃除……ていうか『たん』言うな!」
するとマリアがモップを携えたまま階段から降りてきた。
「こんにちは、ミス・ロビンソン」
「ハロー、マリアちゃん。今日はマリアちゃんにもお土産持ってきたからね」
「いつもすみません、ありがとうございます」
一礼するマリアと違って、ロアはジト目でライアを見る。
「また変なものじゃないでしょうね?」
「だーいじょうぶだよ、メーカーもののお菓子。
あ、でも私はマリアちゃんの手作りお菓子が食べたいなァ」
「今日は紅茶のシフォンケーキですよ」
「やったァ♪ 生クリーム多めで!」
「あっずるい! マリア、私のも生クリーム多めで!」
「はいはい。せっかくなのでスコーンもつけますね」
マリアがアフタヌーンティーの準備をしている間、ロアが書類に目を通していると、居間のソファーでくつろいでいたライアがいつの間にかスケッチブックを取り出していることに気が付いた。
「何してるんですか先生」
「暇だからラクガキ」
ロアが後ろからスケッチブックを覗くと、そこには異国の街の風景が描いてあった。
鉛筆1本で描かれているのに、初めて見るロアにもその景色の空気感が伝わってくる、とても繊細な絵だ。
「うっま……。相変わらず無駄に多才ですよね貴女って」
「ハハッ、そりゃあ貴族様の家庭教師で飯食ってた時期もあるからネ! あれもなかなか良い稼ぎだったヨ」
ライアは得意げにそう言って、スケッチブックを1枚捲った。
次の頁は風景画ではなく、人物の絵が描かれていて、モデルは幼い少女のようだった。
「フフ、実はコレ、私が想像して描いたマリアたんの幼少の頃」
「ハァ!?」
ロアは思わず大きな声を出して、スケッチブックをひったくった。
「うちのマリアの幼少期を勝手に妄想して描くとか変態すぎるにも程がッ……」
言いかけて、ロアはその絵を思わずじっと見つめる。
絵の中の彼女は5~6歳だろうか。
ぷっくりとした子供らしい頬と肢体。
しかし、大きく丸い瞳や鼻立ち、口元はまさにマリアそのものだった。
そう言えばこの屋敷に彼女が来た時も、まだ少しあどけない顔立ちだったのを思い出す。
懐かしさにロアは目を閉じて、愛おしげにスケッチブックを抱えた。
「これ頂戴。むしろ売って。言い値で買うから」
「マジか」
どっちが変態だよと悪態吐きながらも、ライアはその絵を無償で譲渡した。
その晩、ロアがバスルームに向かおうと階段を降りていると、下の廊下でライアとマリアが立ち話をしているのが見えた。
距離が離れているので、はっきりとした会話は聞こえない。が、思わず足を止めて階下に降りるのを躊躇ってしまうほど、マリアが始終嬉しそうに笑っていた。
「……」
ライア・ロビンソンは話すのも上手い。
何気ない会話も可笑しくて、周囲をいつも笑わせた。
――私では、彼女をあんな風に笑わせることはできない。
幼い頃なら頬を膨らませて拗ねていれば済んだものの、この歳ではそれも許されない。
ライアが立ち去った後、ロアはわざとゆっくりと、階段を軋ませて廊下に降りた。
それに気づいたマリアは、ポケットに慌てて何かをしまってからロアの顔を見た。
「今からお風呂ですか?」
「うん。……ねえマリア、」
先生と何話してたの? と。
わざわざ尋ねるのも幼稚な気がして恥ずかしかったが、あんなに楽しげに会話されると気になってしまって、ロアはそう尋ねざるを得なかった。
すると、ロアの想定以上にマリアは困った顔を浮かべ、
「ロアには内緒です」
「え」
そう言って、逃げるようにマリアは階段を登っていった。
「…………」
しばし呆然と立ち尽くしたロアは、我に返った後、バスルームではなく居間に飛び込んだ。
「せんせーーーー!」
「うわっなんだよいきなりでかい声だして!」
ロアは半べそでライアの胸ぐらを掴んでがくがくと揺らす。
「マリアにまた何吹き込んだの! 何吹き込んだのーー‼」
「わかったから揺らすな、酒がリバースする! なんも変なこと言ってないって!」
「マリア滅茶苦茶嬉しそうだった! しかも内緒って、内緒って……!」
ライアはぷっと吹き出して、「まあ落ち着け」とロアの額をぴんと指先で跳ねる。
「マリアちゃんにはお前がガキの頃の写真を1枚あげたの」
「しゃしん?」
ライアは足元に置いてあった自身の鞄から、小さなアルバムを取り出した。そこには彼女が行き歩いた先での写真がいくつか納められていて、この屋敷で撮った写真も数枚納められていた。
「お前にだけ絵あげたんじゃ不公平ダロ?」
この屋敷には、写真嫌いだった先代の影響で写真の類がほとんど飾られていない。マリアがロアの幼い頃の写真を見ることは、恐らく初めてだったはずだ。
「……」
そんな、写真ぐらいであんなに嬉しそうに。
ロアは脱力したようにソファーに腰かけて、うなだれた頭の前で両手を組んだ。
「無理。しんどい。大好き」
「言うなら本人の前で言って来いヨ」
「こんな顔で? 情けなくて言えないよ」
勝手に嫉妬して半べそをかいた上に、誤解だと知って喜んで半べそをかいているなんて、格好が悪すぎる。
ロアが自嘲気味に笑うと、ライアは白い歯を見せてにっと笑った。
「情けなさを通り越してお前のそういうとこ私好きだワ」
「全然褒められてる気がしない」
「私なんかよりずっと人間味あって良いと思うケドなー。マリアちゃんにも訊いてみろヨ、『私のどういうとこが好き?』って」
「誰が訊くか!」
ロアは顔を真っ赤にして立ち上がり、ようやくバスルームへと向かった。
次回、この流れで前から私がずっとやりたかったネタをやりたいと思います。(緊張)
しかしちょっとほんとにイベントの準備をそろそろしないといけないので、しばらくほんとに週1更新ぐらいになるかなあと思います。すみません。




