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雨宿りタルト

作者: ジャッピー

 じゃんけんで負けるのが、こんなにも悲しいことだったなんて。私はこのとき初めて知った。


「女の子に買いに行かせるなんて信じられなーい!」


「負けたくせに文句言うな」


 それに何も言い返すことができず、私は不貞腐れた顔をしながら、自分のお財布を持って教室を出た。


(あおい)ちゃん、行ってらっしゃーい!」


 後ろから聞こえる、クラスメイトの女の子の声。

 チクショー、覚えてろよ。


 いよいよ高校の文化祭も明日に迫っていた。ついこの間まで1ヶ月後は文化祭だねー、なんて言ってたのに。最近、時の流れが早く感じる。年なのかね。


 準備も全て終わったので、よし帰ろう! と思ったら、誰が差し入れを買いに行くかじゃんけんで決めようぜ、とか言いだしたヤツがいた。

 帰りたいけど、差し入れ欲しい。準備終わっちゃったけど、差し入れ欲しい。

 そう思ってしまったのがいけなかったらしい。


 見事に負けた。


 全員パーだったのに、私だけグー。意味が分からない。なんでみんな同じものを出したんだ。なんで私だけ違うのさ。なんだか空気が読めなかったみたいで悲しい。


「差し入れって何買えばいいんだ?」


 学校を出て、しばらくしてから気が付いた。

 もう飴でいいかな。20個もアイス買えないし。

 文句を言われそうな予感がする。だけど、女の子一人に買いに行かせた罰だと思えばいいか。


「あっちぃ……」


 もう9月半ばだというのに、どうしてこんなに暑いの。

 日差しがすごいのかとおもったが、そんなことはなかった。空が黒い雲で覆われている。

 ああ、そういえば、今日の朝テレビで見た天気予報は傘のマークだったな。雨が降ると嫌だから、早く買いに行っちゃおう。




*゜




 今日は厄日なのか。


 まさか、あれから約30秒後に雨が降るなんて思わなかった。しかも、結構激しい雨だ。


 傘なんて持ってきていないので、仕方なく近くにあったオシャレなケーキ屋の軒下で雨宿りさせてもらうことにした。退けと言われたらちゃんと退くので、それまでお邪魔します。そう心の中で言って、私は空を見上げた。土砂降りだ。明日は晴れるといいけれど。


 次に、顔を下に向けて自分の足元を見る。私の髪から滴る雨水が、そこに向かってポツリポツリと一定のリズムで落下していく。その水滴で、少しずつ大きくなっていく地面の黒いシミを、私はジッと見つめていた。


 ついさっきまでは、雨宿り仲間のサラリーマンが隣にいたのだが、突然よし、と意気込んだかと思うと、ブリーフケースを頭にのせてバシャバシャと足音を立てながら、走ってどこかへ行ってしまった。


 私も早く飴を買って学校に戻りたいよ。お財布だけじゃなくて、ちゃんと通勤カバンを持ってきていたら、あのサラリーマンと同じことをしたのに。


 いや、待てよ。今日は折り畳み傘を持ってきているんだっけ……


 ナンテコッタ!やらかした!


 5分前の自分に、ちゃんとバッグも持って行けよ!って言ってやりたい。


 空気に湿気がじっとりと混じって、生ぬるくて気持ちが悪いなと思っていたら、背後からチリンチリン、とドアチャイムが聞こえた。振り向くと、店の中からケーキ箱を持った少年が出てきた。そして、私と同じように困った顔で空を見上げながら軒先に止まる。


 ここから出られるいい感じのタイミングをはかっている、私と彼。2人きりで、雨を見つめている。


 ちらり、と隣の彼に視線を滑らせた。見たことのある制服だなと思ったら、なんとうちの制服だった。見たことがあるわけだ。肩にかかっている通学カバンにプリントされている、学校のロゴマークの学年カラーが3年生の色だった。しかも2つ上の先輩だ。


 出で立ちから何とも高貴な感じがするのは、ピンと伸ばした背筋や佇まいの美しさから溢れ出る雰囲気のせいだろうか。つん、と少し上を向いた横顔。うわ、まつげ長い。よく見ると肌もすごく綺麗だった。


 何だろう、この気持ち。ものすごく悔しいというか、悲しいというか。女の子として自信を無くす。


 死んだ目で恨めしげに先輩と見ていると、突然私の方を見た先輩とバッチリ目が合った。


「何?」


「い、いえ、何でもないです……」


 慌てて視線をそらす。しまった、気まずい。


「俺の顔に、何かついてる?」


 外見通りの、低くてよく通るいい声だった。これで一人称が「おいら」とかだったらどうしようかと思っていたが、違っていてよかった。ただ、少し棘のある話し方が嫌だ。


「そういうわけではなくて、その、まつげ長いなぁって思って」


「……は?」


 聞き返された。

 しかもたっぷりの間のあと、しっかりとした口調で、少しキレ気味に。


 確かに、初対面の先輩に言うようなセリフではなかったかもしれない。だけど、そう思ってしまったのだから、仕方ないじゃないか。


「やっぱり、何でもないです」


「随分と唐突に変なことを言うんだな」


 今何でもないって言ったじゃん!


 そんな、私が心の中で叫んだ言葉が先輩に届くはずもなく、私はすみません、と謝った。


「まつげに雨の細かい粒が付いているの、知ってますか?」


 謝っておっきながら、思ったことをそのまま言ってしまった。


「は?」


 また聞き返された。


 その塩顔の長いまつ毛に吹き付ける水滴が、うっすらと見える。最近コンタクトの度を上げたから、今世界がより鮮明に見えているんだ。


「いいですね、まつげ長くて。美人って感じがします」


 私も美人になりたかったよ。


「羨ましいか」


 なんだろう、この人。ムカつくな。そして、図星を突いてきた。

 私は「べっ、別に!」と明らかに肯定しているような返事をしてしまった。


「傘忘れて帰れないわけ?」


 話をそらされた。


「いえ、差し入れを買って来いって言われたんです」


 ああ、と先輩は言って続ける。


「雑用か」


「ちがっ! ……い、ます?」


 どうなんだろう。雑用なのだろうか。私は雑用だなんて認めたくない。だけど、しっかり否定もできなかった。


「あんた一人?」


「はい、そうですけど」


 数秒間の沈黙。


「学校、楽しい?」


「え、何を勘違いしてるんですか!?」


 やめてよ、どうしてそうなったのよ!


「じゃあ、差し入れを買いに来たけど、傘を忘れてこれ以上動けない、と」


 私が傘を忘れたことの話に戻されてしまった。


「仰る通りです」


「天気予報見なかったの? や、見てなくても朝から曇ってたんだから忘れないだろうな、普通は。どういう神経してるんだよ」


 さらりと暴言を吐かれた。しかも、小馬鹿にしたような視線を私に向けて。


「先輩だって忘れたんだからお互い様です!」


 眉間にギュッとシワを寄せ、精一杯そう言い返したが、先輩はただフッ、と鼻で笑っただけで、何も言ってくれなかった。

 おかしいな。言い負かしたはずなのに、なぜか言い負かされた気分だ。


 憮然とした表情で、私はもう一度空に顔を向けた。まだ、雨は止みそうにない。ハァ、とため息をつく。


 視界の隅に、先輩が何やら動くのが見えた。何事かと思って顔を向けると、なんとケーキ箱のフタを開けていた。


 まさか今ここで食べるの?やめてよ、お腹空いちゃうじゃない!


 できるだけ先輩が視界に入らないように、私は道路を挟んで向かいにある公園に目を向けた。


 あのオレンジ色の木は金木犀(きんもくせい)だろうか。雨のせいで金木犀から漂うあの甘い香りはしない。少しだけ残念だな、なんて思っていたら、突然視界いっぱいに“白”が広がった。それと共に、ゆるやかな甘し香りが私の鼻につく。


「うわっ!?」


 びっくりして先輩を見ると、真顔で私の前身ケーキ箱を掲げていた。


「……な、なんでしょう?」


 先輩が何をしたいのか、私には理解できなかったので聞いてみた。


「1つやるよ」


「え、いいんですか?」


 コクリ、と先輩は頷く。


「だけど、何かのお祝いとかで買ったんじゃ……?」


 少なくとも、ほぼ初対面の後輩と一緒に食べるために買ったわけじではないだろう。


「いや、俺のおやつ」


 おやつって。おやつにケーキって。オシャレすぎやしませんか。


 先輩は、私の目の前で箱を開いた。

 中を見てみると、そこには3つのケーキが入っていた。いちごチョコケーキとブルーベリーパイ。3つ目はなんのタルトだろう。オレンジ色だし、みかんのタルト? だけど、なんとなくみかんとは違う気がした。


 とても美味しそうな香りが、私の鼻孔をくすぐる。その中でも一番強く香ったのは、


「金木犀?」


 無意識に、そうつぶやいていた。

 それを聞いたからか、先輩が3つのケーキのうちの1つを指差した。タルトだ。


「これ、杏子の金木犀タルト。金木犀って長くは咲かないから、今しか食べられないらしい」


 金木犀って食べられるんだ。というか、杏子ってなんだろう。高校生にもなって、杏子を知らないなんてまずいだろうか。先輩に聞きたいけど、また毒を吐かれそうな気がするのでやめておこう。


 1つやる、と言われたものの、ケーキを取るのはなんだか気が引けた。


 私が何の反応も示さないので、先輩は箱の中に自らの手を伸ばした。その手に取ったのは、ブルーベリーがつやつや輝くパイ。


 「俺はこれな」


 このまま何もせずに突っ立っているのは失礼だよね。遠慮が過ぎるときっとうざがられてしまうので、私はいちごチョコケーキを手に取った。

 金木犀のタルトも気になったけど、それを食べるのは流石に躊躇われた。期間限定と言ってたから、きっと先輩も食べたいと思っているだろう。


「いただきます」


「どうぞ」


 手にしたケーキを一口食べる。いちごの酸味と、チョコレートの甘味が口いっぱいに広がる。バランスの良い甘酸っぱさに、私の頬は思わず緩む。


 いつの間にか、私はお遣いを頼まれていることを忘れてしまっていた。




*゜




 それから5分。


 さっきよりもほんの少し弱くなったとはいえ、まだまだ止みそうにない雨に絶望しながら、私は口の端についたチョコクリームを舐めとった。


「あんた、食べるの遅い」


「仕方ないじゃないですか! 食べづらいんですもん!」


 先輩は、とっくにブルーベリーパイを食べ終えていた。


 本来ならフォークで食べるはずのスポンジケーキを、そのままかじらないといけないから、食べづらいったらありゃしない。それプラス、私は元々食べるのが遅いのだ。


「もうそれ全部口の中に入れろよ」


「無理です!」


 先輩の呆れたようなため息が聞こえた。


「簡単だよ。いつもより口を大きく開ければいける」


「顎外れますね」


 口を開ける方法じゃなくて、「口に入らない」という意味で無理と言ったのだが、あえてそこについてはツッコまないでおいた。


 無理と言ったものの、私は口の中に残りのケーキを押し込んだ。先輩がリズミカルにつま先を上下に動かし始めたからだ。こんな仕草をするときの人の心理状態は、心の中に流れている音楽によって楽しい気分になっているか、怒り警報が発令されてしまったか。まさか楽しい気分になっているはずがないから明らかに後者だ。


 一瞬、私にハムスターの頬袋がついていたなら、なんておかしなことを考えてしまった。そうすれば、こんなに押し込んでも苦しくなかっただろうに。


 口元を手で抑えて、隣から感じる先輩の視線にはあえて気づいていないふりをしながら、一生懸命顎を動かした。


 塊が小さくなった時、先輩があっ、と声を出した。


「小雨になってきた」


 そう言われてから、私も一番近くにあった水溜りに目を向けた。先ほどよりも、波紋の広がり方がだいぶ穏やかになっている。ずっと聞こえていた地面を叩きつける雨音も、いつの間にか小さくなっていた。


「あー、やっと帰れる!」


 ケーキを飲み込んでから、私は両腕を上に伸ばして叫んだ。


「差し入れどうするんだよ」


 先輩の言葉に、私の顔からサッと笑顔が消える。


 すっかり忘れていた。思い出したくなかった。このまま家に帰って、お風呂で雨に浸食された身体を癒したかった。だけど、そういえばカバンを学校に置いてきてしまったんだった。尚更数十分前の自分を恨んだ。


「それじゃあ、俺は帰るから」


 先輩は爽やかに微笑んで言うと、カバンの中から黒い折り畳み傘を取り出した。


「……はっ!?」


 私がそんな声を上げると、先輩はきょとんとした顔で首を傾げてきた。


「何だよ。俺が折り畳み持ってちゃ悪いか?」


「いや、悪いというか……」


 なんで持ってるの?


「傘、持ってないんじゃなかったんですか?」


 すると、彼は自分に非がないと言わんばかりの表情をする。


「持ってないなんて、一言も言ってないけど?」


 言ってなかったね! 鼻で笑われただけでした!だけど、持ってるとも言ってないよ!


 というか、傘持ってるなら、どうして今まで私と雨宿りしていたの。暇人なのか。


 そのイラッとする顔のまま、先輩は上品に傘を広げる。まだ頭の中を整理しきれていない私は、黙ってそれを見つめることしかできなかった。


「ああ、そうだ」


 先輩がそう言ってくるり、と私の方を振り向くと、金木犀タルトが入った白いケーキ箱を私の胸に押し付けた。


「これはあげる」


「えっ、あっ、ありがとうございます」


 先輩は傘をさして軒下から出ると、もう一度私を振り返って満面の笑みで口を開いた。


「アールグレイの紅茶とよく合うと思うぞ、それ」


 口調に少々問題があるが、いつかの時代のヨーロッパ貴族みたいな台詞を残して、彼は雨の中を歩き始めた。


 あとに残された私はタルトを片手にしばらく唖然としていたが、すぐにお使いのことを思い出したので、また雨が強くなる前に急いでスーパーへと足を向けた。




*゜




 カチリ、とソーサーの上にアールグレイの紅茶が入ったティーカップを置く。地味にオシャレなのが家にあったのが意外だ。


 机の右の方に視線を移すと、あの先輩に貰ったケーキ箱が置いてある。そういえば、名前知らないな。


 ちなみに、差し入れは某チューイングキャンディを買った。皆不満そうな顔をしていたけど、雨の中頑張って買いに行ったんだから文句言うな! と怒ったら喜んで食べてくれた。このケーキ箱については何もツッコまれなかった。見えていなかったのだろうか。ちょっぴり寂しかった。


 通学カバンの中から文化祭のパンフレットを取り出す。他クラスの友達の教室にも行くので、皆の出し物を確認しようと思ったのだ。


 次にケーキ箱のフタを開けた。開けた瞬間、金木犀の甘い香りがした。やっぱ好きだな、この香り。


 ケーキを皿の上に乗せようと、タルトを取り出したとき、私は気づいてしまった。


「ん?」


 フタの裏に、紙が付いている。


 タルトを皿に乗せてから、それを取った。白紙だったので、裏返す。



『3年、石黒智春(いしぐろともはる) 今度何か奢って』



 綺麗な字で、そんなことが書いてあった。


 あの人、こういう名前だったのか……。

 というかなんだよ奢れって。ちゃんとお礼はしようと思っていたけれども。でも改めて言われるとムカつくな。


 そんなことを考えながら、私はパンフレットの表紙をぺらっとめくった。校長先生と生徒会長の言葉が書いてある。残念ながら、私はそれをちゃんと読むようないい子ちゃんじゃないので、そのまま次のページの目次を開こうとした。


 しかし今、見ちゃいけないモノを見た気がして、ページをめくる手が止まる。

 恐る恐る、もう一度1ページ目へと目を向けた。



























『生徒会長 石黒智春』




                   -fin-

他のサイトで、タイトルは違うけどほぼ同じ内容の作品を見かけましたら言ってください。それはたぶん100%私です。笑

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