第7話 少女の覚醒、化け物と化け物と……
俺は夢でも見ているのか? なんでこんなことになっているんだ……
その日もいつもと変わらない朝。そのはずだった。所業区で薬師を営む俺は、いつものように街の外に薬草の採取に出て、一通りの収穫を得たところで街門から壁の内側へと帰る。帰ったあとは自分の店で商品になる薬の調合をして店を開ける。
代わり映えの無い、いつも通りの日々。この日もいつもと変わらない。そう思って街門が開くと同時に外へと続く行列に並んでいたのに……
突然辺りが騒がしくなったかと思ったら、兵士達が通行人を街門の通路に押し込んで、外に退避させようと必死に動き回っていた。
一部の馬に乗れる連中や、直ぐに出られる位置にいた馬車なんかは即座に外に出されて、歩きで来てた通行人も急いで出るように促されていた。
残された馬車でバリケードを作ってたり、一体何やってるんだ? って最初は思ったさ。通行人の殆どは早く外に出ろと言われても怪訝そうな顔をするだけで、なかなか動こうとしてなかったしな。
そうこうしている内に、外の騒がしさが収まってきたんで、これで落ち着くかとも思ったんだが、甘かった。
突然、図体のでかい人影が通路を塞ぐ様に置かれていた馬車を吹き飛ばしながらなだれ込んできた。通路を守るように立っていた兵士はまるで塵屑か何かのように転がっている。
俺はとっさに、残っていた馬車の下に潜り込んで事なきを得たが、入り込んできた化け物どもは一体や二体どころじゃない。逃げ遅れた他の連中が次々と捕まって、そのまま化け物が喰らい付こうとしているのが見えた。
思わず目を逸らしたが、そのときの悲鳴が耳にこびり付いて離れない。そして、不運にも目を逸らしたところにも哀れな獲物となった奴がいた。まだ年端も行かない女の子が、丁度化け物に掴まれ捕食される所だったのだ。
俺は何も出来ないまま、その少女が喰われる所を眺めているしかないのだろうか……再び目を逸らしても、また似たような光景が目に入るかもしれない。かと言って、目を閉じて暗闇の中に逃げると言うのも、この状況では怖すぎて出来ない……
だが、そこから見た光景は何かが違っていた。目を逸らすことも出来ず、見続けていた目の前の光景に変化が現われた。少女が食いつかれた瞬間、彼女の肩から腕の方にかけて銀色の狼のようなものが突如として現れたんだ。
その、女の子の腕から生えた狼は、彼女を掴んでいた巨大な化け物を逆に捕食し始める。それも凄まじい速度で……
そして、その食事の間にも少女の身体は徐々に変化して行った。髪には狼と同じく銀色の房が生え、耳もとがり、脚はまさに狼のそれと化していく。
あっという間に化け物を食べつくした女の子? は、立ち上がると、辺りにいた化け物どもを次から次へと喰い散らかしていく。俺は馬車の下から這い出て辺りを改めて確認する。助からなかった者も相当数いたが、寸でのところで助かった者もまたいた。
少女はそのまま通路から市外の方へと駆けていったため、あとに残されたのは食い散らかされ、そこいら中に撒き散らされた血だの臓物だのの化け物の残骸と、俺を含める呆然として立ち尽くす人間達まかりだった。
……あの女の子は何なんだ……あの娘のお陰で俺達は助かったんだろうが……あれは……あの姿やあの喰い散らかしっぷり……どっちが化け物だよ……
現実に立ち戻ったのか、辺りではその惨状に嘔吐するものまで現われ始める。俺はそのむせ返る血の匂いから逃れるように、再び化け物が現われる前に逃れようと、通路から王都の外側へと歩いていった。
――――――――
上空より新たに現れた影は次々と地上へ降り立ち、王都は再び戦渦に見舞われていた。
「うぉらっ!」
予言に従い市街地で剣を振るってまた一体、魔物を切り伏せる。魔術により強化された肉体より繰り出される剣が、空より現れた魔物を次々に切り伏せていく。
「……クソ……連戦は流石に不味いな……」
先ほどの魔獣騒ぎの際にひたすら魔術を駆使して多くの魔獣を切り伏せてきたのだが、ここにきて魔獣よりも強固な肉体と簡易ながら武器を持ち、戦い方も人に近くなる魔物との戦いに、周りの騎士達も苦戦の色が見え始めてきた。
そして、それは俺もまた例外ではない。先ほどの戦いで魔力を消費し、肉体にも負荷が掛かったことでかなりの疲労をしている。それでもまだ、戦うだけの体力と魔力は残されているのだが。
しかし、自身の持つ騎士剣を見やれば、その刀身が大分損傷し始めているのが見て取れる。
「これ以上は剣がもたん……!」
他の騎士達も魔術を使って常人を上回る力を乗せて剣を振るってきた。そのしわ寄せが、その場にいる全員が持つ騎士剣に現れたのだ。一応、騎士に支給されている剣は魔力の浸透を高めた特殊な製法で作られているのだが、戦闘が長引いたことと、現われた魔獣が思いのほか強固であったことなどが災いし、その刀身にも限界が現れ始めたのである。
騎士達の戦闘の殆どは、普段は街道やその外れで起こる害獣や野盗の討伐などが主だ。時たま魔獣の出現もあるが、近年では合戦のような多対多の戦闘は殆ど起こらないのが現状である。また、いざ戦闘があったとしても、騎士達も一人ひとりが徒党を組んで当たることになっている。実戦に於いては一対一で対峙するなど普通はしないのだ。そして敵対対象と遭遇したなら最初から全力でその対処に当たるのもまた騎士達の間では常識となっている。
しかし、先ほど襲来した魔獣の数は度を越えている。各々の肉体や武器に限界がきてもおかしくは無いのだ。
「っ!? しまった!」
離れたところで戦っていた騎士から、驚嘆の声が上がる。どうやら限界を迎えた騎士剣がついに砕けたらしい。
俺は即座にその騎士の下へと駆け出し、対峙している魔物へと自身の剣を打ち込む。その剣も肉体も限界を迎えていることは分かっている。しかし、武器を労わっている場合でもない。
「こなクソ!」
両腕に、両足に、自身の魔術の流れを正確に操作し、勢いと体重と力を全力で載せた剣で騎士の前に立ちふさがる魔獣の胴を横一線に凪いだ。
結果、俺の剣も限界を迎え、胴を両断する前に渾身の斬撃は止まってしまう。
「早く退け!」
追い詰められていた騎士に声を飛ばし、自身も魔物に刺さったままの剣を引き抜いた。騎士剣もまた限界に限界を重ね、何時砕け散ってもおかしくないほど罅だらけになっていた。しかし、換えの剣など存在しない以上、何とかして持ちこたえるしかない。
突如視界の外から攻撃を受けた暗緑色の肌を持つ大柄な魔物は、目の前にいた騎士から俺へと攻撃の標的を変え、今度は此方へと対峙する。その間に剣の折れた騎士は一時撤退し、前線から下がった。
何とか仲間がやられずに済んだ、と安堵するのも束の間、今度は自身が窮地に立たされる。
「……さて、どう遊ぶ? この化け物め……」
薄笑いを浮かべなら後ずさる。刃も潰えた罅だらけの剣を構え、再び魔物からの攻撃に備えるのだが。
「……これで生き延びれたら、なんか褒美とか無いもんかねぇ……」
自分でも分かる無謀ぶりに自嘲する。こんな剣では切りかかるだけでも砕け散りそうな状態だ。敵の攻撃を受ければ一撃で終わってしまう。思案を続け、どうにか状況を潜り抜けようとする。しかしそんな俺の心中など関係ないといわんばかりに、魔物は腕を振り上げ襲い掛かってきた。
「待ってはくれないよな……やるしかねぇか……!」
再び、魔力を操作し強化を行なう。ただし今度は剣の強度を度外視した強化を行い……
「持ち堪えろよ! 《武器強化》!」
ありったけの魔力を剣へと流し、《魔術付与》から更に強化した剣で何とか魔物の攻撃を何とか受け止める。受け止めた瞬間に動きを止めた魔物から距離をとると、即座に魔物へと突進し剣を上段に構えたままその懐へ飛び込む。その動きに対処し切れなかった魔物は、なすすべなくその身体に刃を突き立てられ絶命した。
「はぁ……はぁ……。何とかなった……か……?」
この一撃で俺の剣は、更に大きな魔力が流されたことによる反動で自壊し、自身も強化魔術の反動で疲労がたまる。普段の肉体強化に加え、騎士剣に新たに魔術を掛けたことで一気に体力を消耗した俺は自身の強化魔術を解除しその場にへたり込んでしまった。
幸いにして、周囲の魔物は皆、他の騎士達が対峙していいるため、すぐに脅威になりそうな魔物はいなさそうで良かったが、もし傍に魔物が残っていたなら戦う術は既に失われている。
「流石にこれで終わりにしてくれ……。」
しかしその思いはどこかに届くことも無く、へたり込んだ俺の傍らに新たな魔獣の影が現われる。
万策尽きたか……さすがに俺も死を覚悟する。
――――――――
――……力……モット力ヲ……――
狭い通路の中に現われた人の形をした何か。目の前の異形の怪物は人型をしてはいるものの、意思の疎通等はできず、わたしのことはただの獲物の一つと認識しているようだ。
今正に襲い掛からんとするそれは、大きな体躯に頭には角、暗緑色の肌を持つ化け物だ。しかし、いざわたしの身体に噛り付こうというとき、捕食者と被捕食者の立場が逆転した。わたしを捕らえていた化け物の喉笛には、かつてわたしの身体をを貪り喰らったあの銀色の狼が喰らい付いていたのだ。
「……モット……モットダ……」
うわ言のように口をついて言葉が漏れる。そして最早焦点も合わなくなったままの巨体の化け物を見つめる。わたしの右腕は先ほどまでのか細い子供の腕ではなく、あの銀色の狼の頭部が生えていた。そして、その狼の首は化け物を食いちぎり咀嚼し、その肉を飲み込んでいく。
その一噛み、一呑みする毎に身体に力が漲り、ある種の高揚感を覚える。
「もっと、もっと……!!」
捕食によって得られる高揚感を、興奮を求めて、わたしは辺りの化け物どもを食い散らかし、それでは足りず外へと躍り出て新たな獲物を探す。
「……居たぁ……」
思わず顔がほころぶのが自分でもわかる。門を出た先の大通りでは、至るところで騎士と思われる人たちと交戦している化け物たちの姿が見えた。
わたしはその化け物共を貪り喰らうべく、王都の街へと駆け出した。勢いよく地を蹴り通路を飛び出し、目の前の壁を蹴って、跳躍しながら街中を駆け抜ける。途中すれ違う魔物を悉くその右腕で喰い破り、突き進んでいく。いつの間にか変っていた狼のその脚より繰り出される脚力はすさまじく、一足飛びで遠距離から一気に相手の間合いまで入り込むと、その勢いのまま右腕の狼が獲物に喰らいつき食いちぎる。食いちぎった部分はすぐさま飲み込み、残りはそのまま壁へとたたきつけ粉砕する。通った後は食い散らかされた魔物の肉片が飛び散り、血の足跡が残ったけど気にしない。もはや戦いでも何でもない、一方的な蹂躙劇が始まったのである。
――――――――
一人、また一人と周りの仲間が倒され、俺も武器を失くし、そうしてついに魔物に追い詰められる。
「……ここまでか……無念だ。」
目の前には巨体の化け物が複数体、徐々に此方に迫ってくる。もはやこれまでか……巨体の化け物に囲まれ、ドランは目を閉じ覚悟を決める。しかし、その強大な腕が振るわれる瞬間、何かが俺と化け物の間を横切る。そして、化け物の振るわれた腕も同時に消えていた。
「……何が……?」
何時まで経っても振るわれたはずの腕が届かないことに、恐る恐る目を開く。するとその目の前には信じられない光景が広がっていた。
化け物の一体は、腕と首がちぎれ、更に一体は今まさに、喉笛に喰らい付かれているところであった。
更に信じられなかったのは、それを行なっている人物であった。それは、どう見ても戦いなど出来そうも無い人物。人買いに売られ契約の首輪を付けられたまま、惨劇の起こった野営地で奇跡的に生き残った少女だった。
「だが……なんなのだ、これは……」
しかしその姿は先ほどまで一緒に居た無力な少女とはかけ離れた姿をしていた。
右腕があるであろう場所には狼の首が生え、髪の色は斑になり、耳も変化している。両足は狼そのものと、異形の姿をしていた。そして、その少女は右の狼の首が化け物の頭を噛み砕きながら、少女もまたもう一体の化け物に文字通り喰らい付き、その首筋を噛み千切っているとことであった。
「……どういうことだよ……」
もはや莫迦のように呟くことしかできなかった。
助けられはしたものの、ドランの目に映る少女の姿は、もはやどちらが化け物なのか区別は付かなかったからだ。
喰らいついた化け物が絶命したのを確認すると、少女はドランの方へと向き直り声を掛けた。
「……助け……いる?」
口の周りを血まみれにし、うつろな表情で話す少女に無言で頷くしか出来ない。そんな首肯を読み取ると少女は再び駆け出し、辺りの魔物たちを一掃して行った。
上官であるザカリー隊長が羽織らせたマントを翻して化け物たちの間を飛び回る少女の姿が辛うじて見える。そんな素早さで彼女は跳ぶ。
少女が飛び回る度に、そこらじゅうで血と肉片が飛び、しばらくの後に城内の魔物たちは粗方一掃されていった。
まだ生き残った兵士達もまた、皆一様に言葉を無くして行った。もはや彼らの目には先ほど現れた化け物と少女との違いが分からないでいる。
「……化け物……化け物め……」
誰ともなく呟かれたその言葉は、まるで波紋の広がるように、ゆっくりと生き残った兵士達の間に新たな恐怖と共に広がっていったのだった。
その後、王都の魔物が粗方殲滅され、自らの能力に目覚め、その使い方を理解した少女が市街を飛び回り、殲滅していく。
「これで……最後……」
そして、王都に於ける最後の魔物となった一体の化け物に、少女は一気に突進し、その胴体を貫いた。
狼の跳躍力で繰り出された、少女の左手は化け物の胴体を抜け、背中から生えている。
そんな少女の八面六臂の活躍により命を救われた兵士達は多数いたのだが、その誰もが彼女の姿に戦慄し、その力に恐怖した。
「何なんだあの娘は……」
「狼に化けているのか?」
「魔物を噛み千切ったかと思えば、今度は素手で貫いた……だと?」
「……人間じゃない……あんなの、さっきの化け物のほうがまだマシだぞ!」
異形の姿と化した少女に思い思いの感想を投げかける兵士達。
やがて、脅威も去ったことが確認されると、誰とも無く魔物や魔獣の死骸が片付けられていく。その合間で発見された死者負傷者も運び出され、集められていく。生き残った兵士達の多くは満身創痍で、息も絶え絶えの状態で横たえられているものもいる。
確かに、危機は乗り切った。しかし、決して勝利といえるような状況ではないのである。
そんな惨憺たる状況に、表情を暗くする男が一人。この危機を乗り切った騎士の一人であるドランだ。
ドラン自身も魔力の反動で疲労し、全身至るところに負傷をしているが、そんな自身のことより辺りの騎士団の状況のほうが気がかりなのである。
この騒乱で戦死したのは殆どが経験不足の貴族階級の騎士達だったが、経験豊富の騎士もまた多くの死者を出した。生き延びた者達も多数の負傷者を出し、その人数は部隊の再編成にも支障が出るほどだろう。
だが、そんな騎士団の人事などは下級騎士であるドランが気にしても仕方の無いことだ。なにより、彼にはそれ以上に気になっていることがある。
「これは……どういうことなんだ……君は何者なんだ……アシュリー。」
目線の先には戦いに疲れたのか、地面で倒れこみ、騎士団のマントに包まれて眠っている少女。その身体は王都に来た当初と同じく元の姿に戻っていた。周囲の人間は先ほどまで城内を飛び回り、魔物たちを屠っていた姿を思い浮かべるのか、遠巻きに眺めるだけで誰も近寄らない。
ドランは魔獣の襲撃から生き延びた少女を引きつれ、王都向かうという任務を受けることになっていた。しかし、その命令を出した指揮官は不在。保護すると言う役割も果たせないままだ。このままでは出立することも出来ないだろう。そして、辺りの騎士や兵士達の間で渦巻く彼女への嫌悪感がドランの不安を更に煽る。
「……君は……化け物なんかじゃない。この街を守った英雄なんだ。俺はそう思いたい。」
誰も近寄らない少女の傍らに一人寄り添う。異形な姿の異能。その力で多くの騎士や兵士達、そして街の人々を守った。彼は自身にそう言い聞かせて、せめて自分だけでも傍にいようと決めた。ドランは血に濡れた少女の顔を軽く拭うと、同じく血みどろになったマントのままの彼女を抱え上げ、治療を行なっている魔術師のもとへと向ったのだった。