第4話 生還の少女と王国騎士団
「あれ……ここは……わたしは……」
僅かに感じる浮遊感と、空から降り注ぐ日の光に身を細めながら、わたしは目を覚ました。
「やぁ、気が付いたかね。我々が来たからにはもう安心だ。」
目の前には見覚えの無い顔。少し太り気味の男の人。事態が飲み込めず、一瞬呆然とするが、すぐにわたしはあの夜に何があったのかを思い出す。
「……!! わたしは……!」
そして、それを思い出した少女はあわてて体を起こそうとするが、わたしの身体は今、目の前に居る男の人に抱えられているため、それは叶わず。
「ちょ、ちょっとまってくれ、我々は君に危害を加えたりしない、そんなに暴れないでくれ。」
「あ、ごめんなさい……」
どうやらわたしの行動は妙な誤解を生んだようだ。わたしもこの男の人にそういった嫌悪感を抱いたわけではないので素直に謝り大人しくする。
「何はともあれ、目を覚ましてくれてよかったよ。その分だと、体にも特に異常は無いみたいだし、私としても一安心だな。」
そういって、男の人はわたしの体をゆっくりと下ろし、地面に立たせてくれる。体にかけられた布が落ちないように木を使ってくれていたけど、何のためだろう? そう思って布をめくり自身の身体を見下ろして見る。そこには見慣れたはずの自身の裸体があった。
「……どうして?」
「あぁ、すまない。君を見つけたときは既に何も着ていなかったので……裸のままというのも如何な物かと思って外套をかけさせてもらったのだよ。」
「あ、いえ、そういうわけではなくて……」
この男の人はわたしが服を着ていないことに驚いたと思ったみたい。だけど、わたしはそれ以上のことに驚いていた。
かけられた外套の下で腕を伸ばしたり、隙間から手を出してまじまじと眺めたりと、体に異常が無いかを調べた。あの行商たちの馬車に詰め込まれた時に着せられていた粗末な襤褸着は失われ、、残っていたのは首輪だけだった。そして、あの狼に喰い荒らされたはずの腕も、足も、胴体もすらも。その全てが無傷でそこにあった。
「これは……どういうことなの……?」
右手を目の前で握ったり開いたりして、それが自身の腕であることを確認するように動かす。感覚は確かに自分のものだ。しかし、指先からは細かな古傷がなくなっている。また、身体からも疲労感が消え、何やら軽くなったような気さえする。
「……わたしは助かったの?」
「あぁ、助かったんだ。これから王都へ向うことになる。その首輪もそこで外されることになるから安心してくれて良い。その後、帰るところがあるのであれば、その手配もするので安心して欲しい。」
わたしの呟きに、わたしを抱えていた男の人は答える。微妙に内容が噛み合っていない気がするけど。だけど、その人がわたしのことを最大限に気遣ってくれていることだけは判った。
わたしを不安にさせまいとしようとしているのか、笑顔でわたしに応対する男の人。少し太った、騎士の人。気になる事はたくさんあるけど、今はこの人の気遣いを無駄にしないように心がけることにした。
「……何が何やら……でも、健康になるなら、どうでもいい……のかな?」
そんな益体も無い事を一人呟いて。
――――――――
少女を発見し、隊長が少女を保護した後も俺たちは周囲の捜索を行った。生存者は発見できたものの、あの狼を食い荒らした別の魔獣の存在の謎が残る。最初に野営地を襲ったのがあの残骸に成り果てる前のあの狼なのは間違いないだろう。残された後ろ足からそれも判る。だが、問題なのはそんな狼の魔獣をも食い荒らす何かが、町に程近いこの場所で出現したということなのだ。このまま放っておけば、今度は町が襲われるかもしれない。あの狼だけでこの惨状となると、何とかそいつも探し出したいところなのだが……他に生存者がいれば話も聞けるんだが……
「ダメだな。見つかったのは、あっちこっちで食い散らかされた商隊の人間らしき残骸と、あとはあの女の子が居た辺りの近くにあった血しぶきくらいだ。」
「……そうか。わかった。」
周囲の探索に当たっていた兵士たちの会話を聞き、空気が重くなる。他の騎士たちも町のほうでも聞き込みをしては見たが、こちらにも魔獣の目撃も逃げ延びた生存者も居なかったようだ。結局、その惨劇の夜に何があったのかは分からないままだった。
「念のため、王都に戻ったら討伐隊を組織しよう。あと、あの商隊が所属していた商会へも赴いて話を聞かなければ……」
そんなことを呟きつつ、ウェブスター隊長は発見された生存者の少女の方へと向き直り、話を聞いている。
「……で、お嬢さんの見たって言うのは一体どういったものだったのかな?」
隊長は襲撃のあった夜に見たものについて問いかける。助けられた少女は発見された直後に目を覚まし、騎士の一人が簡単に怪我やその他の確認のため体を調べたが、空腹以外に特に問題も無く、今は何があったのかを聞き込んでいる最中だった。艶のあるショートヘアの金髪、大きな双眸には鳶色の瞳。その表情には生気が宿り、まるで惨劇など無かったかのように振舞う少女。肉付きこそ悪いが、もう少し成長すれば間違いなく美女と呼ばれる部類の女になるであろう。密かにそんな感想を抱く。
……いや、俺に少女趣味は無いからな。念のため。
「……わたしが見たのは狼でした。それも、とてつもなく大きい、銀色の毛皮をしていました。」
そして少女は少しずつあの夜に起こったことを話しはじめた。粗野な男に連れ出されたこと、森に入ったところで聞こえてきた叫び声、一噛みで胴体の半分が消えた男の事。
「巨大な狼だと……? ということはやはり、あの残骸が……? それは一頭だけかな? 他の魔獣の姿は……」
隊長はなるべく落ち着いて少女の話を聞く。そんな隊長に対して少女は落ち着いて応える。
「一頭でした。」
その惨劇を繰り広げた主が立った一頭の狼であることが告げられる。少女の倒れていた場所から離れた場所で喰い荒らされた狼を襲ったモノの存在は見ていないらしい。しかし、そんな場所で少女一人生き延びた。異常としか思えない。
「……一頭だと……では、新手の獣は……いやしかし、それは不味いな……」
例の狼魔獣を襲った獣。それが王都や他の集落の近くであるこの森にいる可能性もある。そうなると、この草原と森林を中心にこの周辺は恰好の餌場になってしまう。
「……これはあまりゆっくりしている余裕はなさそうだ。」
そういって考え込む隊長。このあたりに潜むであろう災害のような獣達。もしもその魔獣が群れを成すような獣だったなら……
この近隣の町どころか国そのものが危ない。それは間違いない。だが、この場に留まり魔獣の群れを迎え撃つにはどう考えても兵力が足りない。俺や一部の騎士には魔獣との交戦経験があるが、逆にそういった経験の無い騎士達もまた散見される。緊急の任務で集められた40人の調査隊、そこからさらに分けられた急拵えの、僅か人足らずの部隊では対抗しきれるとは思えない。しかし、かと言って襲われる可能性のある町を放って王都に向かうのも問題だ。あの隊長もそれを良しとはしないだろう……とは言え、道中で調査隊が魔獣に襲われでもしたら目も当てられない。
「ふむ……ままならぬものだな。」
隊長も同じようなことを考えていたのか、難しい顔をして考え込んでいるようだ。
この隊長、出自は平民で奥さんももちろん平民。住んでいる地区も平民の多く住む地区だし、子供の通う学舎だって平民向けのものだと聞いた。後を継がせるような家柄ではないため、子供たちも将来兵役に就かせるかどうかは本人次第だと言っていた。そして、日頃の生活環境で判るとおりこの人は王族や貴族、ましてや国のために騎士として働いているわけでは無いのだという。
叙勲の際には国と国王に忠誠を誓って入るが、彼の本心で言えば彼が忠誠を誓ったのは市井の人々なのだろう。本人もそれを公言していることがあった。もっとも、そういうことは思っていても口にはするなと更に上役の上司から言われていたが。
ウェブスター隊長はそれくらい街の人たちのことを大切に思っている。だからこそ、国の危機に於いても市井の人々のみを案じる。この人はこういう人なのだ。
結局、あれこれと思案しつつ、隊長は方針を定める。まず部隊を分け、隊長は現地に残って魔獣探し。そして残った別の隊員達で生存者の少女を王都に送るとともに応援の要請を出す。それぞれの編成は、現地残留組は隊長のザカリー・ウェブスターの筆頭に魔獣との交戦経験のある騎士達を中心として捜索に当たり、王都帰還組には交戦経験の無い騎士と、歩兵の兵士達を向わせることになる。一応王都帰還組にも交戦経験のある騎士、というか俺が付くことになってはいるが、いざ魔獣と交戦となった場合は戦力に不安が残る構成だ。とはいえこれもまたいた仕方ない事なのだろう。ちなみに、馬は帰還組に多めに裂かれ、少しでも移動速度を上げるつもりらしいが、歩兵が主となる今回の調査隊ではそれは難しいだろうな……歩兵全てを騎乗させるほどの馬など元から連れてはいないし。
ともあれ、方針が決まった後は早かった。速やかに再編成が成され、俺達王都帰還組は行動を開始したのだった。
――――――――
なにやら話し込んでいた王都の騎士の人たちは、今後の今後の方針が決まったのか活動を始めた。まず、伝令兵の早馬が出立し、そしてその騎士さんたちの隊長率いる隊が周囲を警戒しつつ移動を開始する。
「すまないな。彼方此方と振り回す形になってしまって。」
あの太った騎士隊長さんが離れた後、一人の騎士の人が声を掛けてきた。乱雑に切られた赤い髪の若い騎士の人。先ほど他の騎士の人からやいのやいのと言われていたこの赤毛の騎士は、王都までの道中の世話役をすることになったと自己紹介をしてくれた。
「どうしてそんなにへりくだるのですか?」
そんな騎士さんが出発の間際に申し訳なさそうに声に疑問を持ったわたしは、逆にその赤毛の騎士――ドランさんに問いかける。わたしはもともと、開拓村からであのドケチな叔母にこき使われ、胡散臭い行商人に買われた後に傭兵の男に襲われかけ、挙句に魔獣襲撃騒ぎ。首には未だに契約の首輪が付けられたままで、いまさら気を使われるような立場の人間ではないのに。
「いや、今もそうなんだが、当分聞き取りや身元の確認なんかで色々と行動を制限しなきゃならなくなるからな……先に謝っておこうかと……」
ただ、わたしの現状の立場はものすごく微妙な状態みたい。今のわたしは持ち主のいなくなった商品で、魔獣の襲撃現場で唯一の生存者。このあと王都で聞かなきゃいけない話もたくさんあるみたいだし、その後の身の振り方も決めなきゃいけない。
あのドケチも胡散臭い商人もいなくなって、さぁこれで自由! ってわけには行かないのが、わたしとしては凄くもどかしい。
そんな今後を憂いてか、この騎士の人は申し訳なく思っているみたい。
「いえ、いろいろと気を使ってもらってますから。ありがとうございます。」
それに対して、わたしは気にしなくても大丈夫だと告げる。わたしとしてはいつか出てやると決めていた開拓村から、外に出るきっかけになったし、魔獣のおかげでどこかに売られる心配もなくなった。首輪こそ付けられたままだが、兵士隊長さんが手配してくれたおかげで古着とはいえ、叔母の家で着せられていた襤褸着とは比べ物にならないくらいまっとうな衣類も用意してもらえたし、今後の調査とか聞き取りとかを考えたら食事だってしばらくは心配する必要がないはず。また商品として売られるようなことになっても、あの叔母の家ほど劣悪な労働環境に比べればすっとましだと思う。
そう考えたら、この騎士さんたちに悪感情を抱く理由が無い。まだまだ拙い希望だけど、わたしの未来は明るいんだもの。
「とても感謝しているんです。なので、王都までどうかよろしくお願いします。」
いろいろと気を使ってくれていることに礼を述べると、ドランさんは相も変わらず複雑な表情を浮かべながらわたしを馬上へと乗せた。
結局、心配していた魔獣の襲撃も無く、王都帰還組の一行は往路よりも早めの速度で王都へと向かったのである。